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捕殺アピール

 脇谷二塁手の明らかな落球。 しかし塁審からは死角。 判定覆らず、ゲームの流れは見事に反転した。 20日夜の阪神-読売2回戦である。

 外野席観衆の目にもVTRにもしっかり捉えられた落球の瞬間だったが、塁審には見えなかった。 長野外野手が瞬時に送球方向を指し示すものの、脇谷二塁手は捕殺をアピール。 それが受け入れられた。
 ネットでは脇谷選手を非難する声も多いが、それは間違っているように思う。 審判の死角かもしれないと踏んで真実でないアピールをする行為はどのゲームでも茶飯事だ。 サッカーなど見ていても、相手のユニフォームを半ば当然の如く掴んで引っ張り回す。 ホイッスルさえ吹かれなければ、時にそれらは頭脳プレーとまで表現される。

 かつて、カープの達川捕手などは疑惑のデッドボールのオンパレードだった。 審判が苦笑いしながら手を横に振ってアピールを退ける光景は毎度お馴染みで、観衆はそれをも楽しんでいたものだ。 「プロ選手としてあるまじき行為」 などと脇谷選手を批判するのは過剰な反応だ。 あの場面、賭けに出てアウトをもぎ取り、試合の流れを瞬時に反転させたのだから、その少し前に演じたお粗末なお手玉プレーの穴埋めに充分な功績だった。
 ただ、野球少年達の目にどう映ったかと言われればあまり褒められたものではないだろう。 生活のかかったプロの試合を教育的観点から考察する議論は今後も大いに為されていいと思う。

 それよりも審判団に抗議があるのが当然で、フィールド全域を隈無く網羅できず死角の発生はいたし方ないとしても、公平なフェアプレイ維持のために今後の課題とすべきだろう。
 それにしても、試合の流れが一挙に変わる様を目の当たりにすれば、精神的刺激が物理をこうも動かし得るのかと改めて驚き、また感心する。

 東西の人気球団同士の試合で起こったミスジャッジ、しかも得点に絡む場面だっただけに反響も小さくはなかったが、負けた阪神はなんとも不運であったとしか言いようがない。 トラキチの立場から見れば、ポテンヒットしか打てぬブラゼル選手がポテンヒット1本損したのであって、とにかく得点能力のない現状の貧打戦がそもそもの敗因なのである。

あまりに酷似

 おい、これはどうにもマズいんじゃないか。 いくら読売様の御意向とて、こうも世間から非難浴びてはなぁ・・・。 などとセ・リーグの金魚糞5球団は連絡し合っていることだろう。 自分達のていたらくを尻目にパ・リーグは柔軟且つ速やかにファンの意向に添いながら進めていく。 それはいかにもスマートで眩しい。 取り残されていく恐怖がじわじわ忍び寄ってくる。

 どうしたものですかなぁ、あんた同業者なんだし、読売様をそれとなく諭してはくれんかね?  おみゃあさんら、そんな恐ろしいことできゃせんがね。  そいじゃ、あんたに頼もう、古い付き合いだろうし客の入りが一番いいんだし、あんた盟友みたいなモンじゃないか。  ンなこと言われたかて、ウチかてあんたらかて商売でっしゃろ? 自分らで首締めてどないすんのや言われたら返事に困りますわなぁ。  ・・・・・哀れなものである。

 読売というぐらいだから、空気を読めないのではない。 我が王国は揺るぎないのだと信じて疑わないだけなのだ。 やり玉に挙げられる醜獪な爺さんにしても、ひと昔前の児玉や笹川に比べれば可愛らしいものだろう。
 我が統治する王国は不滅なのである、刃向かうものには鉄槌を、侵略者には神の裁きを。 どこかで聞くような話だ。 カダフィ圧政のリビアと同じなのだ。 さしずめネット中心の世論は世界の目で、文部科学相や節電啓発担当相などの突っ込みは国連安保理決議である。

 空爆が始まった。 おのれ、こしゃくな、読売王国は一歩も退かぬと滝鼻の鼻息荒い。 だが、歩が悪い。 苦戦である。 それでもカダフィは吠え続ける。 読売も吠え続ける。 しかし、北朝鮮が「核放棄拒否だ」と喚く以外は予想外に静かなままだ。 うぬぬ、イランめ、貴様、十字軍の侵略を許すというのか、我等イスラムの誇りはどうした!  孤立したカダフィ。

 読売も我がリーグを振り返れば、剣を抜く奴など誰もいそうでない。 ぬおぉ、貴様ら読売の言うことが聞けんというのではあるまいな、その態度が何を意味するか知ってのことだろうな!  それでも5球団は青ざめて尻込みするだけである。 もういいでしょう、充分でしょう、降伏しましょう、命あっての物種だ、自分らはこれ以上世界の嫌われ者になりたくないのです。
 貴様らぁ、今まで喰わしてやった恩も忘れやがって、覚えてやがれ! 貴様らはこの読売に刃向かったのだ!  椅子を蹴飛ばし、机をひっくり返し、カーテンを引き千切っても腹の虫は治まらない。 ぬうぅ、どうしてくれよう。

 カダフィは世界の包囲網を悟り、このままでは自軍の部隊より先に己が空爆で狙われ抹殺される事を知った。 それならばと最後の砦を構築した。 街中の住宅を片っ端から打ち壊し、そこに住めぬようにし、怯える市民共を強制連行して自分の周囲に置いたのだ。 ぐわっはっはっは! 貴様らは罪無きリビア国民を無差別殺戮しようというのだぞ、やれるものならやってみよ!

 おお、それだ、それしかない。 読売も人質作戦に出る。 選手達が可哀想だ、待ち望むファンも気の毒だというキャンペーンを張れ! ネットの書き込みを漁れ、少しはそんなのもあるだろう。 なに? 批判と罵りばかりだ? たわけ! 何年読売でメシ喰っておるのだ。 サクラをもっと投入せぃ! 報知は一面トップだ、写真はジャイアンツギャルと子供にグッズ持たせて涙流させろ。 馬鹿者! 目薬くれてやりゃあいいんだ、目薬!

「天罰」 発言に匹敵しないのか

 一体こやつらは何を考えておるのかと、思わず仰け反るほどに呆けた口をあんぐりだ。 読売を筆頭とし、その金魚糞のようなセントラルリーグ各球団。 この非常時にあくまでも 3.25 開幕にこだわる必要がどこにあるのか。

 10万人以上の人が避難し、死者と行方不明者合わせてほぼ1万3千人。 破壊された行政機能がおぼつかない中での数字だけに、今後もおそらく増えそうだ。 未だ孤立している人々は分かっているだけでもほぼ1万人。 自衛隊の派遣規模約18万人はなんと約75%にものぼっている。 防衛省はこの16日、予備自衛官と即応予備自衛官の招集命令を発した。 まさに弓状列島未曾有の事態。 その上に原発事故がこれまで深刻化し、更には愚か者共の買い溜めや、止まぬ余震と風雪に暫定ルート確保は思うように進まない。 放射能に怯えながらの救援物資輸送なのだ。

 この状況を何と見ているのか。 ナベツネ爺さん曰く 「戦争に負けた後、3カ月で選手や監督から試合をやりたいという声があがって、プロ野球を始めた歴史がある」 だが、この現状認識欠如と甚だしい時代錯誤を諭してやれる取り巻きは一人もいないというのか。 百歩譲って爺さんの主張する旨、理解できたとしよう。 しかし、その屁理屈を当てはめても、今は戦時中なのである。 大空襲の猛火を防空頭巾とバケツリレーで対処している最中、野球を見に来てくださいよと宣伝して回る阿呆や、ビール片手に野球場へ出向く馬鹿がどこにいる。 ボケるのもいい加減にせよ。

 「何でもかんでも自粛すればいいのか。条件が許せばスタートするしかない。それがスポーツマンの責務」 とする読売・清武代表の言い分では、まったく世の現実を無視したゴリ押しだろう。 幹事長時代の小沢一郎でも思わず退いてしまいそうではないか。 これが読売球団の体質であり、それに俯いたまま黙して従う他の5球団で構成されているのがセントラルリーグなのだ。 コミッショナーはいわば国連事務総長のようなもので、大国のエゴによる拒否権発動にて、人類の望む方向へとけっして導けはしない。

 石原都知事は 「天罰」 発言で方々からの叱責を受けた。 ではセントラルがあくまでも 3.25 開幕に固執する行為はどうなのだ。 「天罰」 発言に匹敵しないのか。 ふざけるなという声は上がらないのか。 ナベツネ爺さんだからマスコミは沈黙か。

 選手会の主張の方がはるかに納得できる。 「プレーを見せることが被災地を勇気づけるとは思う。その思いは選手会もNPBも同じ。ただ、時期の問題。余震が続き、電力が制限されている状況ではやはり延期すべき」 と選手会長の新井は主張し、内海は 「余震もあり行方不明の方もいて、原発の問題、電力不足もある。ナイターで電力を使っていいものか。現状で野球をやって勇気づけられるかは疑問」 とした。 ごもっともではないか。 選手達の方が社会人として、国民として、球団の間抜け共よりよっぽど目が見えている。

 前選手会長の宮本に至っては 「復興が見えた時に勇気づけようというのはいいと思うが、いま野球で勇気づけようというのは思い上がり」 と、バッサリ斬り捨てる。 激しく同意で拍手喝采だ。 そして金本は 「勇気を与えるとか、勇気をもらうとかそういう状態ではないと思う。ゴルフもフィギュアもすべて中止になって、プロ野球だけがそこまで開幕にこだわる理由は何なのか」 と問う。 勿論、常識知らずなリーグに対する皮肉混じりの痛打である。

八月のカクテル光線

 高校球史に一時代を築いた尾藤元箕島校監督が他界した。 星陵高校山下総監督の言葉にならぬインタビューに貰い泣きする。

 青年監督として母校で指導を始めた頃、県内の強豪校は市和商だった。 初めて甲子園に出場しても、所詮田舎チームだという見方が多かった。 誰が名付けたか 「尾藤スマイル」 はその頃には微塵もない。 鬼のしごきと強引さが前に出て、けっこう周囲との衝突も軋轢も多かったと聞く。 甲子園ベンチでのスマイルは二度目に監督登用されてからではなかったろうか。

 公立校での春夏連覇は尾藤箕島が最初ではないのか。 その夏の決勝相手だった攻めダルマ・蔦監督の池田校がその後の甲子園で強い公立校として一世を風靡する。
 他の球技と同様、高校野球にもバックアップ資金が要る。 遠征費も馬鹿にならない。 近年の甲子園大会優勝校を見てみれば、私立校や宗教校の名が居並び、公立校は指折り数える程度にすぎない。 さわやかイレブンのようなチームはもう出てこないだろうと思われる。 尾藤箕島が強かった時代、地元漁師や蜜柑百姓らが熱を入れていた。 地元援助無しには田舎の公立校はいささか辛い。

 バント戦法の箕島野球は面白くないとも言われた。 だが、そこしかないという1-3-4のピンポイント空隙に転がす絶妙なプッシュバント戦法は、後の高校球児達のバント練習に用いられる模範にもなった。 またその裏で長打力も備えていた。 連覇の年、春の選抜決勝で四番の北野は牛島-香川の浪商バッテリーからサイクル安打を記録している。

 箕島といえば星陵戦、星陵といえば箕島戦。 神懸かりのような延長18回に亘る死闘が忘れられない。 作詞家の阿久悠は 「最高試合」 とした詩を書き、スポーツ・ノンフィクション・ライターの山際淳司は 「八月のカクテル光線」 と題した短編で名勝負を分析した。 紙一重でこの勝負を制した箕島がそのまま勝ち進んで優勝旗を手にしたのがドラマ性をよけいに引き立てている。 星陵が勝っていてもおそらく後日に優勝したのではなかろうかと思わせる強烈な試合印象がそこにあった。

 最近は一回戦の試合からでもゲームセットで互いの選手による握手が認められているが、当時はそれが許されていない。 試合後のホームベースを挟んだ整列、一礼後に主審が握手を促したのは実に気の利いた采配だったと記憶している。 当時の両軍メンバー達による交流が時を変え場所を変え幾度も育まれ続けていると聞く。 星陵のエース・堅田と投げ合った箕島の石井は今は紀州レンジャーズの監督を務めている。 年月の流れは早い。 あの試合は随分と昔の話になったが、当事者達には去年のような想い出かもしれない。 森川のファウルフライを捕殺寸前で転倒した星陵の加藤をいつまでも気に掛けていたという敵将・尾藤監督にとっては尚更だったろう。

 不思議なことに、箕島の野球チームと聞いて脳裏に浮かぶ姿は東尾や島本、吉井ら選手達のそれではない。 ベンチから半身乗り出した尾藤監督のユニフォーム姿である。 南海ホークスのように肩ストライプの箕島ユニフォームが尾藤監督の仕事着であったのは勿論だが、それが最も似合う人だったように今は思うのだ。

八百長騒ぎ

 大相撲の八百長騒ぎは、やくみつるの所見あたりがもっともらしく聞こえる。つまり相撲界の体質もタニマチも相撲ファンもみな同罪、おそらくそんなところだろうと踏んでおきながら黙認してきたツケであるという訳だ。
 その背景には 「みながみなそうではなかろう」 という腐食度合いの過小評価と、「そりゃまぁそんなこともあるだろうよ」 と波風立てるのを嫌う放任姿勢がある。日本人に限った性質ではなく、政治屋や役人の贈収賄が絶えぬ現状からでも判るように、人類社会の 「まぁまぁ堅いこと言いなさんな」 的展開なのだ。

 同じ興行でもプロレスというやつは早くからショーの要素が浸透し、人々はそれを承知の上で熱狂した。反則だらけのヒールにひどい目に遭わされ、這々の体で逃げ戻る吉村道明からタッチ交代した千両役者・力道山が悪役白人をやっつけるという、極めて単純明快なストーリーが高度成長への国民意欲を後押しもした。家庭のテレビ普及は大相撲、プロ野球と共にプロレスの存在抜きには語れまい。

 プロレスが欧米のショー的要素を上手く時代に合わせたものであったのに対し、相撲は国技とされていて、神前に奉納される神聖且つ冒さざるべき祀り事、神事儀礼に相当するという概念を強いていた。そういう土台がプロレスとはあまりに違う。
 それ故、人々が敢えて口の端にもしなかった裏側の汚点が表に出されると、それは俄に 「忌むべき部分」 となる。薄々感じてはいたものの、相撲ファンはその下劣な汚さをあからさまに見せて欲しくはないのである。見たいのは表舞台、花形役者の名演なので、楽屋で尻をボリボリ掻きながら鼻の穴ほじってる姿なんぞ見たくはないのである。

 裏ではそうなのかもしれないと漠然たる暗さを感じつつも、それを表立って知らされてしまったのでは相撲ファンの懐く嫌悪感は甚だ大きいだろう。蓋をしたまま見えぬ処で上手く掃除してくれるならまだしも、確たる証拠と共に目の前に突き出された事実への歯痒さや、やはりそうだったのかと崩れ落ちる偶像、もはや後戻りできぬ失望の鬱に、怒りの矛先は相撲界へと向けるしかないのである。

 理事になった貴乃花という若い親方が言っていたように、タニマチに囲まれ、何でもごっつぁんな在り方に問題もあるのだろう。ついでに星勘定も互助会形式で、という訳だ。競い合う勝負師であるべき相撲取りが労働組合ごっこでは話になるまい。
 新聞屋の親玉はじめ各業界の重鎮達が絡んでいる筈だから、協会そのものを路頭に迷わせるまではしないと思われる。国民のための国技という象徴的側面もあり、天皇杯も内閣総理大臣杯も、天覧相撲という面もある。ただ、それも今後発覚する規模にもよる。膿を出し切れと言われるが、どこまで出していいものか、国民に植え付けてきた格式と伝統というものが自浄行為と天秤に掛けられるであろう事は想像に難くない。

アジア杯 優勝

 よくやったザッケローニ・ジャパン、未だ負け無し。長友から李へと絵に描いたようなクロスボール、待ってましたのボレーシュートが綺麗だった。高さで勝り攻め続けた豪に精神的ダメージを与えるに充分だったのではないか。
 ドーハの悲劇からもう何年になるのか。その同じ地で並み居るアジア強豪を接戦で勝ち抜いた優勝カップの重さ、意味は軽いものではないだろう。

 高さと脚力でどうしても劣勢。カバーするのは素早いパスワークだろうが、安易なショートパスを面白いように奪われてしまう脆弱さが目に付く決勝戦でもあった。ここまでくれば蓄積疲労もかなりあるのだろう。その中で豪に得点させなかった総力の守りは立派ではないか。

 MVPに選ばれたのは本田圭。今大会で自分の目を惹いたのは守護神・川島といぶし銀・長友。よくやってくれた、本当にご苦労様だった。現地スタジアムに乗り込んだサポーターだけでなく、政治不審な日本国民にせめてもの光明を与えてくれたザッケローニ・ジャパンに感謝したい。

千葉ロッテが勝った

 激闘の日本シリーズだった。息詰まる投手戦もあり、追いつ追われつのシーソーゲームもあり、地上波中継が何試合あったのか知らないが、一方的でない両者のぶつかり合いは頂上決戦に相応しく思えた。

 千葉ロッテは4試合目の延長10回にキメられそうだった。最大のチャンスをサードライナーゲッツーという形で潰してしまうのも勝負の運か、リーグチャンピオン中日の底力か。6戦目、7戦目と延長続きな内容には球場に詰めかけたファンもお買い得なチケットだったろう。
 結果だけ見れば、CSで最後尾から勝ち上がった勢いを千葉ロッテはそのまま維持し続け、鉄壁の中日投手陣もこれを押さえきること叶わなかった。それにしてもこの第7戦、ロッテは終盤の毎回ピンチをよく躱した。

 見ていていつも感じるのは、西村監督という人は12球団で最も喋りが上手いのではないかということ。流暢で質問の意味を外さず、言いたい内容にそつも無く、この人は喋っていてもトチることは少ないのじゃないかなと思う。出来れば本拠地で優勝監督インタビューを受けたかっただろう。

 シーズン3位からの日本一は初めてらしい。毎年各チームの力が頡頏しているパ・リーグの実情がここに出ている。ますますもってペナントレース覇者への敬意が薄れていく気がしないでもないが、日本シリーズは完全に別物だと割り切ればいいのか。だが現行はどうにも中途半端な制度という印象を拭いきれない。
 完全に別物とするならば一発勝負の全球団トーナメントでもいいのではないのか。12球団に加えること独立リーグ、社会人野球、大学、高校から1チームずつ。これで16チームとなり、きれいなトーナメントツリーが出来上がるではないか。もっとも、興業だなんだで問題も多いだろうけれど、王さんあたりが中心となってひとつ考えてみてはくれまいかと願うところ。

球団の身売り話

 本拠地が新潟のプロ野球球団ができれば、球界にも地元にもいいではないかと思う。なにより野球熱を持った地元市民の後押しがあるのなら、それが最も重要で心強い。高額な球場使用料をぶん取られるくらいなら新天地もやむなしだ。

 TBSも保有のメディアを活用すればもっと上手くベイスターズ人気向上のバックアップが出来た筈で、どうにもハナからやる気の無さが目立った。球団の身売り話など、このような場合、何かに付け読売の一老人の御意向伺いに走る球界体質に問題があり、オーナー会議と称しても広域暴力団の寄り合いか地方土建屋の談合会議にしか見えず、アヤシイことこの上ない。

 今期Bクラスになってしまった3球団の中で、「黄金時代」 というべき強い数年間からまるで遠ざかっているのはベイスターズだけで、やはり勝つチームでなければ人気の浮上も難しかろう。有力選手を何人も抱えているのだから、今更 「あそこで松坂大輔を引き当ててさえいれば」 などと愚痴るのは子供の言い訳にもならない。
 シーズン通算総得点では優勝した中日と大差ない。失点で大きく離されてしまうのを見れば、投手力が弱すぎる。毎年課題にはなっているのだろうが、例えば海外からそれなりの助っ人も引っ張って来れないというのは球団の体勢問題だ。
 各チームとも球場周辺整備まで含めた総合的な観客動員計画も必要とされる。チャラチャラしたアッパラパー芸能人に始球式でもさせればよいという程度のアタマでは先行き必ずしも明るくはない。

 球団を保有しているというブランドメリットだけを求めるなら遅かれ早かれ失敗する。野球を理解し、野球が好きな連中をそれなりのポストに据えなければ話になるまい。楽天イーグルスは発足から良い傾向でやってきたものの、ここへ来て長期ビジョンに疑問も生じる。実績と共にファンに人気があった野村を解任したのは新鮮なイメージが欲しかったのか、それとも球界の宝にベンチ内で倒れられたのでは親会社の責任にも発展しかねないと考えたのか。取り急ぎなぜブラウン監督だったのか。その辺りは仙台のファンも首を傾げるところではなかろうか。

 一方、高田監督のシーズン途中辞任という事態に陥ったヤクルトスワローズは、小川監督代行という形で驚異的な復活を見せる。これは小川監督の手腕もあろうが、高田前監督の長期ビジョンによるチーム作りの成果でもある。日ハムファイターズの監督からゼネラルマネージャーまで務めた高田の、目先だけではないチーム強化戦略の賜ではないか。来期、ヤクルトスワローズは強いと思える。なにせ今期中日ドラゴンズに勝てたのはこのチームしかないのだから。

200本安打

 大相撲の白鵬が強い。これはしばらくライバルなんぞ出てきそうにない。足元が盤石なだけにうっかり相撲の取りこぼしも無さそうで、双葉山の記録も11月にはクリアするだろう。こうなってくると、では一体誰がこの驚異的連勝を止めるのかが俄然注目される。大相撲ファンの興味は今後その辺りになりそうだ。

 野球では200本安打という数字がやたら紙面上を躍る。イチローのメジャー通算10年連続。日本では二度目のヤクルト青木、ロッテ西岡と阪神マートン。
 イチローが記録した当時は130試合。今は144試合。単純計算して130試合で200本打つなら144試合では222本打たねばならない比率計算になる。イチローは130試合で210本打ったのだから、今年は233本打って同じペースになる。ちなみにメジャーで262安打を記録した年は161試合だ。このペースは144試合に当てはめれば234本となり、1994年と2004年は全く同ペースで安打を量産したことになる。こうしてみると、イチローはとんでもない安打数を記録したものだと改めて驚かされる。

 面白いのは、マートンが右打者、青木は左打者、西岡はスイッチヒッターという3種の打者が200本を超えた点だ。打高投低傾向が続く中、投手はますます苦労する。一線級の投手はみなメジャーに目を付けられているし、今後もエース級が海の向こうへ引き抜かれていくなら、200本安打超えの打者はいずれ3人程度では済まなくなりそうではないか。

しなやかに

 「しなやかに歌って」は山口百恵。阿木耀子の詞だ。竜童による「しなやかに」という部分のメロディがいつまでも耳に残るヒット曲になった。田中康夫が長野県知事に当選、就任した際に「しなやかな・・・」を連発して、土建族議員が席巻する議会から「意味解らん、そりゃどういうことだ」と喧々囂々突き上げられた。それは土建国家を脅かす「モノ書き人種」への理由無きアレルギー反応に見え、不謹慎ながら互いのやりとりが滑稽だった。

 プロゴルフ界で王子様と並んでスポーツ紙の目玉となっている宮里藍。世界ランク2位だ1位だと、その実力の程には目を見張るものがある。そこで「彼女以来だ」と引き合いに出されるのが、あの岡本綾子。
 岡本綾子その人とは知らず「アヤコ・オカモトを知ってるかい?」とかなんとか本人に質問する人の良さそうなアヤコファンのアメリカ人オジサン。微笑ましいCMだったが、これは全盛時の彼女が実際に経験した出来事だそうだ。単身米国で並み居る強豪選手達と競う日々であるプロ選手としては、嬉しくありがたい「ファンとの触れ合い」だったろう。

 腰痛に悩まされながらも、岡本はその美しいスイングで世界を魅了した。今では夜のスポーツニュースに登場することもなくなり、あのような華麗とも言えるスイングを持つ選手を目にする機会はまずないのではないか。
 ただ、あれを彷彿させるものがある。マリナーズのイチローだ。素人には難しい理論など解らぬものの、いずれも流れるような滑らかさに一切の無駄が無いかに映る。勿論、鍛えられた筋力あって為せる技に違いない。そうでなくば双方共にあれほどの飛距離は出まい。

 しなやかで弾力ある鞭が音もなく払われるような動きは、演舞の如く見ていて「美しい」と感じる。そして、それはまたセクシーでもあるではないか。

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