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甘すぎる風潮

 神奈川の中一少年が惨殺された事件後、どうやって子供を守るべきか、どうすれば子供のSOSを察知できるのか、親御さんの子供に対する接し方まで、TVのコメンテーターなり児童評論家なりが色々と御意見を申し述べておられる。
 だがこの風潮は、最も重要な事を置き去りにしてはいないか。 よくできた好ましい少年だったと、惨殺された少年にスポットを当てるのもそれは結構だが、事件の問題、大元はそこではなかろう。
 いったい、何を食わせて何を教えてどう育てればあのような狂った鬼畜な加害者に育つのか、という加害者達への考察なり論評が何故行われないのか。 何故、その加害者達の家庭を掘り下げてあからさまにしないのか。 社会に向けての悪例として提示、問題提起するのがマスコミの役目ではないのか。

 二言目には 「少年法で保護されるべき」 と宣う。 どうにも人権団体とやらの方向に頭を上げられないらしい。 少年法で当人達が守られるならば、子供はみな生来かように鬼畜ではないのだ、更生できるのだとの理念に立っているようだが、では、そのような鬼畜に誰がしたのか、社会が悪いからだとでも言うのだろうか。 そういう風に育ったのは誰あろう親の責任ではないのか。 家庭が生んだ罪ではないのか。 詫びを入れて済む事と済まぬ事があるのだと、背中で教えなかった躾け放棄ではないのか。

 少年法改正と叫んだところで、せいぜい数年の年齢引き下げにしか出来まい。 ならば、そのザルから零れた罪を親が引き受けなくてどうするのか。 社会の敵・暴力団ですら掟破りが身内から出れば、その世界でのオトシマエをつけねばならんのだ。
 認知症老人の引き起こした致死に至る交通事故も同様だ。 嫌がる老人から無理矢理にでもクルマを取り上げるのが子の務めというものだろう。 高速道路を逆走して人を殺しても 「精神鑑定」 とかいうあやしく御都合主義な手段によって罪は煙の如く消え去るのか。 「オラ知らね」 と身内はそっぽ向いていられるとでもいうのか。

 このおかしな風潮、意識は我が国の 「御上」 からもたらされたものだ。 一切責任をとらず煙に巻いてしまうのが役人と政治屋共であるからだ。 この毒素は見事なまでに蔓延、根付いている。 セイタカアワダチソウも真っ青だ。 その結果何が生じたかと言えば、己だけ上手く擦り抜けて泳ぐのが正道であるという実に我田引水な我欲。 中華人民共和国の汚職官僚大量摘発を笑っていられるのも今のうちだけかもしれない。

 甘い、とにかく甘すぎる。 加害者にも人権だ人権だと手ぬるい事ばかり言っているのは、決して正義ではない。 惨い殺され方をした被害者には人権はおろか、人生さえ既に無いではないか。