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えべっさん

 無風快晴。これはいい、土壌改良材を撒くに最適だ。なに、ややこしい話ではない、ペーハー調整が主たる目的だ。
 真冬ながら汗を掻く陽気。日もめっきり長くなった。夕陽を浴びながら野良から帰途に就く時間は、夏冬問わずに好きである。今は夏のようにヒグラシが鳴いてくれないから風情はまるっきり異なるが、沈みかけの陽に紅く染まる葉のない雑木林もオツなものだ。

 近所の田の稗付近をイノシシがほじくり回した跡が見受けられる。沢ガニが目的なのだろうと人々は言う。あれのまだ幼いヤツは唐揚げにするとビールの摘みにはなるから、それはシシとて喰いたかろう。

 毎年の自分の行事で、十日えびすの宵えびすに行って福笹を買ってきた。甘酒を振る舞ってくれていたので、もう一杯くれと頼んで都合3杯も戴いてきた。ショウガの利きが良くて暖まる。寒いけれども、年の初めであるなと実感する。

 今日の夜遅くなって、舛成孝二、倉田英之の 『かみちゅ!』 がNHKで始まった。BS-hi でないのがちと気に入らないものの、この民放作品を流用したのには充分な合格点。弁天さんはメジャーバンドで登場するが、えべっさんは何かのエピソードに絡まっていたかなと上目遣いで想い出して見るも記憶にない。この度の再放送でそれとなく気にとめながら楽しむことにしよう。

旧友との話に思う

 何年かぶりに小学校時代の友人と電話で話した。彼は住宅のリフォーム関係の仕事に従事しつつ自宅では蜜柑百姓でもある。年寄りの財布は堅く、自宅リフォームも一時期の熱さはない。仕事は蜜柑百姓が8割だと言う。TV番組で一時人気を博した匠のリフォームなんていうのはごく一部の夢物語にしか思えず、加えて政治の愚行が続く世では年寄りも銭をはたかない。我が家を改装したいという老人は少ない。かといって若夫婦に資金力はなく、子ども手当をくれるのなら生活費に回すのが関の山だ。

 山椒は蜜柑の部類である。よって、そこに群がる害虫も似通っているから旧友とはおのずと話が通じる。地球温暖化の話にも及び、相手が目の前で飲んでいるかのような錯覚に陥る程に話は長くなる。
 カラスが大挙やってくるのが最も困るらしい。沈没寸前の旧海軍戦艦に押し寄せるグラマンの如く、打つ手無しの喰われ状況だと嘆く。人間の軍隊に引けを取らぬ作戦行動を彼等は持っていると力説する。それだけではない、イノシシも畑をほじくり回し、タヌキやアライグマはやりたい放題。けっこう沢山作っているらしい柿も今年は色付く前にサルの群れがやってきて全滅状態だそうである。その土地に根付いた百姓の営みを根本的に考え直さねばならないと言う。

 お前の処は鹿が来ないだけそれだけでもマシだろうと言ってやった。あれが来ると葉モノは若いうちにみなイカれてしまう。菜っ葉が一部工場生産され始めているように、いよいよその他の山間百姓はドームでも作って月面基地のコロニーのような農業を強いられそうだなと互いに笑った。

 おそらくこれらは地球規模の原因である。しかし、エルニーニョがどうたら二酸化炭素濃度がどうたら言うのは土を触ったこともない学者の話で、現場の百姓はその季節に吹く風が来ないとか、降るべき雪や雨がおかしいという蓄積された経験感覚で異常を感じ取っている。相変わらずの米国を始め、中国やインドが急激な近代化に伴い汚染物質を放出しまくるのであれば、地球も二次曲線並の気候異変は加速の一途で、特に農林水産の第一次産業は更なる過酷な環境試練に向かわざるを得なくなるだろう。

 百姓は平地の大規模農家だけ残れば良し、僻地山間部は捨てればいいというのも一案だ。農水省の政策はその方向であるように思う。対外的な戦闘能力を底上げするにはそれもあろう。だが、大規模効率重視というだけではあの広い国土を持つ北米、ユーラシア、オーストラリアの各大陸を相手どった勝負にはなるまい。我が国の大規模農業とは桁が違い過ぎるではないか。単なる食料でなく投資対象でもあり、なんたらメジャーなどというロクでもないのが多々蠢く世の中でもあるのだ。
 値が安いという経済観念だけで消費者は動いていまい。我が町にも産地直売場がある。休日は大都市ナンバーのクルマが鮨詰めだ。いくら休日高速料金が安いとはいえ、早朝からガソリン炊いて遠方まで買いに行き戻る全経費を考えれば、疲労も考慮に入れてひとかたならぬ消費量になる。それでもまともな、安心できるものを喰いたいのである。昔ながらの味を求める傾向もある。

 世界はその民人の趣向と異なり、何かはき違えていそうな気がする。大英帝国が始めた大量生産コストダウンの思想は世界の工業を今日にまで至らしめた。しかし今の世をよくよく見てみれば全く中身のない物のやりとりに思えてしょうがない。つまりは実際そのものに手を触れた事もない者によって値も流通経路も品質管理も左右されるのだ。こんな世界はおかしい。資本主義社会の道程とはかくなるものであるのか。

人々の苦労を尻目に

 ひどく荒れ模様の年末年始だったらしい。幸いにも我が地方はそれこそロマンチックな程度に雪が降った程度で、交通にも支障なかった。

 イノシシのプッシュによって損傷した情け無い柵でも直そうかと思ったが、まずは正月なのだから飲むのが先だと、座り込んで飲んでばかりいた。TVをつけてレールガンの一挙放送を流しつつグビグビやっていたら、女共がギャアギャアやってきてチャンネルをくだらんお笑い芸人番組に変えられてしまった。呆れ果てたものである。
 庶民は完全に吉本とジャニーズに毒されておる、と憤慨しつつ台所へ行って餌を探した。これではまともに国家を考える人間など少なかろうというものだ、この国民のていたらくあっての無能政府であるなどと、人気アニメさえ見ていれば国家が良くなるのだとでも言いたげに正月からブツクサ呟く。いささかの酩酊があるとはいえ、歳をとったか、我ながら哀れみが漂う。

 酒を飲むヤツは疎んぜられる。座して飲み始めると延々終わり無く飲みたがるからだ。自分はそうならぬよう心掛けているつもりではあるが、正月は別だ。新年を迎え、めでたいのである。また、よそ様にお邪魔していつまでも帰らぬ悪しき客人とは違う。我が家で正月に飲んで何が悪いと居直っている。我が家の神と共に飲むために正月というのがあるのだと信じている。祀るという行為は神と食事を共にするのだと偉大なる民俗学者・柳田國男も著作で述べているではないか。

 元旦の朝は大勢がん首うち揃えて雑煮を戴き、年酒じゃとばかりに酒を飲む。お屠蘇というヤツも出してはくれるが、自分はメジロが啄むぐらいしか口を付けない。世の中にこんな不味いものがあるのかと思うほどに嫌いなのだ。
 ではご馳走様でしたと皆は散る。自分は一人でまだ居座って飲んでいる。贅沢は言わない。カマボコの端っきれや沢山煮すぎた豆などがあれば充分なのだ。TVを女共に占領され、箱根駅伝は元日でないし、新聞に目を通しながらお茶の代わりに酒を飲み続けている。そのうち昼の支度が始まると何かしら包丁捌きの端っきれが貰える。時々、この味はどうかと味見もさせてくれる。まるで料理人の親方か花板兄ィの気分でもある。うむ、美味じゃ、祝着じゃ、と答える。

 昼になり、再び皆が揃って酒盛りが始まる。年賀状がどうたら去年の実入りがどうたら、あそこの爺ィはもう動けないらしいだの、どこそこの娘が子連れで戻ってきただのという話が飛び交う。近くの温泉へでも行こうかとか、初詣に行かねば、などの話が出ると、自分の体内にはもう1升近い酒が入っているから当然飲酒運転は出来ない、その方らの誰ぞが運転せいと言い、これだから酒飲みは役に立たないと罵りを受ける。
 皆の箸は速い。あっという間に食卓のものが消え失せる。それでも自分はマイペースを崩さない。相変わらずの調子で飲み続ける。再び皆が散ってしまってもそこにいる。このまま夜まで飲み続ければマントヒヒのような尻ダコが出来るかもしれん、とふと思う。

 史実は別として、物語の赤垣源蔵も兄嫁に疎んじられている。飲んで座り込むと長く、いつまでも帰らない義理の弟だからである。それを考えれば、自分などは「飲み始めると役に立たぬ」というだけで、邪魔者扱いされぬ分マシである。アイツには酒だけくれておいてやれば世話はない、そう扱われている以上は人々の苦労を尻目に幸せな正月ではないか。

余計なお世話

 アニメではクリスマスに雪を降らせなければならない。ところがこいつは豪雪だとあまり具合良くない。多くの作品を見ていれば、舞い落ちて来るが積雪には至らない程度がベストらしい。膝まで積もって歩けやしないのでは、ロマンチックを通り越して厄介な環境でしかない。街灯に明かりが灯り、雪舞う歩道に寄り添う恋人達とまではいいが、その横をグレーダーやタイヤショベルがぐぁーと雪を掻き、オラオラどけどけ除雪の邪魔でぃ、なんて叱られたのではあまり好ましい甘蜜の雰囲気でない。こういう場合はさっさとホテルへしけ込んだ方が賢明だ。

 東北では雪が降り続く傍ら、太平洋側では豪雨だとか。勘弁してくれ、もう年の瀬だぞと言っても気象の現実は容赦無い。師走のとんでもない豪雨は自分も経験したことがある。張った氷の上に 200mm もの雨に見舞われた。長い年月にはそういう事もあろうかと思ったものだが、近年の頻度は増しており、これはもはや異常ではなくなっているのかもしれない。

 クリスマスの恋人達よ、濃厚な抱擁と口吻に身体を火照らすのはそれはそれは良きものながら、待ち合わせ前に気象情報だけは確認しておこうではないか。天候がこれだけ芳しくないと、シティホテル、ラブホテルだけでなく安旅館までもが混み合いそうだ。一人暮らしならばいっそどちらかの住まいで一夜を過ごす事をお勧めしたい。 なに? 余計なお世話だ? 左様で御座るな、これは申し訳ない事で御座った。

色付いたお山

 お山が美しい。四季のある環境は贅沢だろうか。肌寒い大気温になってきたものの、お山の色にしばし見入り、佇んでしまう。山道をクルマで走ると枯葉絨毯の上を転がすことになる。なんとなく勿体無い気がして、静かに走らせる。
 常緑も悪くはないが、落葉樹を好きである。周囲一面を満たす枯葉を踏みしめると、こいつらも共に一年を繰り返し繰り返し生きているのだという実感を得るからだ。

 貴公は顔に似合わず詩人ではあるな、と大先輩の一人に言われたのを想い出す。この道に舞い落ちた枯葉はクルマが通る度に脇に寄せられ、側溝に入る。雨が降れば尚更側溝に流れ込み、雨水を詰まらせる。それを人々は掃除しなければならない、とおっしゃる。
 いやいや、それでも太古の昔から人は秋の落ち葉と共に暮らしてきたのですから、いいではありませんか。最近では滅多に焚き火などさせては貰えないけど、落ち葉は火燃しにも重宝でしたしね、などと言いながらその人を見れば、腕組みの手を外して腰の後ろを叩き、しかしな、いずれ貴公も解るだろうが、歳を喰ってくると溝の掃除も腰が痛いんだぞ、と笑った。

 時告げ砦のラッパ吹きではないが、お山の色は確実に季節を告げてくる。毎年この時季、お前達の冬支度は順調なのかい? 何か忘れちゃあいねぇのかい? とでも訊いているようである。クマもシシもそりゃあ困ってンだぜ、とでも言いたげに思えるのは今年ならではの特徴か。

それが答えだ!

 ホームドラマCh でフジの 「それが答えだ!」 が始まった。 97年に放映されたドラマで、当時は毎週楽しみにしていたものだ。 「科捜研の女」 とか 「相棒」 などでお馴染みの 戸田山雅司 の脚本による作品。
 三上博史や萩原聖人、藤原紀香らの面々はみなさすがに若い。 羽田美智子だけは今もあまり変わらない気がする。歳を召さない御尊顔かもしれないが、この女優の醸す色香は当時も今も変わらず若々しいということだろう。今やワイドショーの司会者という印象が強い麻木久仁子も羽田と同じ教師役で出ている。 ベビーフェイスの藤原竜也は男子生徒役。彼も現在とあまり変わらない。若く見える風貌が持ち味の俳優と言えようか。

ファイル 47-1.jpg 深田恭子がセーラー服の中学生少女を演っている。演じるのが初めてなのか、お世辞にも上手いとは言えず、棒読みに近いセリフでもある。ただ、洗われてもいない素人の深キョンという点ではマニアにとって貴重な出演作ではあるだろう。悩殺のフトモモを晒してくれたドロンジョ様と比べれば、失礼ながらそのおみ足も平均的な中学少女らしく象さんの足を思わせる。 ああ・・・年月というものは偉大である。

ファイル 47-2.jpg 先頃亡くなった谷啓が校長役で、これがいい。田舎の中学校らしく校舎裏手でヤギを飼っており、それに草を食べさせている場面などはいかにも長閑で、暇そうな田舎校長そのものである。こういう情景に惹かれる。
 田舎といえば、ロケ地が大変美しい。山梨だという話で、やさぐれのマエストロがボート浮かべて釣り糸垂れる寂静とした湖は富士八湖のひとつだと言われている。別荘も池田商店も喫茶店も中学校も、緑に囲まれたその雰囲気、満点である。中学生オーケストラなら村興しになるという発想も、ここなら生まれて不思議でないように思えてくる。因みにマエストロの別荘住所は 山梨県北巨摩郡八木山村大字中沢字上八木132 となっている。勿論、実在する住所ではない。

ファイル 47-3.jpg 言うまでもなく、村人はみな純朴で野心がない。この前から山の上の方にある怪しげな別荘によく分からん男が住み着いている。電話で注文があるから雑貨商の池田商店はせっせと食材や日用品を配達するが、ツケは溜まりっぱなしで一向に払ってくれる気配はない。それでも放蕩三昧な生活の様子に 「アンタ、缶詰ばっか喰ってちゃいかんよ」 と自家製ラッキョウ漬けをくれてやる。元より音楽界などにおよそ縁のない村人の生活である。その男がクラシック音楽界の世界的マエストロだと誰も思い付かないどころか、知りもしない。別荘に籠もりっきりの 「山の上の怪人」 と噂されるに充分な環境と要素である。

ファイル 47-4.jpg 若くして世界のマエストロに祭り上げられた男は世界の頂点に君臨するかの錯覚に陥れられ、我が儘で刺々しくプライドだけが異常に高い。思うようにならぬ苛立ちが別荘内の家具に当たり散らせもするが、池田商店差し入れのラッキョウ漬けだけは放り投げられない。ここに物語の本質が見える。
 異世界から貧乏村にやってきた世界的音楽家が村の子供達のオケを作り上げる話ではあるが、世界を股に掛ける一人の男と山村僻地に暮らす村人との世界観、人生観のぶつかり合いがこのドラマの神髄たるところだろう。

 当時の視聴率はどうだか知らない。自分が大層気に入っていたのでもう一度見たいと願っていた。ネット上を探せば端々が細切れに拾えもしよう。しかしDVDにするのでもなく、再放送もされなかった。
 生徒役の一人であった少年による校内傷害事件が障害となったらしい。出演当時ジャニーズJr だったそうなのだが、辞めた後よからぬ徒党を組んでいたらしく、女性教諭に暴行を働いて素行不良が明るみに出た。
 それ故の作品封印ならば迷惑千万である。作品に罪はない。のりぴー出演のドラマも再放送されるとかされたとか。一定期間封印することが作品権利を保有する側の禊ぎという訳か。 どうであれ、今回放送されるのはまことにありがたい。

CR2032の交換

 先日、PC 起動時にBIOS情報以外にやたら長く ぐだぐだ表示され、F1かF2を押しやがれと迫ってきた。なんだと、この野郎、エラソーに、主人を誰だと思っていぁがるんでぃ、とF1で立ち上げてみたものの、時計は狂っているし、尋常でない。なんだぁ? 何が面白くねぇんだコイツはぁ、と再起動させても同様だった。

 時計をセットし直しても起動の度に狂っているというのは、おそらく電池だろうなと思い、そう言えばもうかれこれ何年になるのか、おめぇさんとも長ぇ付き合いだわなぁと、今度は一転さすりながら中を開け、マザーにある電池仕様を確かめた。この夏に中を掃除してやったばかりだからホコリも吸い込んではいず、きれいなものだ。

 器用だと自負する我が指の爪先で外せまいかと試みるも、ガラステーブル上のコインを摘み上げるように簡単ではない。そこにはめ込んで固定しているのだから当たり前だ。そりゃまぁそうだわな、オイラがマザーボード屋でもそういう作りにするわい。溜息つきながら、確かあった筈だと精密機器用の工具セットを探す。
 しかし見当たらない。そこらを引っ掻き回すほど肝心なものは出て来ず、なんでこんなもの大事に置いているのだという不要物ばかり目に付く。これではハルトマン中尉を笑えない。仕方ないので台所から爪楊枝を持ってきて少しこじたら見事に外せた。
 新品の電池を買ってきてはめ替えてやったら完治した。すこぶる快調、正直なものだ。人間や動植物ではこうも簡単にはいかない。時告げ砦の整備士ノエルのセリフもごもっともだ。

 翌朝目覚めて虚ろに書棚へと視線を這わせていたら、雑書の端に見覚えあるものが挟んである。安物だが紛れもなく精密機器用の工具セットだ。てめぇ、馬鹿野郎ゥ、今頃ノコノコ出てきぁがって! 道具に文句言っても始まらない。誰のせいでもありゃしない、みんなオイラがわるいのか・・・。尾藤イサオのえらく古い歌が身に浸みる。

それぞれの秋

 雑貨屋のオバサンの店にピーナッツを買いに行った。あまりめぼしい物のない店だが、ここで扱っている殻付きピーナッツは小ぶりながら国産表示で味も香りもそれなりにいいのだ。中国産のは安くて豆がデカイものの味が悪く、煎り方が違うのか、あの独特の香りもない。

 この店ではタバコも売っている。そのタバコ陳列棚の前に初老の男が二人、丸椅子に腰掛けて店のオバサンと談笑しつつ缶コーヒーを飲んでいた。話を聞いていると、タバコ値上げの愚痴らしい。例に漏れず、先月末にはこの店でも値上げ前の駆け込みまとめ買いで大わらわだったらしい。月が明ければあの騒動が嘘のようで、今ではカートンで買う客などまだ一人も現れないそうである。

 オレはこの際タバコをやめた、と一人の男が言う。 ケッ、いつまでもつか見ものだわい、と相方が突っ込んでいる。オレなんぞはやめるのをやめたのだと、むしろ偉そうだ。しかし話が進んでいくと、その男もカミさんに五寸釘を刺されているそうだ。それだけ吸い続けたければ勝手にせよ、その代わりに酒代を半分にすると通告されたらしい。一家の財務大臣なら当然の処置だ。

 面白いので外野から投げかけてみた。 それでは、タバコと酒を天秤に掛ける判断を迫られたということですか? と問うと、その通り、どちらかを泣けと言われればオレは酒の量を我慢できる、と苦笑いしながらの返答だ。
 すると禁煙宣言の男がぐいと肩をせり出した。オレは酒の方が大事だわい、ただでさえみみっちい飲み方で辛抱しているというのに、これ以上酒代減らされちゃ生きて行けやせんわな、と切実な話だ。なんだか二人とも可愛らしいオジサンに見えてくる。

 総合的な判断では禁煙宣言の男に理がある。タバコは百害あって一利無し、酒は百薬の長だ。タバコなんぞやめて旨酒に回した方が賢明だ。口が寂しければ松坂大輔みたいにニボシでも囓っていれば健康的だろう。そうすれば家族は喜び職場の者にも歓迎されようというものだ。 ただ、お二方が愛すべき中年男達だったので、それは言わずにおいた。談笑している人々になにも外野から波風立てる必要はない。人生色々、人それぞれの秋なのだ。

やれやれ・・・

 あちこちで稲刈りが始まった。大別すれば今年は北海道の一人勝ちじゃないかとも言われている。内情は解らぬものの、田圃を道端から眺める限り例年と変わらないように見える。おそらく北陸や東北の気象条件が良くなかったという事なのだろう。
 あれは農家の奥様なのか、農地にお馴染みの出で立ちで女性がコンバインに乗っかって器用に操る。等幅の溝が二つ。あれは4条刈りだな、などと眺めていると、なんだあの暇そうなヤツはと思われそうだが、こちらはこちらで早朝から一仕事終えてクタクタなのだ。

 風もなく、雲もない好天気。こういう陽よりは葉病予防の薬剤散布をするに好都合。予定範囲を昼過ぎに終える。動力噴霧器を洗浄するに水を飛ばしていたら、やや西に傾いた陽に照らされて虹が出来た。美しいからしばし見入って水の噴霧を続ける。まるで子供だな、とは誰も言わない。かき氷アイスを掻き込みながら、みんな眺めている。昼飯も喰わずにやっつけた、一段落の安息である。

備え

 太平洋高気圧の衰退に伴う台風襲来の頻度増が懸念されるという話もある。少しは降ってくれなければ各地の水ガメが底を突いてしまう。しかし暴風雨はありがたくない。

 来てしまうものはしょうがない。先人達は“襲来するもの”として台風を受け入れてきた。今の我々は衛星画像で刻々情報を得ることが出来る分、備えの点ではるかにマシではないか。
 TVでは報道アナウンサーがメット被って海岸線で風雨によろけながら、初めて台風を目の当たりにするような叫声と共に馬鹿丸出しパフォーマンスを演じている。備えや避難への喚起という点では効果的かもしれない。仕事とはいえ、台風にはしゃぐ子供みたいに大袈裟な中継は御苦労なことだ。

 近年の電力供給はループになっているから、停電してもすぐさま逆方向から回ってくる。昔みたいに何時間も停電という事態はあまり無くなった。懐中電灯はあるものの、中を開けたら単一の電池が無かった。乾電池は家電機器のリモコンか二束三文の壁掛け時計ぐらいにしか使ってない。単一などまず買っておくことはない。

 それよりもキャンドルが目に付いた。丸っこいのやら太い円柱形やら、六つも七つも出てきた。貰い物もあり、何をトチ狂ったのか自分で買ったのもある。当時はこういう灯火に浸りたい気分になったのだろう。ARIAカンパニーの二人もキャンドルを並べていたな、と思い出す。

 実際、停電となって持ち歩くのには懐中電灯の方がいいに決まっている。キャンドルはとりあえず手に取り易そうな場所へ出しておくことにした。全ての騒ぎが静まってそれでも停電が続く場合、それではとばかりおもむろに要所へ据え置けばいい。