記事一覧

プリキュア・アクション

ファイル 206-3.jpg

 懐かしい 「エアマスター」 を放送していたので見てみれば、今更の感覚ながら、これがそのまま 「ふたりはプリキュア」 に移譲されたアクションであるのを再認識させられる。 言い換えれば、エアマスターなくしてプリキュアはあり得なかったわけで、この派手で且つ流麗な空中殺法を女児玩具販促アニメというおよそ場違いに思われるジャンルに採用した企画には、改めて驚かされる。
 
 
 
ファイル 206-1.jpg 仕掛けは鷲尾プロデューサーなのか。 エアマスターの格闘に目をつけ、そのまま監督の西尾大介を引っ張ってくるのだから、制作会議でけっこう路線議論があったのではないか。
 考えてみれば、強烈な蹴りを入れられ、ぶん殴られるのは崎山香織でもなく坂本ジュリエッタでもない。 なんとも可愛らしい中学生のなぎさとほのかなのだ。 さすがに鼻血を出したり顔がボコボコに腫れ上がったりという絵には出来ないので、エアマスターでも使った十文字受けの防御を多用することになる。 しかし、ガードしても吹っ飛ばされる。 顔面から地面に叩き付けられ、リングのマット上のようにバウンドまでする。




ファイル 206-2.jpg 変身モノ女児アニメで 「それはないだろう」 の殻を破ったアクションには違いない。 変身後の少女達が魔法のバトンをひと振りして悪者を退治するのが常套だったそれまでを見れば、鷲尾による 「汗をかく変身少女達」 は奇抜だった。 鷲尾や西尾によるその方向性は、元を辿れば柴田ヨクサルの描いた女子高生ストリートファイターがそこにあり、柴田は後のプリキュアを形作る格闘技の生みの親と言っていい。
 確かに、徒手空拳格闘は肉体を駆使した暴力ではあるだろうし、世のお母様方の中には眉間に皺を寄せる人もいただろう。 だが、子供達の反応は違った。 人間が道具やアイテムに頼らず跳んで走り回る映像は、人物キャラクター動画が持つ本来の楽しさを備えていた。 変身はするが魔法は使わない主人公達。 鷲尾の言った 「汗をかく」 どころではない、大変な運動量なのである。 ^^;)

 

タイムワープ

 「タイムスクープハンター」 というNHK番組をCSで一挙放送していた。 色んなところから歴史資料、民族資料などを引っ張り出してきて制作しているのだろうけれど、過去の庶民的なその極狭部に絞り込んでの解説、解釈が面白い番組だったので、また見てしまった。

 タイムスクープ社の沢嶋というジャーナリストは、その出で立ちが60年代の少年向けSFドラマな雰囲気を持っており、そのうち 「ウゥー! ヤァー! タァー!」 とでも叫びそうでもある。 正太郎少年が鉄人のリモコンを度々奪われてしまうように、沢嶋の通信機も頻繁なる不調に見舞われ、ワープ機能も故障しがちだ。
 身体を張った取材遂行は行く先々の時代で殺されかけたり牢にぶち込まれたりもする。 カブキもんが出てきたり、元下級武士のカステラ屋修行とか、這々の体で逃げる落武者にも同行取材し、明治初期の命がけな郵便屋も取り上げていて、興味深い内容だ。

 横山光輝の 「時の行者」 というマンガを想い出す。 たしか 「天一坊事件」 なども取り上げていたように記憶している。 こちらは球面状に広がるバリヤーを携えていて、光線銃みたいなものも持っていた。 こんな装備があれば戦場の真っ直中にワープしても大丈夫。 その時代の衆が腰を抜かすだけだろう。 思えば、有名なポルトガルの 「ファティマの奇跡」 などはUFO関連で考察する他に、タイムワープの可能性もあり得るのではなかろうか。

 懐かしい角川作品を先日録画しておいた。 「時空の旅人」 という劇場アニメだ。 キャラクターデザインがあの萩尾望都、監督があの真崎守。 当時はレンタルビデオ借りてきて見たものだった。
 角川商法そのものな企画故か、原作小説は知らぬものの、アニメ作品の構成や音楽はいかにも角川春樹の好みに思える。 つまり、「カドカワだよなぁ~」 という作りなのだ。 その視点でもうひとつ言うならば、主人公の少女、これまた 「おモー様だよなぁ~」 という絵なのである。^^;) 


DX2

 新聞に目をやったらばオールスターズDX2というのを朝日がやるらしいから、どれどれと予約録画を仕込んでおいた。

ファイル 199-1.jpg なんとも賑やかだ。 この歴代総出演という企画映画は今年で何作目になるのかは知らないけれど、今後も続くならいよいよAKB化したレビューになる。 アフレコも整理して行わねばならないだろうし、本家本元の影はますます薄くなりそうだ。 ^^;)  しかし、この色とりどりな華やかさは女の子に好かれそうで、お話も短く極めてシンプルに作られているし、付き添いを要する小さな女の子達には喜んで貰えたことと思われる。

 いわゆる 「顔見せ興行」 なので、凝った作りにする必要もない。 それはまたバンダイ、東映のプリキュア・ブランド顕示でもある。 シリーズがこれほどの長年に亘って続けられ、少子化の中、相応の売り上げを維持し続けているのであれば、やや大袈裟ながらそれは 「驚異の継続」 と言えないだろうか。

ファイル 199-2.jpg 思えば2代目を背負わされた咲と舞は不運だった。 初代オリジナルが出来すぎており、その色を踏まえつつもターゲット絞り込みを図ったがために、いささかの中途半端さは否めず、アニオタは退き、子供達からの反応も落ち込んだ筈だ。 過渡期の繋ぎ役はそういうものだと片付けてしまえばそれまでだが、2代目が仮にファイブの5人組であったとしても少なからず辛酸を舐めただろうと想像に難くない。 ファイブは3代目として登用されたが故に完璧なまでのオタク篩い落としになり、その後に見る本来の幼児路線での自信をバンダイ、東映に与えるに至ったように思う。

 改めて眺めれば、販促の執念のようなものを感じる。 その結果が今のブランド確立だろう。 咲と舞には少し気の毒であったが、あの2代目ありて今の継続がある。 来年は 「スマイル プリキュア」 だとか。 戦隊が続けば二人に戻し、そしてまた異なる編成に向かう。 「絶対あきらめない!」 の少女達はその年ごとにマイナーチェンジによって新たな女児ファンを獲得してゆく。

 何年先だろうか、女子会と称される飲み会では、アンタどのシリーズからプリキュア玩具買って貰ったの? などと語られるだろう。 あたしはスマイルが最初だという人もいれば、ファイブからだという者もいよう。 中には平気でサバ読むトボケ女史も現れることだろう。 初代以前のナージャから知っているにもかかわらず、7,8年分平然と若さを取り繕ったりするかもしれない。 想像すれば微笑ましい。

 どうあれ、このモーションキャプチャーによる初代・白黒のダンスは新鮮で可愛らしい。 本家本元らしく走って跳んでの振り付けは西尾大介の動かしを再現しており、なぎほの至上主義なる 「篩い落とされオジサン」 にはこのエンディング、まこと祝着の極みである。

ファイル 199-3.jpg  ファイル 199-4.jpg





 

ラピュタ

 いい! ドーラおばさん。^^;)  初井言榮という女優はTVドラマで鬼姑役をやり、嫁を虐め倒すイメージで人気を博していた。 それがまたこのドーラに声を当てたことで当初劇場で見た際に 「凄ぇや!」 と思ったものだ。
 逞しくパワフルで圧倒的な存在感。 この物語の海賊はドーラであらずして成り立たない。 強い母親像ここに極まれり。 次々と展開される大活劇だからというのでもなかろうけれど、親方のカミさんにしてもシータにしても、なよなよした部分がなく、痛快だ。 もっとも、このくらいの女性達でなければ我が国の戦後復興はあり得なかっただろう。 その意味では、パズー少年の大冒険には違いないものの、日本女性を象徴する側面を持っていると言えそうではないか。

 レンタル屋のビデオを借りて同僚らと観たこともあった。 確か130分ほどあったのではないか。 活劇の圧巻は軍要塞でのアクション。 ロボットの再起動、4機のハエで乗り込む海賊とパズー。 シータ救出に至るまでの辺り、何度観ても圧倒される。
 「ナウシカ」 の原作マンガがあまりに凄すぎて、原作を知るが故に劇場アニメにややの物足りなさまで感じてしまった贅沢をさておき、「ラピュタ」 は無条件でのめり込まされた劇場大作。 こんなもの、自宅TVのデジタル放送で観られるに至っては、嬉しさ通り越して、ただ声もなし。 大儀であったと、今宵ばかりは日テレを誉めて遣わす。^^;)

 

よってたかって

 えらく 「Paradise Lost」 に似ているなと思えば、畑亜貴と菊田大介なのだから、なるほどと納得した 「TERMINATED」。 セクシー茅原嬢が頑張って歌っている。
 セイバーさんの次番組に 「境界線上のホライゾン」 があって、見る気もないのにつけっ放しにしてOPだけ聴いている。 本編は一度見たきり退散。 主題歌は好きだけど、ホルスタイン・キャラは御免被る。 まったくどいつもこいつも、美的感覚がおかしいんじゃないのかとブツクサ嘆く。 然る後に寝る。 ^^;)

ファイル 186-1.jpg さて、セイバーさん、とりあえず聖杯戦争休戦にて雨竜・キャスター組の討伐。 よってたかってやっちめぇの状況は、大阪市長選の様相だ。 橋下候補もこの猟奇殺人鬼組と一緒にされたのでは怒るかもしれないが、包囲網相手にするのだからキャスターと似たような境遇ではあるだろう。
 自称 “男前” のランサーが助っ人に参上してくれる。 ところが、このサーヴァント、マスターであるケイネスと今ひとつしっくり感がない。 某球団代表のようにそのうち反旗を翻すのではないのかと思え、自爆テロ失敗の挙げ句に首切りでは気の毒だと、面白可笑しく書き立てるスポーツ紙の見出しがこの男前の顔に被さっては流れる。 これはランサーの方に叱られそうだ。

ファイル 186-2.jpg 血生臭いキャスターとは反対に、巨漢・ライダーのコミカルな言動がいい。 情け無く振り回されるウェイバー君とのペアが笑いを誘う。 この二人、案外泣かせる関係で、終いには 「情」 を顕わにしてくれるかもしれない。

 

セイバーさん

 楚々としてエレガントな白ブラウスに、スカートと合わせた青タイが昔の美人教師というイメージでもあった 「stay night」 のセイバーさん。 「zero」 でスレンダーなボディをパンツルックでキメたのも、ひときわ目を惹く。 こういうサーヴァントが四六時中斜め後ろに仕えていて、エスコートまでしてくれるのならアイリスフィールもたまらない。

ファイル 181-1.jpg ファイル 181-2.jpg





 一人の女性に仕えている美しきシモベならば、騎士のイメージ。 「あなたが私のマスターか・・・?」 と出会い頭に鋭い眼差しを向けられたのでは、少しビビって退くかもしれないが、「望むところです」 なんて頼もしいひと言で見上げられると、喩えようない気分に包まれるに違いない。そこに我々、観る者の夢がある。

ファイル 181-3.jpg ファイル 181-4.jpg





 なんにせよ、セイバーさんはやっぱり魅力的。 今回はパンツスーツにシビれまくるとしよう。 誰だ、あんな秘書が欲しいなんてヨダレ垂らしてる能無しオヤジは・・・・。 ^^;)

 

Anne

ファイル 178-2.jpg ミーガン・フォローズはあのツンと上に尖った鼻がいい。 プイっと横向いて腹立ちを表した際に、それは冴える。 かなり前、民放の洋画劇場で放送があったのを観たときには吹き替えで、たしか藤谷美紀がアンの声を演っていた。
 アンはやせっぽっちのニンジンアタマなのだけれど、ミーガン・フォローズはどうみても健康優良児並みに肉付きが良く、顔もふくよかと言っていい。 ま、しかし、そんなことは可愛いから無条件で許せてしまう。 ^^;)

ファイル 178-1.jpg コリーン・デューハースト、リチャード・ハーンズワースの両名が実にそれらしい雰囲気を醸し出す。 日本アニメーション作品の北原文枝、槐柳二がマリラとマシュウを我々に強烈な印象として残した後でこの実写版を観れば見劣りしそうな予感があるものの、それを感じさせない。ちょいと気むずかしく、頑固で、それでいて素朴な田舎の老兄妹。 マリラの意地やマシュウの気遣いがとても良い。

 プリンス・エドワード島には “聖地巡礼者” が日本人のみならず世界中から訪れるそうだが、確かに美しい土地のようだ。 当地ロケとされるこの作品、季節の移ろいも背景として端折ることなく映し出されている。 勿論、日本アニメーションのそれも大変美しい。巡礼者向けに御当地が妙に俗化、観光開発などされてしまわないことを祈りたい。

ファイル 178-3.jpg ファイル 178-4.jpg

 

VEXILLE

ファイル 176-1.jpg 数年前のアニメ映画を観た。 「ベクシル 2077日本鎖国」 というフル3Dライブアニメだ。 今年のベストジーニスト・黒木メイサや、松雪泰子、谷原章介らが声を当てており、当時はワイドショーなどでもちょいと取り上げてはいた。
 以前から3Dライブ映像に馴染みあるわけではなかった。 自分の目を慣らしたのは 「APPLESEED」 だ。 モーションキャプチャとかトーンシェーディングとかの技術向上によってそれらが多用される今日。 だいたいプリキュアにAKBみたいなダンスを見事に踊らせているのを子供達が当たり前のように見ている時代だ。 被写体キャラを中心にした球面上をカメラが自由自在に回る映像に、おお! 凄ぇぜ! なんて驚嘆したのがもはや遙かな昔。 当時が懐かしくさえある。

ファイル 176-2.jpg 超ハイテク技術を持つ日本が鎖国を敷いている。 スパイ衛星にも写らない完全鎖国。 小松左京が書きそうでもある。 強固な防壁の内側で日本は何をやっているのか、外から疑惑の目で見る面白さだ。 巨大なワームみたいなのが大挙して街を襲う場面は、この前の大津波に被災する東北各地の映像を想い出させ、今現在見ればちょっと苦いものが胸を刺す。
 松雪がCVを演っているマリアというのがすこぶるイイ女で、どこかで見たような女優に似ている気がする。 レジスタンスの頭領という凛々しさに知的な面影を宿す、美しいキャラだ。 おそるべしバーチャル女。 惚れてしまいそうではないか。
ファイル 176-3.jpg


「S」

 台風の夜は怪談だとしたのはイナ中の生徒達だった。 ANIMAX でシリーズの 「S」 が始まっていたので、台風の日は懐かしのせらむんでも見るかと、タイマーで第2話と3話を録画しておいた。

 「S」 を好きだった。 オタク共の反響に押され、スタッフが次第に 「大人ウケ」 に気を配るようになり、映画 「R」 の成功もあってその気になり、けっこう 「やってしまえ」 な感のある 「S」 は、ウラネプも登場し、各逸話に散りばめられたギャグに脂の乗りが感じられ、今見ても実にいい。
 第2話のダイモーン、ネコンネルなど、身体のまったくいいところにブラックスター・マークがある。 腰を斜めにちょいと突き出し、スカートたくし上げてそれを見せてくれる辺り、おお、そうだった、素晴らしいネルネル! と拍手ものだ。
 
 はるかとみちるが登場する第3話は幾原の仕掛けに香川の絵が実に相乗、美奈子とうさぎがなんとも可愛くて可笑しい。 背面爆走のダイモーン・ステアリングは効果擬音を自分で言ってしまうキャラだし、ヘルメットを被っていてよかった、などとひとまず安堵するのに当時も爆笑したものだった。
ファイル 172-1.jpg

 セーラームーンの化け物はみな与えられた名前からして笑えた。 ガロベンやムーリド、バケーネとかアクムーダ、ギワークとか。 タイヤーンだの、う・パソコンなんてのもあった。 流行りのユニットをもじったDDガールズもあったし、戸締まりしか能がないドアノブダーはその情けなさが大ウケだった。

 平日一話ずつではすぐに終わってしまいそうで、週一話の週内再放送ありでじっくり見せて貰いたい気がする我等がセーラームーンS。 可能な限り、佐藤や幾原らの一時代作品を懐かしく堪能するのもよいかと思う。

 

コクリコ坂から

 興味があったので遅ればせながら映画を観てきた。 この清潔感はどこから来るのか。 映像は美しい港町だが、当時の我が国は高度成長期の実に汚い世界ではなかったかと思う。

 それいけやれいけの工場は汚染物質煤煙をところかまわず噴き上げ、有害廃液を垂れ流し、環境保全の「か」 の字もない。 生産量のみを旗印とする、今の中国と変わりはなかった。 舞台の港町を見れば道路舗装は整備されているものの、なに、日本国中いたるところ未舗装生活道路が多く、雨が降れば水溜まりの泥を跳ね上げながらキック始動のオート三輪が喧しく通っていた。 クラウンが観音開きなのだから時代が解ろうというものだ。
 コクリコ荘ではガスで飯を炊いている。 だが、一般家庭ではまだ炭火鉢が重宝され、家電に於ける三種の神器がもてはやされ始めたばかり。 少しずつながら下水道整備が進められる中、マンモス公営住宅がモダンな造りであると人気があった。 文化包丁なんていうのが奥様方に喜ばれ、先駆けてTVを買った家に御近所中の人々が夜な夜な集まった。 ホームシアターならぬ、ちょいとした町内会シアターだ。 ああ三丁目の夕陽である。

 確かに、ピーピー鳴ったり喋ったりする家電に囲まれての現代から見れば、殆ど何もない質素な世界だった。 「ユカをよぶ海」、「島っ子」、「パパのお嫁さん」 など、この頃だろうと思われるちばてつやの少女マンガを見れば、当時の人々の生活が見て取れる。 きれいなお姉さんの髪、いい香りがする。 シャンプーの香りだと言われて見上げる少女は、おそらくそんなもの使ったこともない。
 モノが溢れていない時代、貧しかったかもしれないけれど周囲もみな同様だったに違いない。 取り残される陰鬱な空気や妙な暗さはあまりなかったろう。
 
 毒のない青春歌謡の時代、芸能界が御三家とした橋、舟木、西郷らの歌は連日ラジオを媒体とした。 みんな名もなく貧しいけれど・・・と歌ったのは三田明だったか。
 歌と言えば、岡本敦郎の 「白い花の咲く頃」 が劇中で歌われる。 先陣切って歌い始める少年、これがまた見事に音痴である。 意図的な音痴だと思われる。 わざと少し外して歌うというのもかなりな技量を要するだろうから、誰だか知らないがこの声優に拍手ものである。 哲学研究会の部長をはじめ、少年達がみな昭和バンカラの趣であることを考えれば、歌など上手すぎてはいかんということか。 学生寮歌にせよ応援歌にせよ、粗野で荒々しい方がそれらしくもある。

 60年安保闘争で国会突入騒ぎがあり、樺美智子が死亡した。 キューバ危機、ケネディ暗殺、皇太子御成婚など、当時の出来事もけっこう波乱である。 舞台は高校だが、エネルギッシュである生徒達に時代環境を映している。 演壇で弁舌をぶちあげる様は懐古趣味的なオジサマ達を僅かながらも擽るだろう。
 
 遠くを望む目の輝きが現代とは違っていたと思われる。 今と比較すれば情報量が極めて少ないからだ。 それだけに、自分で考え、夢も広げる。 善悪問わぬ情報に押し潰されそうになっている現代の子供達にはちょっと想像すら出来ない世界だ。
 取り巻く世界情勢、嘘八百で私利私欲な政治家や官僚、猥褻犯罪で少女に毒牙を向ける教員。 理由無き身勝手なヤケクソ連続殺人。 オタ芸と称されるキモオタ共の乱痴気踊り。 毎日の如く飛び交うロクでもない情報の世に、大人を信用してくれと言ったところで無理な話ではないか。 夢を持てと語ったところで、学ぶ機会はカネで買えという世の中にしてしまっている。 モノはある、情報も簡単に手に入る。 しかし、夢も希望も持ちにくい。 いきおい、頭でっかちながら知らず知らず後ろ向きに追い込まれているのではないのか。

 作品世界の子供達は物事の知識も経験も、今世の現実世界の子供達ほど豊かでないだろう。 蓄えの少ないが故に、防壁の殻を持たぬ奔放と、反面に純情さがある。 そう考えれば、今より不衛生であったかもしれぬ世界に生きる彼等が得も言われぬ清潔感を与えてくれるのは、猜疑心のない素朴さであるかもしれない。


 昔はどこのお姉さん達もよく働いていた。 乳飲み子の弟や妹を背負ったまま遊びに出ていたし、家事手伝いなど当たり前だった。 コクリコ荘のメルも忙しい。 朝起きて布団を収納すると、昨夜に寝押ししておいた制服のスカートがそこにある。 どこのお姉さんでもやっていたことだ。 朝飯を支度し、起きてこないヤツを起こし、洗濯も旗揚げもせねばならん。 もちろん、自分の弁当も作る。 朝飯が7~8人だったようだから、後日に枡で2杯の米磨ぎを見るに、一人頭8勺勘定で6合程度として、どうやら底の浅さからもあれは5合枡に違いない。 即ち、1升炊きだ。 昔の人は今よりメシを喰ったといっても一人1合3勺もあれば女性陣には余って返るだろう。

 朝通学のメルは大変な大股である。 一歩1mもあるんじゃないかというストライドで機関車のように歩く。 これだけ見ても彼女がいかに無駄な時間を過ごしてないか、成すべき事を多く抱いているかが窺える。 アニオタ得意の 「オレの嫁」 なら割烹着も凛々しいこういう娘さんを選ぶのがいい。 この先、心変わりがなければ風間君は幸せ者である。
 以前より憎からずの感情を抱いていたにしても、風間君をズキリとさせたのはガリを切るメルの姿ではないのか。 ガリ版にかなり顔を近付けてそれを続ける彼女を、斜め後ろから描いた映像はたいそう魅力的である。 思わずボケ~と見とれてしまいそうだ。 元より時代考証の効いた、いかにも 「女学生」 というキャラクターデザイン。 肉屋に買い物に出掛けた私服も当時の可愛く清楚なお姉さんそのもので、肉屋のオヤジでなくとも大サービスしてしまおうというものだ。

 輪転機が出回る前はこうだった。 インクローラーを手に一枚ずつ版画のようにペタコンペタコン刷った。 ガリは滑らかな曲線が難しい。 それ故、角ばった文字が切り易く、当時の女の子に妙な丸文字が流行らなかったのは幸いである。 学生運動の立て看板や垂れ幕がみな角張った字であったのは、ガリ版印刷の角文字を見慣れていたからでもあったろう。

 微に入り細に亘り描き込まれたごちゃごちゃのカルチェラタン背景美術にも目を見張るが、コクリコ荘でもカルチェラタンでも、木造建築に響く靴音がたまらなくいい。 これは味わい深い。 もう随分と昔、信州の田舎でこのような温泉ホテルに泊まったことがある。 山田太一の 「高原へいらっしゃい」 みたいなホテルだ。 踏み処によってすこしギィっと鳴るような廊下だった。 ちょっとあのホテルの木の温もりを想い出してしまった。

 ジブリのこだわりであるのか、手作業によるきめ細かなリアリズムが随所にある。 手汗をかくと厄介なガリ切り原紙の質感も然り、料理を盛りつける大所帯ならではの仕草やガスに点火する一連動作、そして旗の掲揚。 理事長の会社に乗り込んで行った際のエレベーター内、更にはお茶を出してくれるお局秘書、どうにもその湯飲みの中は出がらしの黄色い茶ではないかと思わせるに充分である。
 BGMもオールドファンが喜びそうなものを並べてあり、地中海サウンドみたいなのもあればジャズもありタンゴもあり、終いにはインストエレキサウンドまで出してきた。 カルチェラタンを掃除している辺りだったか、自分はあの御機嫌なジャズクラリネットが耳について離れない。 安ければOST買ってみようかとも促され、有澤孝紀による同様のクラリネットメロディが懐かしく脳裏に浮かんでは消える。