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市民の本音はどこに

 この年度末、なにかと決め事も多かろうに、その市議会の機能を止めてまで、お前達は一度解散せよとの住民投票結果だ。 竹原の乱暴とも言える手法は問題あったが、議会のお前達もけっして正しくはなかろうというのだろうか。

 振り返れば、市長も議会も駄目だとされた結果になっている。 だが、単純に市民が激しく市政を叱責したのだとは言い難い。 先の市長選も今回の議会リコール賛否も、どちらに転んでもおかしくない僅差ではないか。 どちらか片方が投票の6割超えを獲得したというのではない。 民の意見はほぼ半々なのだ。

 黒澤明の 「隠し砦の三悪人」 では雑兵に駆り出された百姓の 「欲」 を巧みに操って敵国内を逃げ延びようとする。 あの太平と又七の二人はまったく欲の塊で、釣られ易さに笑ってしまう。 えてして庶民の大半はそうであるのに違いない。
 市や町が二分されるという事態は往々にしてある。 例えば村落にダムを造る、空港を造る、街中にヘリポートを造る、工場を誘致する・・・・・。 土地買い上げや保障費だの迷惑料だの、道をつけるならワシの山を通せだの、あいつの土地は用地にかかってワシの土地は蚊帳の外だから一銭も入らんだのと、全ては我が懐の利害関係にある。 なんとも強欲であさましい限りである。

 賛成派、反対派という分かり易い二分割はそのような降って湧いた甘汁を吸えるか否かによるところが大なのだ。 その土地の将来を真面目に展望し、どうあるべきかと考える者は多くない。 いきおい、行政は札束で横っ面ひっぱたけば事が運ぶと踏んでくる。 それは全部与えなくてもいいのだ。 その場のちょろまかしで上手いこと言って釣ってしまえば勝ちなのである。 お後、その地方がどうなろうが知ったことではない。 地元住民の賛同が多かったのだと主張すればいい。 実際、多数決で多ければ 「住民の意思」 たる錦の御旗が掲げられる。 ピィ~ヒャ~ラ、ピッ、ピッ、ピッ、なのである。

 阿久根の場合はそのような公共事業絡みの騒ぎでないにしても、では投票権を持ちながら行使しなかった人々は一体どう考えているだろうか。 投票率が意外に伸びない背景に何かあるのだろうか。 国政選挙並みに 「遠い永田町の出来事」 と同様に感じているのか、それともうんざりしてしまっているのか。 或いは、市が二分されている現状から、棄権すると決め込んだのだろうか。 田舎町ならそれもあり得る。 あいつはどっち派だのなんだのと余計なお世話を嬉しそうにも吹いて回り、「それだからお前らはヌケ作のドン百姓だなんて罵られるのだ」 とでも言ってやりたいほど愚かな連中がゴロゴロいるものだ。

 事の発端は議員報酬と市民平均所得にあまりな隔たりがあるという点ではないのか。 横暴には違いないが、竹原の大声がなければ市民はその詳細など知らなかっただろう。 その高額な報酬は田舎市議の職務に於いて何に必要なのだと人々は改めて考えたのだ。 竹原が二度も市長に担ぎ上げられたのはそれが問題視された要因でもあったろう。
 既得権益絶対死守の議会と手段を選ばぬ強行市長の泥仕合。 これを目の当たりにした市民はどう思ったのか。 既得権益にしがみつく議会の姿は永田町や霞ヶ関そのものだと感じたろうか。この市長にやらせていれば市政も何もかも無茶苦茶にされてしまうと慌てただろうか。 議会はけしからん、しかしこの市長ではヤバくてしょうがない、というのが案外本音だったかもしれない。

 ただ、多くの市民はこの双方に対してまったく利害関係がなかったとは言えまい。 市政だけに、携わる者は地元各業界と無縁である筈もなく、選挙では必ず組織票が働く。 今こそ市民は自分の懐ではなく市民全体の懐を第一に考えねば市の将来は無いものと覚えるべきだ。