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9月の畑にて

 残暑厳しい中、それでも季節を告げるかのように彼岸花が咲いた。 汗を拭き拭き、田圃では刈り入れも始まった。

 時間が経つに連れ、各所の台風被害が次第に顕わになってきた。 更に崩れそうで、うかうか近付けもしない箇所がある。 行政は何をしておるのかという批判も多々聞こえる。 おそらく事態の完全把握まで至っていまい。 一昔前なら近隣の土建屋が間髪入れず現状報告したものだが、どこもかしこも廃業に追い込まれたのだから、その道の人手も極めて少なくなっている。 行政の担当部署といっても、所詮は事務屋に毛の生えた程度の知識しかないので、即決で陣頭指揮出来る者など殆どいない。 第一、広範囲にヤラれ過ぎている。 手が回らないというのが実状だろう。 今度ひと雨来れば、えげつない二次災害が目に見えているものの、地元近隣の人々は不安げにそこを見守るばかり。

 東日本の甚大な災害以降、津波に対する備えがまったく出来ていないと思い知らされ、人々の不安と関心は海辺に向いた。 だが、台風による異常な豪雨災害は山から来た。 そんな筈がない、こんなのは初めてだというのは3月以降被災に遭った人達が異口同音に語る驚きだ。 生きている地球による我々に対する重大な警告であると言った人がいた。 そうなのかもしれないが、あまりに惨い。 もしもどこかの知事のように天罰だとするならば、ろくでもないヤツらだけ選んで天罰をくれてもよさそうなものだ。 罪もない子供や細々と真面目に生きる民にこの仕打ちとは、理不尽ではないか。

 そのようなことをぼんやり考えながら草刈り機のナイロンコードを巻いてセットする。 草の上に大の字に寝っ転がり、空だけ見上げればのどかなものだ。 上空をヤマガラスが並んで横切る。 ありゃあ夫婦だな。 少し遅れてちっちゃいのが追っていく。 さしずめ一粒種か。 さすがに恐竜の末裔だわな、奴等は強い。

 しばし風に吹かれてその快感に身を委ねる。
 
 The answer is blowin' in the wind ・・・ 古い歌が口に出る畑の午後。
 
 おっと、いけない、夕方までに終わらせねば。 エンジン音と共に作業を再開すれば、フォークソングはそこにない。 こういった作業時はノリがなきゃいけねぇやな、ってんで、最近の鼻歌は決まってイナズマイレブンの 「やっぱ青春」。
 オイラも気だけはなかなかに若ぇぜ。 ^^;)

 

我が家は夏の終わり

 この夏も一段落。立て続けの葬儀騒ぎあり台風襲来だのなんだので、散々な目に遭った今年の夏だった。

 親父が畑のとある部分を草刈りに行くという。 そんなに急がんでもいいと言っても 「今日は他にすることもない」 とかで、昼飯を食った後に家を出た。
 自分は農機具の整備やら次の病害虫防除段取りなどしていたのだが、異常に暑く、立ち眩みがした。 おいおい、アタマがどうにもおかしい。 三半規管がイカれたかのように真っ直ぐ歩けない。 庭の景色もちょいと傾いて見える。 こりゃあ夏バテと今日の暑さにヤラれたかなと思い、スポーツドリンク飲んで椎の木陰に座って涼んでいたら元に戻った。

 すると、親父がふらつきながら戻ってきた。 場末の酔っぱらいに見える千鳥足だ。 こりゃあイカン。 「このままじゃ畑で倒れるかもしれんと、アワ喰って戻ってきた」 と這々の体で玄関先に倒れ込むように座る。 お袋さんがおったまげ、氷水飲まして涼ませた。 同じ時刻にふらついてしまうなんぞ血は争えねぇもんだなと笑って済ませられ、まずはよかった。

 この時季、夏から秋にかけて朝夕の過ごしやすさと日中の残暑が、夏に酷使した身体にこたえてくる。 今日もどこかでゲリラ豪雨が降っているようだし、早稲の刈り入れをしたい地方もあるだろう。 日々変わる天候の移ろいから目が離せない。
 我が家では夏の終わりだが、この9月も残暑厳しいのではないか、突発的豪雨も多いのではないかと、遠くの積乱雲を眺める日暮れ時。

 

無風の炎天下

 猛暑による夏本番模様はいいが、焦げ付く暑さでなく、無風状態で湿度が未だやや高い。 そのため、草刈りなんぞしているとたまらない。 10分も経てば流れ落ちる汗が目に入って痛い。 水分を摂れば、これまた数分の後に全身の汗となって作業着を重くする。

 こういう時は朝の6時頃から始めて、10時頃から14時過ぎまで昼寝しているに限る。 野球の練習をしていた中学生が熱中症で亡くなったのだとか。 高齢者が部屋の中で亡くなったニュースも痛ましい。 くれぐれも注意した方がいい。

 電力不足の大騒ぎは今年の特徴だ。 幸いながら水不足でしょうがないという地域は少ないようではないか。 もっとも、震災や豪雨被害に遭った地域は水道断絶なのだから、違った要因で水不足が深刻だろう。 この猛暑下、早い復旧が望まれる。


 

あずにゃん並に真っ黒け

 世界経済の膿がそこかしこに出始めて、震災の復興も進まず事故原発状況は悪化の一途。 台風はやって来るわ、記録的豪雨の被害だわで二重苦、三重苦。 国民は実際に困窮し瀕死状態な上に、増税だの電気料値上げだのばかりが中央から叫ばれる。
 そんな中、近所の爺さんが突如亡くなった。 また、かつてから患っていたオヤジの従弟も他界した。 暑い喪服の夏だ。 地球も国際社会も我が国もおかしくなれば、どうやら自分の身の周りにもろくな事が起こらないらしい。
 またこのノロくてどっちへ行きたいのか訳の分からん台風が、いつまでも四国や紀伊半島の辺りをウロつきくさって、おかげで一週間というものまったく仕事にならず、なるほど気象を制すれば驚異の軍事戦略にはなるだろうよと、雨空に毒突いてふてくされる始末。

 それにしても、なんという黒さか。 鏡に映った自分の肌である。 こりゃあ、あずにゃんと勝負できるな、と思う。 缶ビールの “箱買い” に行ったら、顔見知りのレジのオバチャンに 「その腕もまぁ、ええ色になってますね」 と言われる。 夏の農繁期じゃこんなもんさと応えれば、「わかります。私も農家で生まれた娘ですから」 と頷きながら笑った。
 これでも舐めて頑張ってよ、彼女はキャンディーを三つ、私の手に乗せてくれた。 帰り道、クルマの中で口に入れてみた。 ぅへっ! 塩飴だわい、これはうまかねぇ! 手元になにもなきゃ塩でも舐めながらビール飲みな、なんて言われても、ああそうですかいと従うことは出来るが、この飴舐めてビール飲めなんて言われた日にゃあ地獄だな。 なんにせよ、猛暑、炎天下の作業では塩分補給も必要だ。 オバチャンのお心使い、ほんにありがとさんで御座いやす。

 

ヤマモモ

 ヤマモモの実が食べ頃になり、ポトポト落ち始めた。 こいつを焼酎に漬けてエキスを出すと、ほのかな色のヤマモモリキュールになる。 面倒臭いからやらないだけで、学生時代に級友が我が家から持参してくれたのは大層美味だった覚えがある。

 少々の荒れ地でも厭わぬ生命力を持つ樹で、ほったらかしにしておいても逞しく育つ。 「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」 でリオがイノシシと一戦交えながらも採取してきたヤツだ。 あれも岩場な痩せた山に生育していた。 あの設定はまんざら嘘でもない。 あんな処でもこの樹は実を付ける。
 よくしたもので、これが実を付け始めると、それまでその木陰に停めていた自転車やバイク、クルマは一斉に姿を消す。 そこに2、3日放置しておけば赤紫の斑点だらけになってしまうからだ。 雄だか雌だか見た目では分からないし、売っている苗では接ぎ木で雌雄一本にしてあるのもかなりあるらしい。 それならば花粉が飛ぶ飛ばぬにかかわらず無条件で実を付ける。

 酸味と微かな甘み、独特の香りが特徴だ。 残念ながら喰い代が薄くて少ない。 5、6個まとめて頬張らねば喰っている気がしない。 種を吹く方が忙しいくらいだ。 しかしこれも季節モノ。 こいつをガバッと口に入れないことにはまた夏が来た実感もない。

おじさまへ

 久しぶりに姉君と会う機会があった。 今年も農繁期には頼むよと言っておいた。 元来そういった土臭く汗臭い作業も厭わぬ彼女であるため、ありがたい。
 おじさまに渡してくれと娘から託されたのだと、小さな包みをくれた。 おお! これは何を隠そうローソンのチロルチョコ缶ではないか。 やるな、姪っ子。 御丁寧なことに小さな保冷剤でくるんであった。

ファイル 146-1.jpg 演芸大会の “ゆいあず”。 あずにゃんの和装、筆ペンボールペン音頭である。 あなどれぬ姪っ子。 おじさまの喜ばせ方を熟知している。 彼女がくれるメールには必ず 「おじさま」 が用いられているし、たまったものではない。
 が、しかし、この次のプレゼントにはぜひとも “峠の茶屋” 関係でお願いしたい、と単純なおじさまはニヘラニヘラとろけてしまうのであった。 なんと扱い易い“おじさま”であろうか・・・・。

厄介な夏場

 沖縄は梅雨明け。 入りも早期ならば明けも馬鹿っ早い。 全国的にそうならば季節の前倒しなのか。 その割に農作物は昨年ほど早熟でなく、お茶なども遅かった。
 梅雨そのものが空梅雨の様相ではないか。 二つの台風接近による大雨があっただけで、降水量は少ない。 幸い生活水枯渇だとか農業用水不足という声は今のところ聞こえてこないものの、炎天の季節が早くに到来となれば水の心配もせねばならん。

 進まぬ被災地復興と懸念される衛生面。 さっぱり光明の見えぬ原発事故。 夏が早く来るわ電力不足だわ、放射性物質の恐怖と飛び交う流言飛語。 政治は無茶苦茶で不安が更に増す一方。
 かなり厄介な夏場を我等国民は迎えねばならないようだ。 なるたけそのお心お静かに、ブチ切れないようにと祈るばかり。

梅雨入り

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梅雨の時期に関する近畿地方気象情報 第1号

平成23年5月26日14時10分 大阪管区気象台発表

(見出し)
 近畿地方は梅雨入りしたと見られます。

(本文)
 近畿地方は、低気圧や前線の影響で、雲が広がり雨の降っている所があり
ます。 向こう一週間も、前線や気圧の谷の影響により曇りや雨の日が多くな
る見込みです。
 このため、近畿地方は5月26日ごろに梅雨入りしたと見られます。

(参考事項)
 平年の梅雨入り 6月7日ごろ
 昨年の梅雨入り 6月13日ごろ

----------------気象庁より引用-----------


 台風の連続接近という影響でもあるのだろうが、けっこう早い梅雨入りだ。 デンデンムシもアワくってるだろう。 ただ、畑の水路沿いなどには沢ガニが例年より数多く見られる。 ひょっとすると紫陽花も去年より早めに咲くかもしれない。

 昨年の猛暑並みになるのかどうか、北海道、東北は涼しく、関東以西は暑い夏のようだ。 節電が合い言葉のように飛び交う中、扇風機が売れているのだとか。 言われてみれば、自分などは独り暮らしの身に扇風機が2台ある。 べつに2台同時にぶん回しはしないのだから、電力浪費だと後ろ指さされる覚えはない。

 盛夏の折、空調使えず、さりとて窓の開け放ちも禁止される学校の子供達は辛い。 放射性物質撒き散らかしの罪が一層重くなってくるのはこれからだ。 避難所の方々に於かれても、なんとかこれを耐え忍んで下されと、力ない国民は申し上げるしか術はない。
 

ローソンが

 クルマの税金納めにコンビニに入った。

 ぅへぇ! と驚いた。 ローソンがアニメイトのようだった。 ^^;)

 プリキュア・オールスターズのやたら賑やかな一団を見れば、プリキュアのAKB化ではないかと思い、オイラのなぎほのがかような烏合の衆に組み込まれるとは不届き至極、言語道断であると憤慨していたものだが、ローソンのアニメショップ化は悪くない。 ^^;)

 けいおん! といえばローソン。そういうイメージを浸透させているからにはしめたものである。 全国の店舗数が圧倒し、他のアニメショップには苦々しい。 ましてや昭和の雑貨屋と相通じるものがあるコンビニだけに、握り飯買いに来たニィちゃんもひょいと 「けいおんカレーパン」 など買っていくかもしれない。 コンビニ業界も、どのアニメ作品を狙うかが実に重要なポイントなのだろう。

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My Girl

 録画しておいた「My Girl」 という映画を観た。 美しい田舎町を舞台に子役が名演。 「近しい者の死」 に幼くして直面する悲しくも胸暖まる話だ。 かつて 「小さな恋のメロディ」 という映画があった。 同じ年頃の少年少女の話だが、あれは少女マンガが好んで取り上げそうな、キュートでコミカルな作品だった。 ビージーズの曲を全編に用い、さながらビートルズ映画の子供版という趣だった。

ファイル 131-1.jpg 少女を産んだ直後に母親は亡くなった。 自分が産まれたがために母は死んだ、母を殺したのは自分だと、物心ついた頃から少女は実に重いものを自らに課している。
 父の仕事が葬儀屋である故に、否が応でもあの世に旅立つ人々の姿を日々見ることになる。 毎日の遊び相手である少年と互いの血を混ぜ合わせる行為をもって “絆” とするのにも、生きている今の自分から漠然と人間の “死” を考えているのが窺える。

 ある日、葬儀屋の父の元へ美容師募集広告によって一人の女性が訪ねてくる。 父は葬送する遺体の美容師を要していたのだった。 日本で言う 「おくりびと」、納棺師である。
 戸惑いながらも死化粧に取り掛かるその美容師は、何のための化粧なのか解っていない。 こうした方が魅力的になると、街中の美容室そのままに化粧を施してしまうくだりがある。 雇い主である少女の父は 「そうではない」 と美容師を諭すのだ。

 折しもNHKだったか、震災の被災地にボランティアで出向く納棺師の女性をニュース番組で取り上げていた。生前のその人の写真を脳裏に焼き付け、死後硬直して変色した御遺体を出来得る限り生前のその人の容貌に甦らせる。技能もさることながら、逝く人に対する敬虔な姿勢がなければ出来ない仕事だろう。


ファイル 131-2.jpg 小さな少女に視点を当てた物語では往々にして妖しい小悪魔的要素が盛り込まれる。 しかしこの作品にそれはない。 母の乳房の温もりを知らぬ葬儀屋の一人娘が、人間の死に直面しながらひとつの扉を開ける。 父の再婚話や自分の身体に降って湧いた初潮の到来、そして友の死と、矢継ぎ早に自分を襲う嵐のような出来事。 静かで平穏であった世界が一変する中、現実的で生々しくもある成長過程が描かれる。

 総じて十歳前後の子供時代では少女の方が成長が早く、体つきもやや大きい。 取っ組み合いしても少年の方が劣勢であったりする。 主役の少女も然りながら、相手役の子役少年がいい。 奔放な少女のペースに少年は振り回され、後ろを付いて回る弟のように見える。 それがリアルで微笑ましく、遠い昔の郷愁を呼ぶ。
 初潮に驚き、性についての教えも受けるが、身体の成長と知識を得た事によって反射的に相手の少年を退け突っぱねる辺りは、これを観る者が女性ならばおそらく頷ける行動ではなかろうか。

ファイル 131-3.jpg 子供ならではの律儀さを持つ少年は林に入り、少女が落として失くした指輪を彼女のために捜す。 そして帰らぬ友となる。 棺にすがる少女の姿に貰い泣きせずにはいられない。
 母が逝った時の状況を知らず、葬儀という儀式は父の仕事であって、厳かながら淡々とした業務の流れに映っていた。 友の急死によって少女は失うことの悲しみを、取り残される者の苦しさを初めて知る。 思春期に踏み入った少女を通して、人が生き、人が逝くとはどういう事であるのかを切々と説くような、重みある一作である。