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講談社 デジなか


   PreCure §4  向き合うふたり  〜第8話より〜


 大量生産工場の如く日々生み出されるアニメキャラクター達はいずれも個性的で、観る側に同調もあれば時々疎ましさなども与えてくれます。 『ふたりはプリキュア』 も同様ですが、各々の個性を枯らすことなく触れ合わせ、共に歩ませるのは少年少女向け作品の正道であります。
 『ふたりはプリキュア』 がこれら正道作品の中でも少し離れた位置から私を惹いたのは、文字通り 『ふたり』 である故です。

 ダーティーペアのような大人のお姉さん達ではない思春期の二人。 いかにもまだ青い子供が二人だけで向き合わねばならない状況が生じます。 これはセーラームーン以降しばらく好んで用いられている少女戦隊、少女軍団モノには無い環境でしょう。 他を否定する行為によってしか自己の存続を維持出来ないような今の風潮や子供達の現状からすれば、これは今の世に於いてはあまり多くない環境であるのかもしれません。



 ファンの間でも夙に有名な第8話は飛び抜けた作品であると申せましょう。 なぎさとほのかが直に接し合う最初の節目とも云えるイベントの放映回。 川崎良自らは書かず清水東が書いています。
 互いを未だよく知らぬ二人がプリキュアとしてのみ同じ方向、同じ時間を共有している不定性な関係にひとつの終止符を打つもので、五十嵐卓哉と為我井克美というセーラームーンでお馴染みな演出、作画監督がさすがと膝を叩きたくなる仕事をしており、大変感動的な一作でもあります。


 光と陰、明暗の用い方や背景使いの巧みさはあの 『明日のナージャ』 第24話を彷彿させ、このプリキュア無印全49話の中では異質と評しても過言ではなく、シリーズ開始早々第8話目にして 「これは・・・!」 と思わせる見事な一作には 『プリキュアン増殖』 という妙なオマケまで付いてしまった感があります。
 そのイベント、そのモチーフ故であるとの見方も承認するにせよ、脚本、演出がとにかく素晴らしい。 ここではなぎさがなぎさたり得、ほのかがほのかたり得るのであります。


 第5話、第6話辺りまで観ますと、二人の親交推移を見せるべく余所余所しさの中に時折見せる断片的な互いの興味と好奇心の類に視点を当て、連星の如く付かず離れずなこの状況を今少しの期間引っ張るのであろうかと思わせます。 しかし、この第8話にして正面から向き合わせ、ぶつけさせます。 シリーズ構成にて 「ほぼこの辺りで」 と画されていたものと見え、主人公が中二ではあるものの、作品のターゲット年齢層ではラブコメの如き焦れったさが求められている筈も無く、なるべく早期に 「いいお友達」 としてひとつの成立がそこにあった方が良いという事でしょう。

 第6話までは両名の紹介と共にその性格、世界観の違いを小出しに印象付けています。 殊にピーサード最終戦の第5話では両名の相異がそれまで以上に表され、メポミポという異世界からの客人を預かっている以上やむなく二人が付き合わねばならぬ現状に溜息付き、自身を押し殺してまで相手に合わせようと試みるほのかと、それを感じてはどこか釈然としないなぎさの二人が描かれます。

 即ち、第8話のぶつかりに至るまでは双方共に客人の世話係であるが故に相手と会わねばならず、時間を共にしなければならない。 これは小さな客人達による彼女等への強制です。 伝説の戦士を真のものとすべく二人を操るメポミポのキューピットパワーとでも申しましょうか。 また、第6話では石の番人ウィズダムが二人にプリキュア手帳なるものを渡しますが、これは後の第8話イベントの段取りというもので、これまた 「少女達よ、真のプリキュアになるのだぞ」 との導きでありましょう。

 下地の敷き詰めとも云える第7話ではなぎさが独り相撲の羨望を膨らませ、第8話にてほのかのあずかり知らぬ無頓着から発火に至ります。 河川堤防でなぎさはほのかの手を振り払い、やりきれぬ想い、傷付いた自尊心が憤りとなってほのかに向けられます。 なぎさがほのかに対して真正面からぶち当たる瞬間でもあります。
 自暴自棄めいたその場感情な “必殺” のひとことを放つなぎさと、電車の鉄橋通過音を背景にまさに “秒殺” されるほのかの描きが巧く、鮮烈です。

 何をきっかけにするのか、双方にどの程度までやらせるのか、これは繊細な部分であったろうと思われます。 両名について、実はとんでもなく底意地が悪いのだとか上辺だけの軽いお調子者なのだ等、負の印象は僅かでも残したくない。 その辺りの気遣いも窺え、ファンには実にたまらない展開の脚本でしょう。





 ほのかにとって、なぎさに突き付けられた 「友達でも何でもない」 は引導を渡されたに等しく、その後の昼休み時計台や放課後の靴脱ぎ場では、常に友人達の輪の中にいる相手の姿に、撥ねつけられた今の自分が一層重くのし掛かるのです。 時計台下のステンドガラスに背を預けた寂しく切ないほのかのカットには胸締め付けられる思いであり、ミップルコミューンをなぎさに渡して走り去るくだりには 「なぎさ、追え! 後を追え! えぇい! 何をしておるのじゃ!」 などと叫ぶ己を覚えるのであります。

 西陽射す雪城邸縁側。 お婆ちゃまとほのかのこの場面は絶品です。 五十嵐卓哉はこの第8話で陽を背したアングルの人物を多く用いています。 それは心の内、心情の秘めたる存在を観る側に認識させるかの如く、極めて印象強い効果を生んでいます。 この縁側シーンも然りで、西陽を背負ったお婆ちゃまはあの独特な謎の微笑みのまま陰となり、紅茶を手にしたほのかには胸から下だけ陽が当たっている。 離れて立つ二人の位置は縁側という細長い空間を巧みに利用しており、ここでの “静” はほのかにとって陽の射す方へ次の一歩が踏み出せない金縛りのようにも映ります。 また、上述のミップルコミューンをなぎさに渡してしまう靴脱ぎ場シーンと同様な明暗が用いられていることも着目させられる点ではあります。

 ほのかがなぎさを向いて敢然と反論するのは神社の戦闘場面です。 彼女にそれをさせるには切羽詰まって有無を云わせぬこの騒然真っ只中という場面が最適でしょう。 脚本始めスタッフはさすがです。 さなえお婆ちゃまから雪城家次期当主教育されている身なれば、通常の背景では彼女の感情の迸りなど見られるものではありません。 ナンパ兄ちゃん達にいささか御立腹であったのも説教魔のなせる技であり、キリヤに激昂したのを除けばそう易々と感情でものを云える子ではないでしょう。

 自分達は腹が立つ程に違うのだと云い合いそれを確認し合い、おかげで 「外野は黙ってろ」 とばかりにゲキドラーゴはゴミの如く弾き飛ばされ、見せ場無しの散々な目に遭います。 彼にとりましてはとんだとばっちりもいいところで、女性が剥き出しで云い争う修羅場には近寄らぬ方が身の為であるという教訓を世の情け無い男共に授けてもくれましょう。



 取り違えた手帳が交換日記となり、綴られた双方の心情が表されます。 さすがになぎさ、さすがのほのかというその内容は、予想外の驚きよりも熱いメッセージとして双方に伝わります。 互いが違う現実そのものが正常なのであり、それらは好奇に満ち、探求の衝動に駆られるまでのものであったのだと彼女等は気付きます。 それは即ち “惹かれる” ことであり、ここに於いて彼女等は自分とは異なる部分に “許し” を与え、一切を容認して近付きたいと歩み始めるのです。

 激情から最初に正面切るのがなぎさならば、ほのかの方から 「美墨さん」 を 「なぎさ」 に呼び変えます。 第8話ラストシーン、「なぎさ」 と発した後の 「ほのか」 と返されるまでの “間” が絶妙です。 その間の刹那に見せるほのかの表情と、受け入れられた喜びの笑顔がたまらなく愛おしい。
 この感動の一作を含め中学生の人達にはぜひとも本作品全編を御覧戴きたく、小さなお嬢様方にはこのようなエピソードは少し難しいですが、お母様方には改めて推奨したく存じます。


 趣向に同調しない、或いは同レベルに一様でない者に対する排他傾向は、1対1で真正面から向き合う状況を作れないという精神弱者の産物であります。 最小単位な “個” の出会い。 そこには反目し合う棘の部分が必ず何処かに生じ、それは双方にとって例えささやかであろうとも利害に関わる事態には違い無い。 しかし、人類を始め多くの生き物の素晴らしさは、そこで “許し” を生む事によってこれを克服出来るという点ではないでしょうか。

 校内のいじめをはじめ、ネットでの個人に対する罵詈雑言集中攻撃や人の悲しみまでをも逆撫でする誹謗中傷などは、他を見て聞いてみる姿勢とはほど遠く、いかに他を否定するか、いかに己を有位に見せたいかという歪んだ意志の羅列であります。 これはどう見ても健康な生き物の姿ではありません。
 生き物の出会い、触れ合いは数式や理屈による理論物理学のようなものではないのです。 最初に理論武装ありきというようにとんでもない見当違いな姿勢で人に臨んだところで、相手がこちらの冷たい装甲版に幻滅するだけであり、相手に触れさせて貰うことすら叶わないという繰り返しが関の山でありましょう。

 現実を認める懐の深さと “許し” を生める度量を育むことが肝要かと存じます。 まずは第一歩でしょう。 なぎさやほのかが成し得たように、それに直に触ってみなければ温度も硬さも重さも、どうすればいいのかさえも判らないのです。

              








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