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趣くままに、これ日々、雑記

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入試の不正行為

  • 2011年02月27日(日)05時15分

 今年も大学入試の不正行為。 そうでもせにゃ受かりそうでないならば、銭積めば入れてくれるガッコへ行けばいいではないか。 己の能無しを棚に上げ、どうあろうが受かっちまえば勝ちという腐った根性では、どうせ大学でもうだつは上がらないだろう。 そんな子らが多過ぎる。

 少子化故に親御さんのプレッシャーがきついのか。 その重圧がなんだ。 受験してみて受からなかったら親子勘当でも何でも好きにしてくれと、意志を固めておけばいい。 そのくらいのセリフが吐けなくてどうして世の中を生きてゆけようか。
 定年間近のオヤジではないのだから、自分は何をしよう、何をやって生きていこうと広い視野の夢があるだろうに。 何もかもが受け身の生き方ではないのか。 大学受験する子供達も、親御さんが大学行けというから受験するというのが殆どではないのか。 将来何をするのだという目的をはたして持っているのかと疑う。

 実際、学内でのレポートはネット頼りのまる写し。 自分で何かしら考えることをしているのか。 不正受験で入学して学業でも他人様のフンドシ拾って歩いているのでは、それはまともな人間になりはしない。 大企業が採ってくれませんと世の中に八つ当たりか。 当たり前だろう。 会社のお荷物にしかなりそうでない者を誰が雇うか。 てめぇはヌケ作だからクビだと言えば、解雇時にもそれなりのカネも払ってやらねばならんのだ。 最初から最後まで厄介者は厄介者でしかない。 やる気に燃えた外国人留学生に企業が食指を伸ばすのは当然の事だ。

 そういう子供にしてしまったのは大人が悪い。 物事を自分の力量でこなそうという大人がどれほどいるのか。 全て他人任せで上手く泳いで渡ればいいという輩が里芋洗う如くにゴロゴロしている。 一億総公務員化、一億総腑抜け。 植木等じゃあるまいし、サラリーマンは気楽な稼業では困るのだ。 使えない奴をいいわいいわで黙認放置してきた温情主義の終身雇用制が生んだありがたい産物だ。 貧乏会社から役所、政府、国会議員に至るまでどいつもこいつも己の保身しかアタマにないだろう。 そして隙あらば公金横領だ。

 ネット上での 「くれくれ頂戴」 な根性が如実に表すように、世の中は便利で重宝な情報だらけであると信じて疑いはしない。 確かに便利だが、では今生きてそこにいる “お前さん自身” はどこにいるのかね、と問わねばならない。 自分で考える事もせず行動も起こさず、全て誰かのものを頂戴して溜め込み、飾り付け、それが 「要領」 だと思い込んでは脳味噌にカビを生やしている。 なんにもしません出来ませんという輩に限って癇癪持ちの幼児か認知症末期老人のように喚き散らす。 公職選挙の投票もしないのであろうネトウヨや、批判だけ書き殴っていっぱしの評論家気取りなアニオタなどはその最たるものではないか。

 そんな大人を見て子供らは育つのだ。 真面目に汗流す奴は馬鹿なのだというのが教えである。 ITバブルの頃は小学校のPC授業で何をやらせているのかと思えば御丁寧にも株投資体験のお勉強だった。 理工系を目指す生徒が少なくなった、どうすれば興味を持ってくれるだろうかと嘆き節もある。 真面目に研究したり一生懸命モノ作ったりするのは愚かだと教え育てているのだから、そりゃあ無理というものだ。

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とりとめなく思う

  • 2011年02月25日(金)17時43分

 東京で春一番が吹いたとされる。 この訪れは平年並みなのか、それともやや遅めなのか。 四季の移ろいは日々じわじわと確実なステップを踏むのではない。 季節が変わったかと思いきや、いきなり前の気候に戻ったり飛び越えて先を行くような気温になったりする。 そうやって彷徨きながら大筋で次第に変化を見せていく。 株価グラフのようなものだが、突如の大暴落はない。 それがあるとすれば小惑星の衝突だ。

 昨今の週間天気予報はけっこう当たる。 狭い範囲のピンポイント予報もありがたい。 しかしこの季節の変わり目だけは少々厄介。 いわゆる、気まぐれだ。 こちらが望む時間内だけ降らなければそれで良し、照ろうが曇ろうが、上から落ちてこなければいいとするものの、幾分神頼み的な作業を自らに強いることもしばしばだ。

 溶鉱炉の上に薄っ皮一枚の蓋をして、その上にへばり付いているのが地球上生物なのだから、なんとも物騒な一生には違いない。 宇宙ステーションを設け、月面に基地を造る、やがては火星の惑星改造だとする一方、自分達がへばり付いている天体さえ手に負えない自然界。 人類は深海のどこまでを知っているのか。 地球のマントルまで行って戻った者などいやしない。 つまりは紙風船の薄っぺらい表皮だけが我々の世界。 火山噴火も大地震も事前になんとか抑え込もうなどというのは、神でも仏でも無理な話だ。

 地震による被災を無くす事は出来ない。 災害規模が極力少なくて済むよう準備しておくだけだ。 一度それが起きてしまったならば、救える命を救うことに全力を挙げるしかない。 ニュージーランドへ急ぎ派遣された日本のレスキューは優秀だという。 御苦労はさることながら、なるべく多くの人命が救助されることを祈りたい。
 古き良き町並みを残す遺産保護と耐震の備えは両立させられないのだろうか。 そんなことはない。 我が国ではかなり前からそれに取り組んでいる。 第一、古い建造物に見る耐震構造には現在の我々が教わることの方が多かろう。

 昼夜貫徹で寝ずの救命作業が行われている同じ時刻、独裁者が自国民を虐殺している国もある。 戦闘機で空からぶっ放せというのだから無茶苦茶だ。 生物学上は同じ人類かもしれないが到底そうは思えず、ただ嘆かわしさだけが込み上げる。

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じぇぇ~ん!

  • 2011年02月24日(木)05時59分

 酒席の噂話によれば、TV芸能界では一定の周期法則みたいなものがまことしやかに用いられているのだとか。 だいたい10年一区切りで考えてかつての作品を流せば視聴者をそこそこ釣れるのだそうだ。 そのくらいの間隔を置けば程良い懐かしさも新鮮さも提供できるらしい。 もっともそれは随分と昔の噂話で、現在のようにCSもネットもある時代ではあまり意味をなさない。 リクエストが多ければ繰り返し繰り返し何年でも続けて放送できる。 勿論、作品にはそれなりの勿体を付けておかねばならないから、安っぽくなるまでは繰り返さない。 何事にも “さじ加減” というものが必要だ。
 TVアニメに関しても10年経てば結構懐かしい。 当時ハマり込んでいて録画しまくったという作品は別にして、なんとなく飛び飛びに見ていたとか、当時は視聴できる環境になかったとかいうTVアニメの再放送はけっこう貴重である。

ファイル 97-1.jpg KIDS で 「パタパタ飛行船の冒険」 が始まった。 深夜だが懐かしいので毎日予約録画させておいて寝る事にした。 早朝、目覚まし代わりにこいつを見るのだ。 当時は衛星の放送なんぞまるで別世界の生活をしていた。 これは飲み連れの誰かに録画テープを見せて貰った記憶がある。 おそらく陽気な歯の技工士さんではなかったかと回想する。

 確か、ラピュタのような、世界名作劇場のような、またそれを合わせたような印象がある。 ジュール・ヴェルヌを題材にしていたからナディアと同じ匂い、小学生の頃にワクワクしながら読んだ冒険SF小説そのものだったと覚えている。
ファイル 97-2.jpg NHKは 「かみちゅ!」 を流していることだし、この 「パタパタ飛行船の冒険」 も使ってはいかがか。 ジュール・ヴェルヌは既にナディアでやったから、似たようなのはお断りとおっしゃるか。 少なくとも 「アリソンとリリア」 とは違った面白さがあるだろうと思うのだ。 八百長大相撲の中継を延々流して人々から叱責を浴びるより、多くの子供達に喜んで貰えた方がいいではないか。 ジュール・ヴェルヌは実際に面白い。 彼の書いた物語は小学生の夢を育むに必需だと断言していい。

 バクストン家のジェーンお嬢様が良いのだ。 概ね話の筋は覚えてはいるが、今またこうやって放送が始まると朝の目覚めが少々待ち遠しく感じられる。 ジェーンよ、年寄りの爺がお供では大変だろう、この私が見守ってやるぞと、しばらくは毎朝彼女と一緒に冒険することにしよう。

ファイル 97-3.jpg

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逃げる親玉

  • 2011年02月23日(水)11時33分

 往生際の悪さでは小沢も菅も負けてないが、どこで撮したのかカダフィの映像はみすぼらしすぎる。 ワシはまだ負けてない、健在じゃ、と虚勢を張りたかったのだろうけれど、そこらで拾ってきたかのような貧乏傘とパルチザンでも使いやしなかったろうと思わせるポンコツクルマでは、どうみても落人だ。 ひょっとするとお付きの者が水道ホースで雨を降らせていたかもしれない。

 あれを見せられたのでは独裁政権の各親玉達は気が気でない。 ああなったのでは世も末である。 オレんトコだけは絶対ああはさせんと意気込む裏で、人民の血と涙からなる莫大な私服財産をどこかへ移し隠す手筈を整えているに違いない。 まったくロクなもんじゃない。
 徹底的に取り締まれ、プロバイダはみな機能停止させよ、電話線も切ってしまえ、街中で屁もひらせるな、と号令かけたにしても、その理不尽な弾圧強化は地下のマグマ溜まりをより大きく熱くさせる結果でしかなさそうだ。 諸国の民主化デモ情報はどのような策を講じようとも必ずどこかから入ってくる。 デジタルファイルひとつあれば例え手渡しにしてもあっという間に国内全域へ知れ渡る。 独裁政権に胡座かく者共にとって厄介な鳥インフルエンザウィルスと違わない。

 世の中を生き物として見るならば、民主化へのうねりは人類社会の本能だろう。 当分の間、独裁国家元首の面々は断頭台の悪夢にでも苛まれればよい。 背筋に走る悪寒と共に自らの終焉をとくと味わうのも、そう遠い先の話ではない。

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持ち出し厳禁

  • 2011年02月22日(火)06時06分

 南京で工場申請していたシャープに対し、中国側は最先端技術の工場を持って来いと要求。 左様で御座いますかと大事な虎の巻をまさか差し出しはすまいとは思うものの、そのような事がニュースに取り上げられねばならんというのは、それだけ日本の国としての構えなり経済外交策なりがまるでなっとらんという証ではないか。
 向こうは最先端技術を盗むのが目的なのだから、当たり前の対応だろう。 それでなくてもスパイ防止法のない日本。 中国のスパイはなにも軍事関連だけではない、産業スパイもうじゃうじゃ入り込んでいるだろうに。 今のままでは赤いスパイに何もかも盗まれ放題だ。

 我が国は資源に乏しくとも技術を持っていますから、などと寝とぼけた発言の脳天気政府では話になるまい。 百歩譲って海外への工場移転もやむなしとしよう。 だがそこで持ち出してはならない技術というのが必ずあるのだから、国としてそれをどこまで厳しく保護規制しているのか。 どうにも頼りなく、怪しい。
 大陸は一大市場だと、進出を煽るばかりではそのうち農業まで向こうへ行ってしまうだろう。 気が付けば国内には何も無く、幾世代にも亘って蓄積向上させてきたあらゆる分野の技術を全部タダでくれてやり、貰うもの貰ったから用はない、とっとと帰れと蹴飛ばされて日本海で溺れ死ぬ。 落語にさえこんな間抜けは登場しない。 馬鹿丸出しである。

 自衛隊の機密漏洩にしてもそうだが、向こうはあらゆる手段で盗みに来るのだ。 我が国のそれなりの立場にいる者をとっ捕まえて酒池肉林漬けにしてしまうなどお手のものである。 ましてや赤旗好きな左翼民主党。 尖閣事件の対処など見ていれば、こやつらは既にチャイナマネーのおこぼれを口にねじ込まれているのではないのかとさえ疑いたくなる。

 国としての断固たる姿勢がないからどの方面でも駄目なのだ。 例えば今回のシャープの一件。 企業秘密を差し出す馬鹿がどこにいるかと、机ひっくり返して帰ってくるくらいの交渉が出来なければ話にならないだろう。 中国に続きインドもソースコードをよこせと通達してきた。 相手はみな完全にナメきっている。 それもこれも、国策がだらしないせいである。

 ネット上で 「売国奴」 という文字が飛び交うのは問題だ、と苦々しく愚痴っている暇があるのなら、さっさとスパイ防止法でも成立させてしまうべきだ。 大事なものは国が重要保護指定し、それを流した場合は文字通り 「売国奴」 扱い。 いささか大袈裟ながら、極刑含む厳罰処分にしてもよいのではないか。 不穏な世界情勢を見れば、全てに於いて我が国の今ある姿は脆弱で生ぬる過ぎよう。

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市民の本音はどこに

  • 2011年02月21日(月)05時50分

 この年度末、なにかと決め事も多かろうに、その市議会の機能を止めてまで、お前達は一度解散せよとの住民投票結果だ。 竹原の乱暴とも言える手法は問題あったが、議会のお前達もけっして正しくはなかろうというのだろうか。

 振り返れば、市長も議会も駄目だとされた結果になっている。 だが、単純に市民が激しく市政を叱責したのだとは言い難い。 先の市長選も今回の議会リコール賛否も、どちらに転んでもおかしくない僅差ではないか。 どちらか片方が投票の6割超えを獲得したというのではない。 民の意見はほぼ半々なのだ。

 黒澤明の 「隠し砦の三悪人」 では雑兵に駆り出された百姓の 「欲」 を巧みに操って敵国内を逃げ延びようとする。 あの太平と又七の二人はまったく欲の塊で、釣られ易さに笑ってしまう。 えてして庶民の大半はそうであるのに違いない。
 市や町が二分されるという事態は往々にしてある。 例えば村落にダムを造る、空港を造る、街中にヘリポートを造る、工場を誘致する・・・・・。 土地買い上げや保障費だの迷惑料だの、道をつけるならワシの山を通せだの、あいつの土地は用地にかかってワシの土地は蚊帳の外だから一銭も入らんだのと、全ては我が懐の利害関係にある。 なんとも強欲であさましい限りである。

 賛成派、反対派という分かり易い二分割はそのような降って湧いた甘汁を吸えるか否かによるところが大なのだ。 その土地の将来を真面目に展望し、どうあるべきかと考える者は多くない。 いきおい、行政は札束で横っ面ひっぱたけば事が運ぶと踏んでくる。 それは全部与えなくてもいいのだ。 その場のちょろまかしで上手いこと言って釣ってしまえば勝ちなのである。 お後、その地方がどうなろうが知ったことではない。 地元住民の賛同が多かったのだと主張すればいい。 実際、多数決で多ければ 「住民の意思」 たる錦の御旗が掲げられる。 ピィ~ヒャ~ラ、ピッ、ピッ、ピッ、なのである。

 阿久根の場合はそのような公共事業絡みの騒ぎでないにしても、では投票権を持ちながら行使しなかった人々は一体どう考えているだろうか。 投票率が意外に伸びない背景に何かあるのだろうか。 国政選挙並みに 「遠い永田町の出来事」 と同様に感じているのか、それともうんざりしてしまっているのか。 或いは、市が二分されている現状から、棄権すると決め込んだのだろうか。 田舎町ならそれもあり得る。 あいつはどっち派だのなんだのと余計なお世話を嬉しそうにも吹いて回り、「それだからお前らはヌケ作のドン百姓だなんて罵られるのだ」 とでも言ってやりたいほど愚かな連中がゴロゴロいるものだ。

 事の発端は議員報酬と市民平均所得にあまりな隔たりがあるという点ではないのか。 横暴には違いないが、竹原の大声がなければ市民はその詳細など知らなかっただろう。 その高額な報酬は田舎市議の職務に於いて何に必要なのだと人々は改めて考えたのだ。 竹原が二度も市長に担ぎ上げられたのはそれが問題視された要因でもあったろう。
 既得権益絶対死守の議会と手段を選ばぬ強行市長の泥仕合。 これを目の当たりにした市民はどう思ったのか。 既得権益にしがみつく議会の姿は永田町や霞ヶ関そのものだと感じたろうか。この市長にやらせていれば市政も何もかも無茶苦茶にされてしまうと慌てただろうか。 議会はけしからん、しかしこの市長ではヤバくてしょうがない、というのが案外本音だったかもしれない。

 ただ、多くの市民はこの双方に対してまったく利害関係がなかったとは言えまい。 市政だけに、携わる者は地元各業界と無縁である筈もなく、選挙では必ず組織票が働く。 今こそ市民は自分の懐ではなく市民全体の懐を第一に考えねば市の将来は無いものと覚えるべきだ。

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INDEXⅡ 第19話

  • 2011年02月20日(日)01時18分

 人の情は争えるものではない。既に彼の体内に宿っていた己以外に注がれる守るべきものへの愛情。身を賭して最後の力を絞り出させたのは、鬱陶しいほどまとわりついて離れぬその小さな天使を救わんがためだった。

 組み合わせからしてかなり興味深い。見た目が更生を求められる不良少年とその妹のような両名。この世をたった二人で生きてゆくかの如き寂寞感が、都会のそぼ降る雨の夜に表される。
 この第 19 話、繰り広げられる幾多のシーンに被せられる雨の映像が実にいい。動画テクニックもここまでになっているのだなと、少々驚く。

ファイル 93-1.jpg 臑の消毒をせがむミサカに一瞬見せるアクセラレータの表情は、妹に向ける兄の眼差しではなかったか。杖に頼りながらぎこちなく歩く兄の後ろを、トボトボついて行く小さな妹の姿。 真横からのこの映像は宵闇の街灯に照らされる濡れた路面越しに描かれ、両名のやるせない境遇が印象付けられているように映る。お互いに舐め合ったところでどうなるものでもない。悪夢の過去をただ背負い、歩く術を探っている。

 己がもどかしい。 舌打ちばかりが口に出る。 消毒剤と絆創膏を買いながらも、その行為に至っている不穏な自分自身に対して怯えがある。 なんと魅力的なキャラだろうか。 じゃんじゃん黄泉川がここにいれば、ポンと肩でも叩きそうではないか。 見る者の感情はアクセラレータに惹き込まれ、そのまま反動的に 「きぃ~はら君」 への憎悪と化す。 こんな下衆野郎を叩きのめせないのかという苛立ちが湧き上がる。
ファイル 93-3.jpg ラストオーダーの名を呼んで、その小さな身体を敵の拘束から解き放つべく最後の一撃に賭ける姿はもはや勇者である。 ピクリと応えるチビミサカは確実に彼の意志を受け取っただろう。 あの人を助けてくれと泣いて縋るずぶ濡れ天使に、当麻君の右手は応えることが出来るだろうか。

 小さくあどけない子供達に大人が変えられてゆくというのが 「とある」 シリーズ根底に一本の柱として存在する。木山春生はその典型であるし、インデックスを子供と捉えれば当麻君との兼ね合いも似た部分がある。 また要所でいい働きをしてくれる小萌先生も見た目は子供そのものである。 勿論、当麻君もアクセラレータもまだ若い発展途上少年なのだが、彼等からすればインデックスもラストオーダーも充分に子供たり得、自分達はいっぱしに大人ぶっている。
 「なのは」シリーズの底に流れ続けた母と娘の愛情は、プレシア・テスタロッサの特異な存在を除き、母と娘の双方から互いのベクトルが絡みを見せた。 それとは異なり、「とある」 シリーズでは子供達の自然体が大人に多大な影響を与えているのが特徴に思える。

 ならず者、嫌われ者な男が、屈託無い少女に心開かされるというそのテの話は好きである。 それなりの段取りを踏んで事に当たるという回りくどさを嫌がり、力ずくで勝手気ままにその場の快楽へと身を投じがちな姿は、文字通り聞く耳持たぬ乱暴狼藉者なのだが、相手を推し量ることもなくずかずか踏み込んでくる子供の純粋さだけは対処しようがなく、払い除けも出来ない。 アクセラレータにとってこのチビガキは本家本元のレールガンやシスターズの数倍も始末に悪い。 チビミサカはハイジ、アクセラレータは山小屋の偏屈おん爺のようなものにも見えてくる。

ファイル 93-2.jpg 面倒だからと、すらっ惚けていればますます図に乗って攻め込んでくる。 第一、ちょこまかうるさい。 この男風に言えば、じゃれつきネコのような理解不能の生き物なのだろう。
 薄れ霞んでゆく視界の中、僅かに残っている意識を満たしているのはそのチビガキの安否である。 もう誰でもいい、あのガキだけを守ってくれとの願いだけである。 このオレ様がなんてこった、なんであんなガキの事しかアタマにないのだと、苦笑いを浮かべる力さえ残っていない。 ああどうかこの不器用な兄貴を救ってやってくれと祈るばかりの第 19 話である。

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反政府デモ

  • 2011年02月17日(木)18時23分

 東欧の旧共産圏崩壊を見ているようだ。あれから約20年、アラブ諸国に広がる反政府デモはどうなるのか。言いたい事も言えない抑圧された世界の、これが運命でもあるのか。
 日本企業もそのような情勢にもっと敏感にならねば危険だろう。とりわけ中国。この大国は言論情報統制に更なる重しを掛け、共産党中央はギラついた目で徹底監視に努める。彼等にとって最も有効な手立ては、ガス抜きの矛先を日本などに向ける事だと思われる。反日教育はそのために延々続けられているのであって、他意は無かろう。

 大陸に進出或いは画策している企業は、中国の現状圧制下とバブルの浮かれ景気ならばアラブのようなああいう民衆エネルギーも弾けまいと踏むのだろうか。しかし所詮は綱渡り、博打である事を忘れてはならない。
 今のところ、マッチもライターも取り上げてしまっているかの如き中国政府の統制である。せいぜい竈で湯沸かしの火がチロチロ燃えている程度。政府はこれを火事にしてはならないと躍起なのだ。特に民族ナショナリズムに沸き易い貧困層からの出火は絶対許すわけにいかない。

 あの天安門事件。中国の若い衆は民主化に餓え、新しい世界を夢見てエネルギッシュだった。銭金に踊る今の沸騰とは本質的に違う。 騒乱の中、軍の水平発砲に傷付いた血だらけの若者が他国の報道カメラに向かって叫んでいたではないか。 撮ってくれ、これを撮ってくれ、全世界に見せてくれ、と。 せつなく、狂おしいまでの欲求がそこにあった。ああいうエネルギーというものは、日常生活が少々豊かになったところで完全消滅したとは到底思えない。 なにせ、自分の意見を自由に述べられる世界が奇異に映るというまで洗脳教育を施し、それで体制保持しようとしている国なのだから。

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おぞましい

  • 2011年02月16日(水)05時01分

 これは何であるのか。高専の大講義室で真っ昼間からメッタ刺しの殺人事件。死亡した女子学生の刃物傷は30箇所に及ぶというのだから猟奇的だ。 男子学生の方は一命を留めているようで、校内であるし、発生時刻から見ても割合早くに事の真相が解明するものと思われる。

 女子学生が絡んでいるからには取っ組み合いの日常喧嘩とは思えず、少しややこしい。それにしても白昼の学園で尊い命が失われた事実は極めて重大だ。刺し殺されたと見られる少女の親御さんの心中思い計れば言葉もない。学校内で愛娘が惨殺されるなどあり得ない出来事だ。 悲しみも憤りも当然ながら、親御さんは冷静な目と耳を持って警察や学校の話に向き合わねばならない。そこに二重の辛さがある。

 校舎のアタマに日の丸掲げている国立校なのだろう。いわば文科省直轄な教育機関な訳だ。それなりのなんたら博士というような肩書きが並んでいるものと思えるが、現場教官から本省事務方まで 「ワシゃ知らん」 「私はこの件には無関係」 といった立ち回り画策がはや渦巻いているかもしれない。

 一部報道では可能性として無理心中を挙げている。 刃物を持った鬼畜の不法侵入や米国の銃乱射も背筋の凍る出来事だ。 しかし、ようやく股ぐらに毛の生え揃ったかのような子供による無理心中など、おぞましくて想像もしたくない。 人の世の喜びも悲しみも、渡世の非情も恩情も知らずして、お前を殺して自分も死んでやるなどという発想はどうすれば生まれるのか。 考えたくもないが、もしもそうであった場合、最悪の真相と言わざるを得まい。

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この季節の雪

  • 2011年02月15日(火)00時21分

 犬は喜び庭駆け回り・・・という歌は、少なくともこの雪にあてはまらない。郵便物を手にして激しく降る雪の中をポストまで歩いて行った。なにもこの自分が出歩く時間に一生懸命降らんでもいいだろうと、苦々しく灰色の上空を見上げても仕方ない。黒っぽい身なりがあっという間に白くなってしまった。

 この季節、しかもこの南海の土地で降るそれはボタ雪でしかない。最初はみぞれだったので、こんなもの、濡れた上へ落ちてきたところでそのまま溶けて終わりだと軽視していたのだが、まだ真っ昼間だというのに気温は下がる一方で、道の上にも積もり始めた。この野郎、シャーベットのくせしぁがって一丁前に雪化粧屋を気取るのかい。

 これはかなわん、ますます激しく降ってきた。あまりの降りに視界も悪い。車道のクルマもライトを点灯させている。
 犬を連れた御婦人が寒そうに歩いていた。なにもこんなタイミングで散歩させにゃならんこともなかろうにと思うが、我が身を振り返れば他人様のことは言えぬ。
 重いくらいにボタボタ降り掛かる雪には犬も喜んでいそうでない。あの歌はもっと雪国のサラサラした積雪なのだろうと、薄いシャーベットに足跡を残してゆく寒そうな犬の尻を眺めていた。

 ただ、雪の降る日は世界が静かでいい。それに相手は所詮H2Oではないか。御苦労されていると聞く豪雪なら別だが、この程度なら明日には溶けて流れて乾いて終わりだ。 また降灰と噴石飛来でひどい目に遭われている方々を察すれば、なんとお気楽なことだろうか。

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