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朝日放送 PreCure



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講談社 デジなか


   PreCure §7  人として   〜Heart to Heart〜



 駅でのキリヤ完敗がプロローグとなり、至極短期間ながら雪城ほのかとキリヤによる暖かくもせつない一編が展開されます。 それは異世界同士のか細い糸が僅かに絡み合うように、少女の差し伸べた手が少年に触れはするものの、彼の肌はその手の温もりに驚き、迷い、そして渇望へと混乱を極めます。 美墨なぎさにスポットを当てて進行する本編は、これよりこの二人を描くべく分岐し、並列エピソードが設定されていくことになります。

 敵に取り入るつもりが取り入られたのではないのか? とキリヤに向けるポイズニー姉さんの指摘は、弟を案じているというよりも疑念でありましょう。 ベローネ学院内での存在を易々と手に入れたキリヤならば如何様にも仕掛けられる位置にいます。 にも関わらず、彼は別れの暁決戦までその攻撃能力を一切使いません。 第17話でポイズニーの補助としてキュアホワイトを山腹洞窟に閉じ込めるべく結界を張る程度です。 しかし、それすら自らの手で解いてしまい、次の第18話では鏡に閉じ込められたプリキュアを時空間移動の能力をもって救出します。

 敵の懐からおもむろに仕掛けんとした矢先、彼は異質なものに触れてしまいます。 確信した虹世界の標準から甚だしく逸脱しているそれを敏感な彼の感覚は即座に取り込み、これは異なもの特殊なものと脳裏に焼き付けます。 多様さの実感は意外ではあるものの、出鼻を挫かれたのもまた事実で、そこに生まれたものは焦りでも反撃意欲でもない、他ならぬ “人間への興味” です。 それは不特定多数にではなく、ただ異質なるその一点、キュアホワイト・雪城ほのかその人に対して向けられたものであります。 そこに縛られ、また揺り動かされ、姉への戦闘妨害、ジャアクキングに対する背信へと、キリヤは潮に流される如く闇戦士の本懐から次第に遠ざけられて行きます。


 成田良美脚本による第17話はタイトル通りなぎさの 『ときめき農作業』 で、それまでになくほのかの気配りや後押しが随所に見られ、なぎさの恋も少しは進展があるのかと注目させられます。 しかし、その片隅で進められるほのかとキリヤの挿話こそ重要且つここでの展開を要したものでしょう。
 「力を合わせるから人間は強い」、言わば 「それが人であり、人ゆえに成し得るのである」、「汝、人たるべし」 という、いわゆる 『キャベツ畑の垂訓』 であります。

 ほのかは言葉だけの教示に終わらず、率先して汗を流す実践で示します。 か細い少女が麦藁帽子に首手拭い、これに地下足袋が伴えば野良仕事の三種の神器だと思える出で立ちで、お尻を突き出しえっさえっさと収穫している様を見せられたのでは、いかなキリヤとていつまでも藁束上に寝っ転がってはおれません。




 人間世界に化け込んだはいいものの、実に無意味でくだらない作業に従じなければならない。 特にこの雪城ほのかと名乗っているキュアホワイトなど、やりたければ勝手にやれば良いものを、やれサボるなだの、その分昼飯は後回しだなどと説教を交えては自分を引っ張り回す。 これも潜入した身の務めだと渋々従ってやれば、たかが指の掠り傷に今度は血相変えて水洗いし、なんと温かな手で絆創膏を巻いてくれることか・・・・。




   



 キリヤは優しさを知らない少年です。 受けた事もなければ勿論与えた事もない。 そもそもかようなものは存在しない世界に棲んでいます。 ポイズニーと姉弟関係であろうが、そこにあるのは戦果と手柄の競い合いだけでしょう。 人間の、しかも宿敵プリキュアが手当に巻いてくれたそれを彼は奇妙な感覚で見詰めます。  闇世界の者にとって絆創膏ような医療用材など何の意味も必要もありません。 しかしキリヤはそれを剥がすどころか手袋をはめ直して作業を再開します。

   

 商品名が 『PRE-Q BAN』 とされているこの1枚の絆創膏は、闇の刺客であるこの少年に極めて強い影響を及ぼし、さながら女神ほのかが下す神託を念じ込めた契約のリングであるかの如き役割を担うことになります。


 両名が傷手当のために蛇口前に座り込んでいるロングビュウなシーンをこの第17話最高の “絵” として推奨したく思います。 岩井隆央演出によるそれは、山の中腹に開墾されたなだらかなキャベツ畑が広がりを見せ、後方にさほど高くはない山々が西陽を浴びています。 農作業通路越しに少し遠く配置された二人の会話はそれなりに音量が絞られており、風もなく鳥の声さえ聞こえない実に静かな時間です。 手前を白い蝶がひらひら横切る向こうから二人の話し声だけが小さく聞こえる午後のひととき。 この牧歌的キャンバスに彼等だけだと思わせる二人の世界がここにあります。

 第21話、上田芳裕演出により河川堤防でキリヤの真実がほのかに明かされますが、それは雷鳴轟く土砂降りの雨を背景とし、荒々しく衝撃的で、ずぶ濡れの中に別れのカウントダウンが刻まれる嵐の如き世界です。
 第17話の牧歌的農園及び第21話の嵐の河川堤防、これら静と動、明と暗、両極の情景描写は二人の短編物語の始まりと終焉を見事に表してはリンクさせており、作品全49話から眺めても屈指の出来ではないかと思えます。
 キャベツ畑の静なる平穏をこの虹世界及びベローネ学院生徒たる日常であるとすれば、衝撃の嵐である堤防道は闇のドツクゾーン及び戦闘空間に対峙するプリキュアと闇の戦士・キリヤであるとも読み取れ、異世界の両名、両戦士が背負った交わりきれぬ悲壮な宿命がここに浮き彫りとされるかのようです。


 もしも雪城ほのかと相対する以前であったなら、恥ずかしげにラブレターを持参する第18話の谷口聖子という少女をキリヤは巧みに利用したであろうと思われます。 額に汗して働くほのかの姿とその手の温もりが未だ覚めやらぬ状況で、聖子の行為はただ煩わしく、周りを飛び回る夏虫程度に見えたでしょう。 また、少女の淡い恋心を彼に理解せよとは酷な注文で、恋文や告白などという行為が如何なる意味を持つのか彼には知る由もありません。

 木俣農園の手伝い以降、キリヤは彷徨うかのような姿を見せます。 川崎良脚本によるこの第18話、図書室で学習するほのかを訪ねる彼に作為は無く、茜空の公園ベンチでツーショットと洒落込むのも、想定程には単純でない人間世界を整理したい欲求でしょう。
 自分の周りがよく解らないというキリヤに人と人とのあり方を説くほのかは第8話のなぎさとの経験を語るもので、無言で聞き入る真摯な彼を前にその口調は賢媛なる姉のように映ります。 傷の具合はどうなのだと訊ねられて絆創膏の指を見せるキリヤの動作もどこかしおらしく、可愛い弟の姿です。 ほのかには年下の少年がよく似合う、ここはそう思わせる夕暮れのツーショットです。

 「心って何だ? 僕の心って一体何だ? あるとすればどんな心だよ! ひとの事を何も知らないくせに、偉そうな事を云うな!」
 それは嫉妬というものでしょうか。キリヤにしてみれば、聖子の裏で後押ししていたほのかの行為は、聖子の方を選んだという自分への軽視に思え、またそれは母親が別の女に自分を押し付けて逃げようとするような類であるかもしれません。 幼児的発想には違い無いものの、初めて人の温もりを知ったが故の独占欲、縋るような甘えでもあります。

 溢れ出すものは制御の域を超え、もはや単なる潜入刺客ではないキリヤの姿をそこに見ます。 激情に任せた上記セリフは極めて意味深く、冬の灯火のような明かりと暖かさを受けながら、その甘美な世界に傾倒してゆく自分に戦慄を覚えつつ、 “人たる心” に向き合ってしまった過程の集約が窺えます。 闇の刺客でありながら宿敵の差し伸べる手を欲し、セリフからはそれを渇望しているようにも受け取れます。

 この叫びはキリヤ編で重要な転換を与え、作品全話中の第8話に類似するものです。 この後の彼は懐いてしまった感情を肯定するかの行動を見せ、聖子に謝る姿もまるでその背後にいるほのかに向けて謝っているようです。 第20話でほのかに声掛けるのが例えポイズニーのフォローであるとしても、「香水なんかつけなくても・・・・」 とは極めて意味深なひとことで、その瞳は既に恋する少年のようです。

 級友聖子の相手のことは何も考えなかった自分をキリヤに突かれ、ほのかは自責の念に駆られます。 それでもなお、この少年は自分を慕っているのだと気付かせないところが脚本の心憎さでしょう。
 構成、脚本ではほのかについてその方面の鈍感さを徹底的に貫きます。 彼女が少年に恋して頬を染める、或いは告白されてはにかみ照れる、などという事はあり得ません。
 バラをベースにスズランエッセンスを加えた自作香水の芳香を即座に嗅ぎ分ける男の子がいるならば、何かしら我が胸に灯るものがあるだろうに、ああ、あなたはなんて敏感で分析能力の高い人なのかしらという程度にしか受け取らない。
 この少女に魅せられてしまったキリヤの苦労もひとかたならぬもので、その自然体と天然の鈍感さを併せ持つ魅惑の少女は彼にとってまさに “魔性の乙女” と呼ぶに相応しい存在であります。


 第18話はほのかを烈火の如く怒らせる点でも注目に値します。 「ほのかちゃんはちょっとおっかない」 という木俣先輩の発言はあながち間違いでもなかろうと思わせます。
 男子部校舎に単身乗り込んで怒りの形相のまま廊下中央を重戦車並につかつか歩む姿には、とある合同庁舎内を自衛隊のエリート女性士官が鞄持ちの短足オジサンを従えて、並み居るアホ面な男共を蹴散らかしながら歩いていた情景を思い出してしまいます。 ベローネ男子部の連中でなくともこのほのかには仰け反って道を譲ります。 これは恐ろしい。 近寄って何か云おうものなら即座に張り倒されそうであります。



 普段と変わらぬ夏の帰途、二人で歩む堤防路。 一転俄に掻き曇り、激しく肩打つ大粒の雨。 差し掛ける傘を払うが如く一歩離れては自ら語り始めるキリヤの真実、正体の暴露。
 姉ポイズニーの敗北と消滅に意を決したキリヤが宣戦布告する第21話衝撃の名場面であります。 雨を用いたエピソードが殆ど記憶にないところから、鬱陶しく暗い背景は視聴ターゲット年齢層にそぐわず、出来得る限り明るい光の日常でキャラクターを躍らせたいのだと思われます。 しかしここは敢えて大粒の激しい雨。悲壮な宿命の衝撃的開示であります。

 針先で突かれたような一抹の不安が急速に膨張する。 悪い夢見と否定する暇も与えられず、確たる証拠が押し寄せる波濤の如くほのかを襲います。 轟く雷鳴、突き出されるプリズムストーン。 降りしきる雨は幾筋もの水流となり堤防肩から流れ落ち、導水樋門に渦巻く河の増水となっていきます。 自分の知る入澤キリヤが容赦無く流されてゆく。 先にあるのは濁流の渦。
 突風に飛ばされる傘。 横殴りの雨に押されつつも、泣き崩れてしまいそうなずぶ濡れの我が身をかろうじて支えるほのかの姿が痛々しい。 重ねられる弦の調べはあまりに悲しく、雨を仰ぎて 「もしもこの世界に生まれていたなら・・・」 のキリヤに投げ掛ける言葉すらほのかには見い出せません。

 キリヤの最後を飾る第21話はさすがと思える川崎良のセリフ回しが光り、応じてCVも名演です。 衝撃の告白、別れの朝、共に構図や背景はドラマチックな展開内容に相応しく、ラストバトルの挿入歌も効果的でキリヤ編大いなる感動のフィナーレとなっています。

 真正面からの果たし状、指定時刻は早朝の4時。 マーブルスクリューを封印したプリキュアにキリヤを倒す意志は毛頭無く、 “友” の攻撃を止めんが為の反撃です。 説得を続行しつつの悲しき戦闘。 バックに流れる 『Heart to Heart』 がやるせない悲哀を煽るようです。
 副将・キリヤはさすがに強いものの、躊躇が妨げ、とどめも刺せません。 必殺技を使わぬ徒手格闘戦で遂に膝折れるキュアホワイト。 一瞬たじろぎ狼狽を見せるキリヤ。 ブラックの 「ほのかのこのような姿を見たかったのか」 とのセリフに胸詰まらされます。

 プリキュアが持つ強い力、石の引き合う力の前にキリヤが 「敗北を認めた」 のではなく 「自ら降りる」 ことを選択したものでしょう。 二人の身体を張った説得が功を奏したと云うべきではないでしょうか。 彼が石を託して立ち去る姿は清々しくさえあります。
 ほのかはここで初めて気付いたのだろうと思われます。 この少年は自分を慕い、彼と共に過ごした時間は自分にとって掛け替えのない日々であったのだと。


 流れ続ける 『Heart to Heart』 の中、去り行くキリヤにホワイトの叫び虚しく、彼は微かに笑みを残して闇に消えます。 彼の名を呼ぶホワイトを、感極まりただ強く抱き締めるブラック。 ああ、なんという光景でありましょう。
 この場面、思い出す度胸熱く、幾度天仰ごうとて我が感涙止むる術無し・・・・。





 ほのかに涙はありません。 続く第22話でも気丈に振る舞おうと努めます。 しかし、ここでは七夕の織姫と彦星、子犬のモコと飼い主のアキオというように “再会” が盛り込まれ、全てが落着したその夜、縁側で七夕飾りを前に初めてほのかは泣き明かすのです。 書きかけたプリキュア手帳、抱き膝に顔を埋めた独りぼっちなその姿。 ほのかファンには忘れることの出来ない第22話最終映像であります。


 後の第40話に於いて級友達とのささやかな夕食会でキリヤの想い出が過ぎり、なぎさが無言で気遣う視線を向ける場面があります。 更にその夜の寝室ではなぎさと共にプリキュアの日々を振り返り、「別れもあった・・・」 と呟くのです。 表には出さぬものの、キリヤとの日々及びその別れの一件は背負って行かねばならず、またそうすべきものとの意志を固めているようです。
 キリヤとの再会は第44話で、次元の狭間から予言を伝えるためだけに陽炎の如くほのかの前に現れ、揺れては消えます。 真の再会は第47話、ドツクゾーンフィールド最終決戦のプリキュアを助けるべく登場して危機を救います。

 最終話、ほのかはキリヤと瓜二つな人間の少年を街で見付けます。 それはキリヤの転生であるのか別人であるのか、そこまでは語られていません。 それがどちらであるにせよ、彼女は在りし日の入澤キリヤとの日々を懐き、更なる再会を信じて未来に想いを馳せるのです。



 ほのかが1学年上の藤Pを 「兄のようなものだ」 と説明するのは、常に自分より先に歩いてきた幼馴染みへの敬意と、頼ること可能な対象であり、こちらから手助けなどまず必要無い存在だと認識しているのでしょう。 ところがキリヤに目を向ければその言動に於いてかなり危なっかしく、持ち前の気性から見過ごすことが出来ません。

 雪城ほのかを描くに当たってキリヤの存在は極めて重要であります。 なぎさには見せることのない部分が顔を覘かせ、なぎさを求めて彼女に向けられるのとは別の愛を我々は眼にします。 並び歩む友を想い求むる情ではなく、家族愛、姉弟愛に通じるものと思えます。 兄弟姉妹を持たぬほのかにとってキリヤは助言を要する弟のようでもあり、愛しい年下少年のようでもあります。

 ほのかが見据えるキリヤは 『闇からの刺客』 ではなく、最後まで 『人間・入澤キリヤ』 です。 雷雨の堤防でそれが明かされてもなお、彼女の中でキリヤは “人” として在り続けるのです。
 仮に彼への思いが恋心であったとしても、それは第21話に於ける別れの瞬間以降でありはしないでしょうか。 皮肉な結末ではありますが、悲しみの別れで初めて彼女は体内に宿る彼への愛情を知るに至ったと思えてなりません。
 そちらの世界に行ってはいけない、行かないでくれという別れの悲痛な叫びは闇の刺客少年に向けられたものでなく、人としてプリズムストーンを託し、人として自分に別れを告げた入澤キリヤの背に放たれる愛の迸りなのであります。

 キリヤの最前線登場から暁の別れまで短期のサブストーリーですが、早々第8話にてなぎさとほのかの関係が高レベルに確立されてしまった後では、これが極めて印象強く、各話がしっかりと浮き立っています。 「なぎさとほのか」 が作品全編に渉る主軸であるならば、「ほのかとキリヤ」 という補助軸は間違い無くこの作品の前期を支えており、驚異的なプリキュア熱沸騰の一要因を成したものと思われます。

 後期第27話以降でほのかはキリヤと再会を果たすものの、そこでは別れた時の熱さというものが感じられず、また企画上それを表そうという意図が映像からも伝わって来ません。 前期の熱さは何であったのかと多少の拍子抜けを感じる側面は確かに存在します。 それはおそらく終盤にて “もうひと花” の展開を詰め込む余地が無かったというところではないでしょうか。 また前期沸騰のため早々に次年度継続が決定され、その余波をある程度被らねばならなかったのかもしれません。

 いずれにせよ、前期に於けるこの 『人の心』 をテーマとしたサブストーリーは多くの視聴者から支持賞賛されたであろう事は疑いの無いところで、視聴ターゲット年齢層には難解過ぎるとの苦情有無をさておき、大きなお友達のほのかファンには至宝の短期間ではなかったでしょうか。













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