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講談社 デジなか


   PreCure §9  そこを、どけぇーっ!  〜これぞプリキュア 第42話より〜



 茜に染まった晩秋の夕焼け公園。 センチメンタルな三拍リズムシャンソンでも聞こえてきそうな季節感漂う背景。 が、一転俄に掻き曇り、突如現れるジュナとレギーネ。 目的はプリキュア・ペアの片方拉致による分断、引き離しであります。
 枯葉ザケンナーによる秋の旋風がホワイトほのかを連れ去ってしまいます。 体勢を整える間も無く奇襲され、ブラックなぎさは枯葉舞う夕暮れに一人取り残されてしまうのです。
 ほのかが閉じ込められたのは地下トンネルの中。 そこは闇のエネルギーに満たされ、光の使者プリキュアのパワー発揮ができない場所。 手の先から闇による浸食が次第に進み、キュアホワイトに危機が迫る緊迫の救出劇です。

 これは前期の第17話でポイズニーがキュアホワイトを木俣農園裏山にある洞穴に閉じ込めてしまう分断攻撃と全く同じです。 二人でひとつ、故に別けてしまえば造作もなく捻り倒せるという戦法で、第17話の場合はキリヤの助け船が入りますが、第42話はなぎさがたった一人で囚われの友を捜し、救出しなければなりません。





 自分にとって一番大事な事とは何か? この問いから第42話は開始されます。 洋館トリオのキーワードは 『自分のため』 であります。 この作の冒頭で彼等はポルンが発動させるものこそ 『全てを生み出す力』 であることを確信し、それを奪取せんとするはあくまでも自分達のためであると結論付けます。 我々がこの世を支配し、我々が自由を獲得するためにプリキュアを倒してあの力を得るのだと意義、目的を掲げます。
 『ふたりはプリキュア』 後期は洋館トリオによる謎解きや造反が構成上の展開軸となっており、この第42話も彼等がジャアクキングに対して謀反の意志を固めるひとつの節目です。 何故に謀反なのかという動機のファクター、そこに 『自分達のため』 があります。

 我々はみな自分のため、愛する家族のために生きています。 組織に身を置いてはいても、それは変わるところではありません。 組織を擁護するのは仲間意識も当然ありましょうが、そこが傾くと我が身も危ないからに他ならない。 ただベルゼイ達は、周囲を一切顧みない利己追求のみが本質であると言い表し、分断したなぎさとほのかを惑わしては追い詰めようと図ります。 閉じ込められたほのかと、それを捜し回るなぎさにベルゼイ達の不気味な声が響きます。 お前達も所詮は己自身の事しか考えてはいまい。 そうなのだ、全ては自分だけのためなのだ・・・。

 揺動戦法で不安感に押し潰されそうな二人。 パートナーを奪われた世界が如何に心細いかを表している場面が展開されます。 サブタイトルに “絆” という文字が見られるように、お前がどうしても必要なのだ、二人でなければ駄目なのだという極めて強い結束が描かれた作品で、それは囚われて死を待つしかないほのかと無我夢中で救出に向かうなぎさの心情、その行動をもって視聴者に迫ります。


 地下鉄ホームの隅っこにぽつねんと座り込み、どうしていいのか解らないパニック後の脱力感に顔を伏すなぎさの描きがまず絶品です。
 ホームの中央でもなければベンチに腰掛けているのでもない。 深まる闇に圧迫され、掃き溜めに追いやられたかの如く片隅に伏す寂寞としたその構図は、彼女の精神状態がそれだけで窺えるコンテの巧い部分でしょう。 ここでメップル相手に虚ろにも尻取り遊びの掛け合いをさせている羽原大介の脚本もまた思わず唸ってしまうきめ細かさで、追い詰められ途方に暮れた人間の生理とも云える症状パターンを表しているように思います。
「ほ・・・? そうだ・・・ほのかを捜さなきゃ・・・」
力なく立ち上がるなぎさはまだ自分を取り戻してはいません。 夢の中に遠く聞こえる 『ほのか』 という名に意識外で反応しているかのようです。
 一方、闇に気力すら奪われつつあるほのかは希望の姫君・ミップルを励ます声にも力無く、変色の進む我が手に怯えます。




 地下鉄車輌の中でジュナと向き合い、なぎさは覚醒します。 それはほのかのことを云ってるのか!? ほのかが闇に呑み込まれてしまうという危機を彼女はここで知るのです。
 直後に発せられる言葉にならないキュアブラックの叫びは観る者を圧倒し、その迸る剥き出された感情の激しさは我々に熱い感動を覚えさせるものです。 もはや猶予無い時間闘争の幕開けであり、友に与えた仕打ちに対する憤怒の雄叫び、血涙の咆哮であります。


 それに反応するミップルの 「希望が近くにいる」 は、窮地に喘ぐほのかが捉えた一筋の光明。 彼女はなぎさの名を叫びます。 それは恐怖の中に見えたかけがえない面影、たった一人で懸命に自分を捜しているであろう友の名であります。 なぎさを呼ぶというよりもそれは絶叫であり、第42話にして初めて、ほのかが全てをかなぐり捨てたかのように真正面からなぎさを求め縋る、比類無き場面です。



 その先にほのかの存在を知ったなぎさは怒濤の進撃を開始します。 並み居るザケンナーをはね除け蹴散らし、邪魔をするなと一直線にほのかの声を目指します。

   

 眼前の敵を倒すことなどどうでもよい、一刻も早くほのかに辿り着かねばならんのだという様子がここのアクションから窺え、目まぐるしくも華麗な動きに血の滾る思いであります。 やがてトンネル封鎖の前に立ちはだかるレギーネに向けて放つひとこと、 「そこを、どけぇー!」 に至り、目頭の熱くなるのを禁じ得ません。

 「ほのかのことを云ってんの?!」、「邪魔するなー!」、「どいて!」・・・・・。そこまでのなぎさはそれでも少女らしい言葉で叫びます。 目の前に現れた封鎖の向こうにほのかが居るのは間違い無い。 それを壊しさえすればほのかに会えるという昂揚がこのおよそ女児向けヒロインらしからぬ 「そこを、どけぇー!」 の叫びとなったのでしょうか。

   


 姫を救出する王子のように気品あるセリフではありません。 CVのテンションも極めて高く、次々と内なる想いが激しく表現されるこの第42話にあって、ここに放たれるなぎさの叫びは他の追随を押しやる極め付けでもありましょう。 ほのかを目指す今の自分を妨げるものは一切許さぬとの鬼神・阿修羅の如き凄味がそこにあります。 救出再会目前のクライマックスを飾る名ゼリフであり、また、ここのなぎさはいかにも一途で勇猛果敢、血湧き肉躍るコンテによりそのアップ、“タメ”、動き、いずれも素晴らしく、さすがに西尾大介の仕事だと改めて思い知らされるところです。

 封鎖を蹴り割ったなぎさは無事なほのかと対面しますが、地に倒れて上半身だけ起こしたほのかの向こうで外の明るさを背景になぎさが立つ、というこのカットは第17話に於ける救出シーンと同じ構図です。

   


 第5話での工事現場、第10話での宝石店、第17話での洞穴、そしてこの第42話と、なぎさがほのかを助けるべく駆け付けるパターンは本シリーズで幾度か描かれています。 文化系にてややパワーで劣る方を体育系のバリバリが助けるという展開は企画発足時点から暗黙のうちに存在したであろうと思われ、特に注視すべき点でもありませんが、失ってはならない大切な人という 『大事なこと』 を謳った第42話はやはり格別なエピソードであり、二人で綴るプリキュアの物語である以上、後期後半にてどうしても必要なイベントに最も適したシチュエイションではあったでしょう。

 友が攫われ、揺動に惑わされそうになり、それでも必死に捜し求めるという非常に重い内容で始められ、遂に再会を果たす事でひとつのコンマを迎えますが、その後なぎさに大泣きさせる展開はそれまでの暗雲立ち籠める空気を一変させるものです。 それは少なからず安堵と癒しをも含んでおり、怒濤進撃の鬼神から心細かった一人の女の子に戻るワンフレーズと云えましょう。
 第42話の巧さは救出再会までの実にヘヴィな展開からホッと胸を撫で下ろす大泣きの可愛らしさ、そして次に来る目を見張る圧巻バトルへの移行にあります。

 これが 『ふたりはプリキュア』 という作品なのだ、どうだ見てくれと云わぬばかりなバトルアクションは只々見事です。 サントラ版 『プリキュア登場』 の颯爽たるテーマに乗ってレインボーブレスを装着した二人がはっしと決める構えのポーズに、おお、待っていたぞと拍手したくなる喜びは隠せず、予想もせぬ動き、スピード、力強さはキャラの回転、伸びきった脚、相手を見据える目線などによって増幅するかに見え、その凄さには喝采です。



 ブラックの目まぐるしいスピン、速射砲の如き連続蹴り、ホワイトが開脚回転のままレギーネを叩き付け、ドーンと巻き上がる煙の中から跳び出す二人。 この時間帯放映の女児アニメでは決して見ることの出来ないであろうこれらアクションは異質ながらも素晴らしいのひとことに尽きます。
 抑圧されていたものが一挙に弾けるように、彼女達の縦横無尽に跳び回る姿は前半の重い空気を払い除けるに余りあり、ああ浪花節の日本人に生まれてよかったとさえ思える解放の躍動をそこに見る事が出来ます。 このバトルは紛れもなくプリキュア・アクションの心髄であり、全49話中最高峰のものでしょう。 ビジュアルファンブックにもこの場面のコンテが一部掲載されていますが、何よりも既出の使い回しを一切排除した予想外の動きに圧倒されます。 西尾大介ならではの芸当と申し上げてよいでしょう。


   




 第42話はプリキュアスタッフが 「我々が育んできたなぎさとほのかはこうなのだ」 と胸張り意思表示した一作に映ります。 それは、プリキュアとはかくある二人のお話なのだ、と全国の女児だけでなく広く大人視聴者に向けたメッセージでもあるでしょう。 『ふたりはプリキュア』 というアニメ作品のコアなる部分がここに凝縮されているように思います。
 セーラームーン以降の主流とも云うべきチームヒロイン形態に媚びず、あくまでも二人だけの少女達が互いを求め、信じ、困難に立ち向かう姿が苦悩や切羽詰まった喘ぎを伴ってここに描かれます。 ペアのパートナーというものがどれ程に良き存在となり得ることが可能であるか、全国の少女達が少しでも感じ取れたのではないでしょうか。
 それは趣向の同調や妥協に身を任せた上辺の馴れ合いでなく、異なる者が心底ぶつかり合う中に生じる存在感の認知と信頼、互いを必要として求め合う絆であります。 絶対に失いたくない、いや、失えない存在としてなぎさはその一心でほのかの救出に向かいます。 外で自分を呼ぶ声がする、あれこそなぎさ、信じる友の気配、それはほのかの揺るぎない希望なのです。

 自分にとって最も大事なこととは何か? 大切な人を大事に思う、そんな自分の気持ちを大事にしていくことだと、一件落着の後になぎさは考えます。 そのような気持ちを持てる自分の部分がとても素晴らしく思え、そんな自分が好きで誇らしく感じたことでしょう。

 脚本家というだけでなく劇作家、舞台作家としても活躍する羽原大介には第37話でのロミオとジュリエットなどはむしろ自分のやりたい畑に近かったエピソードかもしれません。 しかしこの第42話は緊迫感の中にセリフのひとつひとつがキャラ内面を鮮やかに投影したかのようで、素人目にも緊迫、波乱、静寂、勇壮などといったストーリーの抑揚に於いて重要な働きが見て取れます。 静かな口調のセリフながらも実に厳しく激しいものをそこに感じ取るのは、この脚本により完全に物語の中に呑み込まれてしまっているのでしょうか。

 ひとつには連続TV番組である事がかなり影響していそうです。 当初第1話から楽しみに見続けてきた身にはなぎさとほのかがどのようにして今迄きたのか、何があったのかが脳内に残されています。 言い換えれば、ここに至るまでの全41話があってこその第42話でしょう。 またそれを踏まえた上での脚本でしょうから、大いなる感動はさすがの仕事ぶりであります。
 これぞプリキュア、と評して憚られることないであろう第42話。脚本とコンテの妙、更には迫力満点な動画やCVの熱さを堪能して戴きたく、泣きながらほのかの名を叫んで猛然とザケンナーにダッシュするなぎさにどうぞ心奪われて下さいませ。 『ふたりはプリキュア』 後期の最高傑作です。






             








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