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人々の苦労を尻目に

 ひどく荒れ模様の年末年始だったらしい。幸いにも我が地方はそれこそロマンチックな程度に雪が降った程度で、交通にも支障なかった。

 イノシシのプッシュによって損傷した情け無い柵でも直そうかと思ったが、まずは正月なのだから飲むのが先だと、座り込んで飲んでばかりいた。TVをつけてレールガンの一挙放送を流しつつグビグビやっていたら、女共がギャアギャアやってきてチャンネルをくだらんお笑い芸人番組に変えられてしまった。呆れ果てたものである。
 庶民は完全に吉本とジャニーズに毒されておる、と憤慨しつつ台所へ行って餌を探した。これではまともに国家を考える人間など少なかろうというものだ、この国民のていたらくあっての無能政府であるなどと、人気アニメさえ見ていれば国家が良くなるのだとでも言いたげに正月からブツクサ呟く。いささかの酩酊があるとはいえ、歳をとったか、我ながら哀れみが漂う。

 酒を飲むヤツは疎んぜられる。座して飲み始めると延々終わり無く飲みたがるからだ。自分はそうならぬよう心掛けているつもりではあるが、正月は別だ。新年を迎え、めでたいのである。また、よそ様にお邪魔していつまでも帰らぬ悪しき客人とは違う。我が家で正月に飲んで何が悪いと居直っている。我が家の神と共に飲むために正月というのがあるのだと信じている。祀るという行為は神と食事を共にするのだと偉大なる民俗学者・柳田國男も著作で述べているではないか。

 元旦の朝は大勢がん首うち揃えて雑煮を戴き、年酒じゃとばかりに酒を飲む。お屠蘇というヤツも出してはくれるが、自分はメジロが啄むぐらいしか口を付けない。世の中にこんな不味いものがあるのかと思うほどに嫌いなのだ。
 ではご馳走様でしたと皆は散る。自分は一人でまだ居座って飲んでいる。贅沢は言わない。カマボコの端っきれや沢山煮すぎた豆などがあれば充分なのだ。TVを女共に占領され、箱根駅伝は元日でないし、新聞に目を通しながらお茶の代わりに酒を飲み続けている。そのうち昼の支度が始まると何かしら包丁捌きの端っきれが貰える。時々、この味はどうかと味見もさせてくれる。まるで料理人の親方か花板兄ィの気分でもある。うむ、美味じゃ、祝着じゃ、と答える。

 昼になり、再び皆が揃って酒盛りが始まる。年賀状がどうたら去年の実入りがどうたら、あそこの爺ィはもう動けないらしいだの、どこそこの娘が子連れで戻ってきただのという話が飛び交う。近くの温泉へでも行こうかとか、初詣に行かねば、などの話が出ると、自分の体内にはもう1升近い酒が入っているから当然飲酒運転は出来ない、その方らの誰ぞが運転せいと言い、これだから酒飲みは役に立たないと罵りを受ける。
 皆の箸は速い。あっという間に食卓のものが消え失せる。それでも自分はマイペースを崩さない。相変わらずの調子で飲み続ける。再び皆が散ってしまってもそこにいる。このまま夜まで飲み続ければマントヒヒのような尻ダコが出来るかもしれん、とふと思う。

 史実は別として、物語の赤垣源蔵も兄嫁に疎んじられている。飲んで座り込むと長く、いつまでも帰らない義理の弟だからである。それを考えれば、自分などは「飲み始めると役に立たぬ」というだけで、邪魔者扱いされぬ分マシである。アイツには酒だけくれておいてやれば世話はない、そう扱われている以上は人々の苦労を尻目に幸せな正月ではないか。