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じぇぇ~ん!

 酒席の噂話によれば、TV芸能界では一定の周期法則みたいなものがまことしやかに用いられているのだとか。 だいたい10年一区切りで考えてかつての作品を流せば視聴者をそこそこ釣れるのだそうだ。 そのくらいの間隔を置けば程良い懐かしさも新鮮さも提供できるらしい。 もっともそれは随分と昔の噂話で、現在のようにCSもネットもある時代ではあまり意味をなさない。 リクエストが多ければ繰り返し繰り返し何年でも続けて放送できる。 勿論、作品にはそれなりの勿体を付けておかねばならないから、安っぽくなるまでは繰り返さない。 何事にも “さじ加減” というものが必要だ。
 TVアニメに関しても10年経てば結構懐かしい。 当時ハマり込んでいて録画しまくったという作品は別にして、なんとなく飛び飛びに見ていたとか、当時は視聴できる環境になかったとかいうTVアニメの再放送はけっこう貴重である。

ファイル 97-1.jpg KIDS で 「パタパタ飛行船の冒険」 が始まった。 深夜だが懐かしいので毎日予約録画させておいて寝る事にした。 早朝、目覚まし代わりにこいつを見るのだ。 当時は衛星の放送なんぞまるで別世界の生活をしていた。 これは飲み連れの誰かに録画テープを見せて貰った記憶がある。 おそらく陽気な歯の技工士さんではなかったかと回想する。

 確か、ラピュタのような、世界名作劇場のような、またそれを合わせたような印象がある。 ジュール・ヴェルヌを題材にしていたからナディアと同じ匂い、小学生の頃にワクワクしながら読んだ冒険SF小説そのものだったと覚えている。
ファイル 97-2.jpg NHKは 「かみちゅ!」 を流していることだし、この 「パタパタ飛行船の冒険」 も使ってはいかがか。 ジュール・ヴェルヌは既にナディアでやったから、似たようなのはお断りとおっしゃるか。 少なくとも 「アリソンとリリア」 とは違った面白さがあるだろうと思うのだ。 八百長大相撲の中継を延々流して人々から叱責を浴びるより、多くの子供達に喜んで貰えた方がいいではないか。 ジュール・ヴェルヌは実際に面白い。 彼の書いた物語は小学生の夢を育むに必需だと断言していい。

 バクストン家のジェーンお嬢様が良いのだ。 概ね話の筋は覚えてはいるが、今またこうやって放送が始まると朝の目覚めが少々待ち遠しく感じられる。 ジェーンよ、年寄りの爺がお供では大変だろう、この私が見守ってやるぞと、しばらくは毎朝彼女と一緒に冒険することにしよう。

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INDEXⅡ 第19話

 人の情は争えるものではない。既に彼の体内に宿っていた己以外に注がれる守るべきものへの愛情。身を賭して最後の力を絞り出させたのは、鬱陶しいほどまとわりついて離れぬその小さな天使を救わんがためだった。

 組み合わせからしてかなり興味深い。見た目が更生を求められる不良少年とその妹のような両名。この世をたった二人で生きてゆくかの如き寂寞感が、都会のそぼ降る雨の夜に表される。
 この第 19 話、繰り広げられる幾多のシーンに被せられる雨の映像が実にいい。動画テクニックもここまでになっているのだなと、少々驚く。

ファイル 93-1.jpg 臑の消毒をせがむミサカに一瞬見せるアクセラレータの表情は、妹に向ける兄の眼差しではなかったか。杖に頼りながらぎこちなく歩く兄の後ろを、トボトボついて行く小さな妹の姿。 真横からのこの映像は宵闇の街灯に照らされる濡れた路面越しに描かれ、両名のやるせない境遇が印象付けられているように映る。お互いに舐め合ったところでどうなるものでもない。悪夢の過去をただ背負い、歩く術を探っている。

 己がもどかしい。 舌打ちばかりが口に出る。 消毒剤と絆創膏を買いながらも、その行為に至っている不穏な自分自身に対して怯えがある。 なんと魅力的なキャラだろうか。 じゃんじゃん黄泉川がここにいれば、ポンと肩でも叩きそうではないか。 見る者の感情はアクセラレータに惹き込まれ、そのまま反動的に 「きぃ~はら君」 への憎悪と化す。 こんな下衆野郎を叩きのめせないのかという苛立ちが湧き上がる。
ファイル 93-3.jpg ラストオーダーの名を呼んで、その小さな身体を敵の拘束から解き放つべく最後の一撃に賭ける姿はもはや勇者である。 ピクリと応えるチビミサカは確実に彼の意志を受け取っただろう。 あの人を助けてくれと泣いて縋るずぶ濡れ天使に、当麻君の右手は応えることが出来るだろうか。

 小さくあどけない子供達に大人が変えられてゆくというのが 「とある」 シリーズ根底に一本の柱として存在する。木山春生はその典型であるし、インデックスを子供と捉えれば当麻君との兼ね合いも似た部分がある。 また要所でいい働きをしてくれる小萌先生も見た目は子供そのものである。 勿論、当麻君もアクセラレータもまだ若い発展途上少年なのだが、彼等からすればインデックスもラストオーダーも充分に子供たり得、自分達はいっぱしに大人ぶっている。
 「なのは」シリーズの底に流れ続けた母と娘の愛情は、プレシア・テスタロッサの特異な存在を除き、母と娘の双方から互いのベクトルが絡みを見せた。 それとは異なり、「とある」 シリーズでは子供達の自然体が大人に多大な影響を与えているのが特徴に思える。

 ならず者、嫌われ者な男が、屈託無い少女に心開かされるというそのテの話は好きである。 それなりの段取りを踏んで事に当たるという回りくどさを嫌がり、力ずくで勝手気ままにその場の快楽へと身を投じがちな姿は、文字通り聞く耳持たぬ乱暴狼藉者なのだが、相手を推し量ることもなくずかずか踏み込んでくる子供の純粋さだけは対処しようがなく、払い除けも出来ない。 アクセラレータにとってこのチビガキは本家本元のレールガンやシスターズの数倍も始末に悪い。 チビミサカはハイジ、アクセラレータは山小屋の偏屈おん爺のようなものにも見えてくる。

ファイル 93-2.jpg 面倒だからと、すらっ惚けていればますます図に乗って攻め込んでくる。 第一、ちょこまかうるさい。 この男風に言えば、じゃれつきネコのような理解不能の生き物なのだろう。
 薄れ霞んでゆく視界の中、僅かに残っている意識を満たしているのはそのチビガキの安否である。 もう誰でもいい、あのガキだけを守ってくれとの願いだけである。 このオレ様がなんてこった、なんであんなガキの事しかアタマにないのだと、苦笑いを浮かべる力さえ残っていない。 ああどうかこの不器用な兄貴を救ってやってくれと祈るばかりの第 19 話である。

INDEXⅡ 第18話

 ほんにまぁ、こっただえれぇモンどうやって使うだか? そうじゃそうじゃ、おい、ひとっ走り小学校行ってセンセ呼んで来いや、どうすりゃ動くだかさっぱり解ンねぇべさ・・・・・。

 その昔、三種の神器なる家電が田舎の町にも浸透し始めた頃には、全自動洗濯機を前に右往左往する神裂やオルソラ達と同じ光景がそこかしこで見られたことだろう。
 主電源が入った、それではと早速何か洗ってみたい。その衝動は今無理して洗わなくてもいいものを洗うはめにしてしまう。ここではありがたいことにシスター達が何の躊躇いもなく脱いでくれたが、昔の我が国ではおそらく子共達が裸に剥かれたのだろう。タライに洗濯板、そこへ砥石のようなでかい洗濯石鹸を擦り付けてゴシゴシやることもない。おおまさに神器じゃ、と人々は驚嘆の声を上げた。

 シスター達の黒いガウンや被りものは手で洗うに結構大変そうに思う。川で洗えばいいという発言から察すれば、川辺の石の上にべちゃっと置いて、そこらで拾ってきた流木でパンパン叩き洗いすることもあったのだろうか。着替えもなく下着裸でそれをやるとなれば道行く我々は目の保養をさせて貰えるが、藪の中から強姦魔でも飛び掛かってきたのでは助かったものではない。
ファイル 89-1.jpg 洗濯物として扱うに、彼女等のガウンはかなりかさばりそうだ。この自分の洗濯機なら2人分洗えるかどうかである。シスター4人分に神裂の帯を放り込んだとなれば、この機種はかなり大型なのだろう。下着姿となりその真白き肌を惜しげもなく視聴者に披露しつつ、取説に頼りながらもその機械本来の機能発揮にまで漕ぎ着けた彼女等には、厚く御礼申し上げると共に、絶大なる拍手を送って差し上げようではないか。

 宵闇に長剣を一閃煌めかせる精悍さも仁王立ちする凛々しさも、ここの神裂にはまるで無縁である。ゆかたの帯を奪われ、すっぽんぽんの裸体を曝して羞恥に赤面するおどけ役だ。真夏の花火大会に我等の目を惹くゆかた女性達はみなこのように下着を穿いてないのかと鼻の下伸ばす想像は、残念ながら当たっていない。妖しい羞恥をわざと求めるそのテの性癖を持つ人は別として、疎々たるゆかたや着物姿の和装麗人に今時下着無しの人はまずいまい。最近の下着はそのラインが表に浮き出ないようになっているのだ。
ファイル 89-2.jpg 冒頭に於けるアークビショップのあらわな濡れそぼりから始まって、シスター達の威勢良い脱ぎっぷりと下着無しの神裂と続き、ついでに10032号の縞パンツまで披露してくれる。なんともお色気サービスに満ちた第 18 話である。


 水上脚本にしてこれあり、とでも言おうか、美琴と10032号、アクセラレータとラストオーダーの掛け合いが素晴らしい。当麻君もアクセラレータも、共に迷子の子犬にまとわり付かれたような境遇に陥る。しかし彼等二人を対面させないところがまたミソで、物語は彼等の知らぬ処で意外な絡みを生みつつ進んでいるのがいい。

 「指輪」 と聞いて 「勝ち組」 に繋がるのか、10032号は奪われたゴーグルの件などすっ飛ばしてしまったようだ。そこで強引にも 「指輪を、ぜひ指輪を!」 と迫れないところが御坂の妹らしい性 (さが) である。身の上からなる性ならば、ひよこ饅頭を生き物として認識し、それが実験段階などと聞かされてにわかに怒り込み上げるのもまた然り。

 自身の過去に重ねられる悲しい誤認識は、アクセラレータとラストオーダーが小萌先生相手に見せた早とちりと同じである。彼等は脳を操作されない限り、死ぬまでその忌まわしい過去の記憶を背負ってゆかねばならない。ことアクセラレータに於いては、自分なりにそれをどう消化し決着付けるのかが今後のテーマなのだろう。黄泉川の接し方にも注目される。 クソッタレ! と吐き捨てても消せぬもどかしさ。彼にとって “鍵” はやはりラストオーダーの存在に違いない。
 
 そんなに 「妹」 って響きが好きか、と怒る御坂お姉さん。10032号でなくてもその僻み混じりのジェラシー・エネルギーは充分に感じ取れ、的を射た情報分析が可能だ。お姉さんはオバハンだなんて誰も思ってやしない。つまりは素直になれないのだなと、妹のセリフが鋭く胸をえぐる。やがては見透かされた狼狽を妹にからかわれる始末。お姉さんは立つ瀬無い。ラストオーダーが現れなければ美琴は10032号のオモチャにされていたことだろう。つくづく分かり易い反応のレールガンである。

ファイル 89-3.jpg 第 18 話はアクセラレータとラストオーダーのエピソードだ。この二人に黄泉川を加えた三人の語りはそれぞれ意味深く、そして重い。 心中を吐露する小さなラストオーダーが「あの人」と言い表す。ボロボロになったあの人を今度は自分が守ってやるのだと言う。ちっこいミサカにこんなセリフ吐かせるなど反則ではないかと、憎まれ口叩きながらたまらず泣けてくる。クソガキが、と毒突きつつも自由にならぬ脚で捜しに来たアクセラレータ、彼はそうするであろう事を知っているラストオーダー、それが今の彼等の繋がりだと簡単に片付けるには、我々はあまりにも彼等の物語を知りすぎている。

ファイル 89-4.jpg それ故に、人混みの中から “あの人” を見つけて手を振るチビミサカのあどけない姿は胸を打つ。雑踏を静まり返らせるかの如く自分の名を呼んでくれた彼のもとへ駆けゆく姿や、二人の兄がそれぞれの妹を見つけたかのような安堵、おいたの罰に連続チョップを与える仕草、そして並んで帰途に就く後ろ姿など、まるで欧州映画のラストシーンを見せられているかのようではないか。 この第 18 話、いやぁ、映画ってほっとにいいもんですね、と今は亡き水野晴郎を真似て感嘆に浸りたいくらいの一作である。

石田ぁ~!

 NECO がガンパレード・オーケストラを流していたので、久しぶりに見た。朝日系列で放送していた頃は「白の章」だけしか見なかった。今見ても、のっぺりとした抑揚のない、一口で言えばさほど面白くない一品であることに変わりない。今回は 「緑」 も 「青」 も見てみるかと思うものの、それとて毎週楽しみにするほどの興味は湧かない。たぶん忘れてしまうだろう。

 2クールに三部作という作りは明らかにゲームの宣伝、PV代わり程度の発想だろう。「白の章」をまた見たのは他ならぬ石田咲良のキャラデザインが気に入っていたからだ。この制服がいい。雪ウサギの南天オメメみたいな紅い瞳も悪くない。
ファイル 88-1.jpg 見た目に大層キュートで凛々しくもあるのだが、これほど色気のないヒロインも滅多に見られぬ希少価値がある。肝心のゲーム上ではどうなのか知らない。とにかくこのアニメではノンセクシャルな主演である。思春期少女のボディラインでありながら、少女らしさが一向に窺えないのだ。ペンギンの大きな抱き枕を愛用し、本部出張にまでそれを持参で行くのも、餡蜜を食っている姿も、女の子らしいといえばらしい。だが、そこらに初々しい少女の香りがない。 たった9話の中にゲームの世界観を詰め込んで紹介すべく構成されているせいか、惚れた腫れたなど挟める余地もないのだろう、新米中隊長殿の悪戦苦闘物語に終始するだけである。

 それでもこの少年のような石田を好きである。己の嗜好にもまったく困ったものだ。お断りしておかねばならないが、自分はけっして制服フェチではない。 いや、石田の制服姿がたまらんというからにはキモいフェチなのか。 いやいや、断じてさようなことは・・・・。

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INDEXⅡ 第17話

 OPも新しくなり、キャラの衣装も冬向きになった。既製品のコスプレ衣装では常盤台中学の制服が最も売れたのだとかいう話であるから、この冬制服もまた売れるだろうか。
 ただ、美琴や黒子の夏制服がそれだけ好かれたのには 「禁書目録」 という世界観の面白さやワラワラとゴキブリの様に登場した御坂妹達の同制服姿以外に、外伝作品である 「超電磁砲」 の人気要因も見逃せない。希代の名オープニングだと未だ感慨深い 「only my railgun」 を用いた傑作OPアニメーションがファンのハートを鷲掴みにした如く、御坂美琴ら娘達の躍動する姿が 「とある」 シリーズの屋台骨であるのは誰もが認めるところではないか。
 魔術で周囲を制するインデックスよりも、激しく跳んで回る美琴や黒子のアクションに目を奪われるのも無理はなく、白いシスター衣装より常盤台中学の制服の方が売れても不思議ではない。なにより、常盤台中の制服コスプレならば街中の何処を歩いたとて目立つものではなかろう。そのまま冠婚葬祭に参列したところで奇異な眼差しを向けられる心配もない筈だ。

 秘かに女性週刊誌を読み耽り、他のシスターズに内緒でダイエットしていたらしい19090号の目的は “勝ち組” を目指すものだったのか。その一体だけ天然オイルを入れて貰ったバトーのタチコマが脳裏に浮かぶ。
ファイル 85-1.jpg 淡泊で無表情な瞳。 それでもその目を皿のようにして、これで貴女も勝ち組の仲間入り! なんて見出しの記事を、背を丸めて週刊誌を隠しながらも食い入るように読んでいる19090号を想像すれば、可愛らしくもあるではないか。
 彼女が他の妹達からどのような仕打ちを受けたのかはさておき、揃ってリハビリを始められるまでに回復したのはめでたい。医師から冬服を渡されるシーンに於ける一連の可笑しさはミサカネットワークあればこそで、並列状態であるべき中になんでお前だけ内緒で気色良い情報を元にダイエットなんぞしやがって、という笑いだ。無表情のまま抑揚無く淡々と喋るセリフ故に可笑しさが一層際立っている。
 
 黄泉川のマンション入口、10032号とラストオーダーの掛け合いも見事だろう。幼児の 「駄々っ子交渉術」 とは上手い表現で、幼児の頃は深い思慮や策略など巡らせはしないが、おそらく大人共の反応を体感蓄積しているのではないか。無意識下で「大人はこうすればオチやすい」という信号がもしかして脳から発せられるのではないだろうか。しかし、溺愛を誘うほどに可愛らしく見える筈だなどと下衆な考えまでは無さそうに思える。何事にも手助けを必要とする幼い生き物の本能だろう。臭い芝居でそれを用いるラストオーダーに笑ってしまうではないか。

ファイル 85-2.jpg それは同姓には逆効果だと跳ね返す10032号。 そうなのか、女性には腹立たしいのかと考える。 要するに “ぶりっコ" は最も嫌われるという事なのだろう。確かにそのようなお嬢さんは女性の間で村八分にされやすい。いけ好かないヤツ、サイテーなのだ。そこまで知識の無かったラストオーダーの負けである。だが、ここでまた考える。ラストオーダーではなく、小萌先生ならばどうだろうかと想像してみる。

 説明不能な生き物とはまたひどい言われようで、細胞老化抑制の研究モルモットだと勘違いされるくだりは可笑しくもあり少し悲しい。この小萌先生ならば “ぶりっコ" にはほど遠く、むしろ必死に大人ぶって見せようとするこまっしゃくれたマセガキだと受け取られるかもしれない。
 彼女の良いところは真面目でひたむきな性格にある。よって、彼女が涙ながらに御坂妹のスカートを引っ張って訴えれば、万に一つゴーグルを貸して貰えるかもしれないではないか。想像してみて欲しい。ピンクの小さな彼女が泣きながら自分に縋る姿を。三日三晩メシ抜きになったとしても彼女の願いを叶えてあげたいと思うではないか。


 御坂美琴は 「超電磁砲」 では正真正銘の主役にて、大人びた落ち着きをも含む頼り甲斐あるオネエ様、カッコいいオネエ様が前面に押し出されていたが、「禁書目録」 に戻れば中学少女並の恋心、その稚拙で愛らしい露見が再び展開される。 にしても、第1期作と比べればその感情にややの膨らみが窺え、なるほど当麻君への思いも本人が気付いているや否や、その炎、体内でかなり大きく燃え始めているのかもしれない。
 何でも言うことを聞く罰ゲームなのだからと、あれをさせ、こういう事もさせて、ムフフフ・・・と、その日を夢見る毎夜の寝姿には、黒子の狂おしいまでの嫉妬もドス黒くはなるだろう。オネエ様の見ている夢はあの類人猿との淫らな絡みに違いないとでも想像するのだろうか。黒子ならかくなる妄想もあり得そうで、それなら毎夜寝付けまい。

ファイル 85-3.jpg 思えばかなり強引ではないか。まだイタリアにいる当麻君に釘を刺し、ここで捕まえたが百年目とばかり服従を要求、要求、また要求。 ハンディアンテナ、ペア加入の通話料割引で男女ペアならゲコ太ストラップ進呈のキャンペーン。これに目を付けたのは一挙両得を狙った渾身の企てだった。 が、しかし、毎度の事ながら自分の思いを悟られるのを極度に恐れる縮こまりは如何ともし難く、慌てふためく赤面狼狽の様は、情け無いかなそこでもう一歩踏み込む勇気を奮い起こせぬ少女の純情である。 美琴はこうでなくては、と期待を裏切らぬ展開である。 ただ、ひきつった顔のツーショットとはいえ幾枚かは写されているのだから、それをささやかな収穫とすればよい。最も寄り添った一枚は黒子に邪魔されてボツになり、あの時にどきまぎせずさっさと写してしまえばと後悔しても後の祭だ。 恋とは、ラブコメとは、そういうものなのだ美琴君。 だから面白いのではないか。


 水上清資による少年少女の恋心で想い出すのは 「GUNPARADE MARCH」 のTVアニメ版 「新たなる行軍歌」 だ。ツンツン娘を絵に描いたような芝村舞と草食系そのものなぽややんのラブコメは、胸キュンながら端々がとても可笑しくて好きだった。徹底的に情け無い少年とそれに苛立つ勇猛且つ頑固一徹な少女である。この二人が一緒になってしまえば、ぽややんの残り人生は間違いなく恐妻家として生きねばならんだろうと思わせる可笑しさがあった。
 水上はこの作品12話中で5話分を担当しているが、やはり見せどころ脚本として強く尾を引くのはラスト2話で、クリスマスの買い出し作戦から大晦日、新年に至るまでを描いた、誤解と思い込みによるすれ違い、そして痛恨のひとことに振り回される双方の葛藤と恋慕だろう。
 幻獣相手に人型戦車で戦う5121部隊の話でありながら、ああこれはこの両名のラブストーリーであったのだと印象付ける仕上がりには意表を突くものがあり、やや学園ドラマ的な様相を漂わせつつも大人びた判断と決断に至る最後の停電エピソードなどは両キャラクターを昇華せしめるばかりの出来だった。

 この 「禁書目録Ⅱ-第17話」 を見れば、美琴と当麻君が先行き一緒になったとして、やはり賑やかなどつき漫才の家庭になるのではと思わせる。学園都市に舞台を戻したこの第17話、美琴に黒子だけでなくお馴染みの華やかな面々が溢れかえっているのが嬉しい。また、ワンショットギャグではない水上脚本の可笑しさが随所に見受けられ、楽しめた一作でもあった。
 黒子がオネエ様の闘いを知る第6話と第7話も水上が書いており、バスルームで美琴から隠れて傷の手当てをするくだりや、結標淡希とサシのバトルなど、さすがに 「超電磁砲」 のシリーズ構成だと思わせる。水上清資には今後も美琴と黒子のコンビにその大いなる力量を発揮して貰いたい。

INDEXⅡ 第15話

 氷の艦隊にアニェーゼの拘束着は寒そうで、気の毒だ。随分昔になるが、宮沢りえの写真集表紙がこのような感じではなかったなと、スリットだかワームホールだかに見えるその衣装に、脈絡もない “穴あき” 画像を想い出してしまった。
 シスターがわんさか出てくれば十字教の話らしくなり、シスター軍団が右往左往する様がまた見られるのはありがたい。

ファイル 78-1.jpg ご静粛に! と裁判官が木槌を打つ代わりに、傍にいるシスターのパンツを見せるのは極めて有効な方法に思える。眩しいフトモモと楚々たる下着がいきなりあらわになったのでは、犬の喧嘩に水を掛けるより効果的に違いない。
 しかしこれもTPOを考慮せねばなるまい。例えば先頃復活したアキバのホコ天でやれば注目度は抜群ながら、馬鹿小僧やエロオヤジ共が「もう一回」コールと共に地べたに寝そべって一斉にケータイカメラを構えそうではないか。

 天草式の一党には野臥せりに似た魅力がある。金品と食料や女を強奪していくそのテの悪党とは異なるにしても、建宮はじめ一党の面々には掟を遵守しつつも奔放さを損なわせない空気が漂う。小難しい教義はさておき、恩情や人情というものがまずありそうな集団に思える。
ファイル 78-2.jpg さしずめ「いえいえ」の五和などはそのなかなかである武闘能力に一目置かれている反面、一党のマスコットガールでもありそうではないか。おしぼりの手渡しを幾度も繰り返すしかお近付きの術を持たない初心な姿は、可憐な小娘を温かく見守ってやろうという仲間の家族意識を擽るだろう。
 セリフが語るように、この娘のそれは 「なかなか進展しないのも五和の魅力」 なのかもしれず、味ある脇役・五和の今後に期待しよう。

アニメ雑感

 AT-X でまたまた 「シムーン」 を流している。これは何度でも観てしまう作品。

   「立ちなさい、アーエル。 私があなたのパルよ」

 ・・・たまらんではないか。やはりこいつは素晴らしい。毎夕、晩酌時に合っているので日課の楽しみになっている。西村純二には 「true tears」 の後、焦らされている。 ぼちぼちアタマを掛矢でぶん殴られるような作品をまたお願いしたいものだ。 ぬらりひょんもいいだろうが、この監督は妖怪だの吸血鬼だのメカロボだのには実に勿体無い気がする。 当人にとってはよからぬファンの要望はいい迷惑でしか無いのだが、これも本人が蒔いた種と御容赦願いたい。

 「フラクタル」 が始まった。ラピュタ、ナウシカのようにワクワクさせるものがある。広がる草原、点在する白い石垣。ストーン・ヘンジのような遺跡でも現れそうな背景だ。OPの万華鏡映像は何なのか。多元宇宙論、M理論などに基づく話なのかとも想像してみる。
 海と空と陸の緑、自分のような田舎者にはこういった背景がいたく気に入る。いわば日本アニメの主幹と言って良い絵画でもある。そこに美少女がメーヴェみたいなのに乗ってやってくる。追っ掛けてきたお間抜け三人組はタイムボカンだかナディアだかを連想させるものの、EDの民謡が印象付ける如く、土地の言い伝えや伝説に近代宇宙論が絡まっているような中身がありそうで、「日本のAnime」 らしさがプンプン臭う作品に思える。

 相変わらずな人気の「禁書目録」は、魔術と科学のせめぎ合いが魅力だ。魔術発揮能力たるや何なのかとまでは踏み込まないにせよ、科学側がちょこちょことその境界を啄んでいるエピソードがたまらない。
 当麻君達の敵対女性がことごとく顔面をぶん殴られて敗退に至る。それがウリであるとはいえ、ここまで続けばちょっと痛々しく、いかに悪玉とはいうものの女性なのだから、そのされこうべが複雑骨折するほどの強烈さで顔面に拳を入れるのは如何なものか、他に倒す術はないのかと思ってしまうのだ。

 こう感じるのが自分だけで、多くの男性諸氏にこれがウケているのだとするならば、世の男共はそれだけ情け無くなってしまったとは言えまいか。気に入らぬオンナはぶん殴りゃいいという思慮分別無き短絡さに繋がりそうではないか。そういえば、DV (ドメスティック・バイオレンス) というヤツも大変な社会問題だ。
 世が世であるからしてアニメ作品もかくの如しという訳でもあるまい。いつの時代も、オナゴを叩いたとあっちゃあ寝覚めが良かねぇやな。 当麻君、ちったぁ考えてみちゃあくんねぇか。

INDEXⅡ 第11話

 ホルスタイン・オネエさんはなかなかしぶとい。こちらからの魔力に反応して自動迎撃する術式、オリアナの張ったそれはS.A.Cで言うところの攻性防壁に似たものらしい。
ファイル 63-1.jpg 大股広げて 「カマン ベイビー」 と言わんばかりな挑発姿態には、西欧の安売り娼婦そのものではないかと思ってしまった。綺麗なオネエさんは嫌いでないが、ホルスタインが股広げて 「さぁ来い、さぁ来い」 ではドスケベな自分の海綿体からも血が退いてしまいそうである。

 こんなのを相手に土御門はよく頑張っているし、バーコードのステイル君は相変わらずいいヤツで、頼もしくもある。シンプルでトサカに来やすいカミやんには打って付けの仲間だろう。そういえば久しぶりにビリビリからぶん殴られてしまった当麻君。黒子が言うように、あれはどうみても女房に仕込んだ胎児の動きを頬で感じ取りたい旦那の仕草で、もうちょいそれなりの測り方もあるだろうにと、やや強引なギャグ誘導ではあった。
 
 小萌先生もその魅力発揮が緩まず、ありがたい。自宅のヘビースモーカーも禁煙エリアでの喫煙は許さない。姫神に向ける思いやりといい、藁をも掴むかのように希薄な記憶に縋る回復術の試みといい、やはりこの人は教師の鏡である。

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INDEXⅡ 第8話

 「これでも生物学的には一応オンナなのだろうな」 と思ってしまう不衛生な生活が日常である女性には幸いにも巡り逢った経験がないものの、聞くところによれば、世の中には十日も二週間も風呂に入らない女性なんぞはゴロゴロいるそうで、こればかりは怖いもの見たさに覗いてみたい好奇心もさすがに湧きはしない。ではそのような女性は表に出歩かないのか。コンビニやスーパーぐらいへは行くだろう。人混みの中、腐臭を放つであろうその者はまさしく腐女、腐女史だと表現できるのではないか。
 
 ただ、繁忙の業務故から職場に泊まり込み、長らく我が家にも帰れないという職業はザラにあり、その職務遂行精神の副産物として汚らしい生活にならざるを得ない場合はこれいた仕方なく、蔑視したのではいささか気の毒である。時間的余裕を持ちながら自堕落さ故に不潔な生活に陥っているオンナを腐女と蔑むことにしよう。

 さる高名な女性ピアニストは連日の公演が数日続く場合、その間入浴を慎むのだそうである。体調が微妙に変わってしまうのを避けるためらしい。アニメーター諸氏もスタジオに缶詰めなどというのは茶飯事だろうし、24時間通じて世界が繋がっている現代社会では毎日帰宅は午前様という業種も多かろう。私の好きな 「脱ぎ女」・木山春生も研究に没頭すればメシもろくに喰いそうにないではないか。

ファイル 59-1.jpg 六畳一間と思われる鉄骨アパートに住み、とても独身女性の部屋には見えぬ散らかし放題の部屋。足の踏み場もないほどそこに散乱するビールの空き缶と、目を背けたくなる吸い殻の山。 指定のゴミ袋を出してこい、掃除機はどこだ、箒もないのか、雑巾は、と立て続けに喚かねばならない有様は、前作に見る小萌先生の部屋である。ウサギさんパジャマもこれではすぐ汚れてしまうだろうと思われ、あれから少しは小綺麗な部屋になったのかどうなのかちょっと心配する。

 土御門舞夏に言わせれば 「名物ミニ教師」 だそうで、なるほど 「名物」 には違いなかろうミニサイズは踏み台を用いたところで講義黒板の上端までは使い切れそうでなく、劇場や遊園地は格安料金で入り込めるとしても、オヤジ趣向なその酒豪の胃袋を満足させるべく盛り場を彷徨けば補導員に連行される事態もしばしばではないのか。
 理路整然たる教鞭を振るいつつ、夜な夜なアパートでビールを呷っては尻から煙を吐くぐらいタバコを吹かし、翌日の講義準備と我が研究に余念がないのだろう教師生活は、身の回りなど二の次ということだ。 しかし、私は想像するのである。冷暖房があるのか無いのか知らないが、モウモウたるヤニの煙棚引く狭き部屋で安布団にくるまっては理論文献を繰り返し読み耽り、なるほど、いやそこは違うなどと適度なビール刺激に冴えた頭脳の活性に勤しむ愛すべき女教師の姿を。

 小萌先生を好きである。もしもこんな教師がいたならば、自分の人生も大きく変わっていたことだろう。当麻君達は大変幸せ者である。センセを泣かすな、というのが生徒達の共通認識で、彼女はその純粋な性格と愛らしさで信望を得ている。殊に男子生徒達にとって小萌先生の涙というものは一大事で、外国からミサイルをぶち込まれたに等しい出来事だ。有名な京都伏見の泣き虫先生の熱血とはひと味もふた味も異なるが、生徒を思う彼女の涙に、炎と化さぬ生徒は人間ではないのである。棒倒し競技なんぞただの戯れ。その影響力たるや御坂美琴の能力もタジタジではなかろうか。

         「タバコを吸う女の人は嫌いなんですぅ?」

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沖田十三

 晩酌に酒を燗して湯豆腐を啄みつつTVをつけたら、なんとヤマトのTV版一挙放送というのを流している。古代進が沖田艦長の代理に任命されるというからには、かなり終盤に近い。
 何なのだこれは。つまりは平日の真っ昼間から始められている一挙放送という事ではないか。「どこの誰が見ること出来るっちゅうんじゃい、だぁほめが!」 と、ファミリー劇場に少々立腹。「ンにゃろぅ、こんなもなぁ夕方から始めろぃ!」 と毒突いても仕方ない。 おかげで、あの赤ぇロボットにスカートめくられる森雪を見られなかったじゃねぇか、などと下品極まる悔しさも手伝って、グイ呑みを呷りつつ、どうにも面白くない。

 今年の夏に探査機・はやぶさが地球に戻ってきた一大イベントがあった。国内があれだけ騒ぎ、感動に涙する人もいたのはこの 「ヤマト」 と無関係ではないように思う。先頃、そのカプセルが持ち帰った微細な粉塵にイトカワのものらしいのが多々認められるとJAXAが発表した。幾多の苦難に耐え、コスモクリーナーを持ち帰ったヤマトと否でも応でも重なる。

 己は死すともそれを持ち帰る任務を全うする探査機の姿は沖田十三そのものである。また最後に、帰還した故郷・地球の姿をカメラに納めるというくだりは、沖田の最期をそのまま踏襲したといってよい。ヤマトと共に育った世代はこの探査機の壮絶な帰還、華々しい最期に、沖田の生き様を見たのだ。 ああ、思い返す度に泣けてくる・・・・。