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救出劇

 地下深くに閉じ込められた33人とその家族、関係者達それぞれの思いは、全員救命というこれ以上ない素晴らしい形で実を結んだ。国交断絶しているチリとボリビアのトップが並んで喜びの記者会見というのも、救出に成功した最近の技術のおかげだ。困難は山ほどあるのだろうが、これを機に徐々に両国の交流が始まれば最高ではないか。

 もう映画撮影が始まっているという商売根性には恐れ入る。確かに閉じ込められた人各々の人生模様、職場のあり方、有事に際した判断など、映画の題材には持って来いだ。構成や脚本にアタマ痛める必要がない。現実の出来事そのものがドラマチック過ぎるほどの展開だった。なにせ「全員救出」という喜びが前提にある。ハッピーエンドが分かっている物語のウケようはハリウッド中心に実証済みだ。人命救助の快挙記録としてだけでも値打ちがあるだろう。

 2000人を超す報道関係者で埋まった現場だったらしい。これがもしも中国奥地などでの事故であったらと想像すると大変恐ろしい結末も想定出来てしまう。100%の救出成功確率がなければ厳重な報道規制を敷くだろうし、全世界が固唾を飲んで見守るという事もない。都合の悪い状況は全て蓋をする政策だけに、下手をすれば見殺しにされかねない。

 それはともかく、人名を尊ぶのに国境はない。最高の結果を得た明るいニュースだ。

サルもお縄か

 三島でサルが捕獲されたという。20万貰えるなら我が家へ侵入して欲しかったと羨んでいる奥様がもしもいるなら、それは我が家が被害家庭でなく幸運だったと考えるべきではないか。今回捕まった部屋はどのような状況だったのか分からないが、どの御家庭もモノの無い殺風景な独房を思わせる部屋などありはしない。下手に暴れられてぐちゃぐちゃに引っ掻き回されたのでは、直下型地震に見舞われた部屋も同然の有様になってしまうではないか。不幸にも台所であったなら目も当てられず、最悪の場合はガス漏れのような事態になりかねない。

 このサルも 「凶暴ザル」 だ 「噛み付きザル」 だと、散々な言われようだ。さもありなん、ただそこに突っ立っているオバサンの背後にいきなり襲い掛かるのでは、人間にとって通り魔被害と変わらない。住宅街を徘徊しているのは美味そうなものもあるのだろう、居心地悪ければ好きこのんで人間臭い場所にいつまでもいないわいと開き直りそうだ。
 捕獲網を持った警察官やら住民等に追い回されてもその界隈がいいのか。山に帰る方向すらもう分からなくなっているのかもしれない。帰りたいけど帰れない・・・と屋根の上から赤い夕日を眺めては “誰か故郷を思わザル” であったのだろうか。

 はぐれたサルなのか、集団行動中に置いてきぼりにされたのか、性格に問題があり過ぎて群れを追い出されたのか、はたまた世を儚んで無宿渡世の道を選んだのか。山深くに戻してやって運良く群れに再会できたとしても、このサルの将来は爪弾きにされるのが関の山に思える。権力闘争などには到底加われそうにない。孤独でしがない裏街道人生になってしまったのは事実だろう。


 ドングリの実が極めて少ないのでクマも民家周辺に下りてくる。田圃の様子を見に行った老人が襲われたりする。果樹園などは格好のターゲットだ。収穫前の農家は対策に頭が痛い。民家に押し入り、漬け物桶をひっくり返して漁ったりもするらしい。
 野良仕事から戻るとクマが台所に座り込んでいて、「おい、このぬか漬けはマズイな。ここの嫁はロクなもんじゃねぇ」 なんていいながら漬け物をバリボリ喰っているかもしれない。「おめぇ、ちゃんとぬか床混ぜてやってンのか? ちょいとビール入れて混ぜてみろ」 などと教えてくれるならまだしも、いきなりあの手爪でぐわっとやられたのではたまらない。

 クマもイノシシも死活問題だから里に下りてくる。それは無理もない。かといってお山の獣に怯えながらの生活も困る。里山の整備を放棄してきたからいかんのだと声が上がる。それはそうかもしれないが、その昔は国策で杉檜を植林させ、やがては外材に値段負けして今の山林荒廃になっている。菅内閣は林業の復活をと唱えているが、補助の名目でバラマキ政策を続けたところで荒廃規模が規模だけに焼け石に水のような気がする。
 それより先に緊急の課題があるだろう。土地は持っているが管理出来ず、税金も払えない。その結果は中国人や暴力団に平然と土地を売り捌いている現実があるではないか。これを早急に食い止めねば獣被害の比ではなく、山林荒廃どころの問題ではなくなろう。

 女性の「困り顔」 というのにスポットライトが当てられているのだとかいう噂だが、困った表情に近い、或いはそう見える顔の作りなのか。困ると眉間に何らかのシワを発生させる人も中にはいるではないか。まさかそんなのではないだろう。それとも情け無いような表情に見える人のことか。
 挑戦的なキツい印象とは逆の人を指すのかもしれない。であれば、一見気弱そうで従順そうに見える女性を好む男共は昔から変わらず多かろうに。今更 「人相屋」 とか 「顔面評論家」 が論評するほどのものでもない。

 一昔前はアイドルでも工藤静香とか堀ちえみといった方々はそのテの御尊顔ではなかったか。ちなみに、プリキュアの洋館住人・レギーネ女史などは数あるアニメの中でもその典型で、ああこの娘を守ってあげたいと思わせるのを通り越して、お前、世の中に楽しみのひとつもないのかい、と同情まで買いそうではないか。

 あくまでも 「見てくれ」 の話で、その人が本当に控えめでおとなしいのかはまた別である。性格がまことにそのようなのであれば日頃の面立ちにもおのずと表れてもこようが、女子高生がカワユク見せようと尻肉の窺えるほどにスカートを短くたくし上げるのと同様、それが作り表情の演技ならばいかな馬鹿男共とて即座にそれは見抜くだろう。
 仕掛け屋共が “流行り” だとして吹聴して回り、そのようなメイクもしてくれるお店もあるらしいが、女性達はファッションとしてそれに乗っても、男をオトす道具と考えない方が身のためではなかろうか。

日本刀の心

 「ストライクウィッチーズ2」 も終わった。最後は坂本少佐の扶桑の刀、いわゆる日本刀がものをいう。見渡せば日本刀が用いられるアニメのなんと多いことか。「聖剣の刀鍛冶」 では幾度も折り返して鍛錬する呪文も見られた。日本のアニメだから日本刀なのだという訳でもないだろう。西洋の剣や青竜刀に比べてその方がウケるというのならば、美術品としての価値も高いその姿、その美しさ故か。

 そうではあるまい。我々は無意識のうちにその刀を通して日本人の心を見ているのだ。それは高潔を誇る武士の精神、魂と言い換えてもいい。カミソリの代用に髭も剃れる繊細な鋭利さと、骨をも断ち切る玉鋼の強靱さ。鍛錬の過程で生じる絶妙な反り。刀匠と呼ばれる名人がそこに魂を込めて技を発揮する製造方法からしても、ただの長尺刃物とは完全に一線を画するシロモノだ。

 妖刀と呼ばれる物騒なものもまことしやかに語られたりする。今宵の虎徹は血に飢えておる、などというセリフは有名だ。幾人もの血を吸った刀はそうなる可能性があるのなら、そいつは紛れもなく血に飢えた生き物ではないか。武士道を地でいくようなお侍が腰に差しているならいいが、イカれた野郎や暴力団が振り回すのは 「ナントカに刃物」 でしかなく、ただの人斬り包丁だ。やはりそこに魂が存在するという信仰めいた思いは我々が持つ敬虔な感情で、修行と鍛練を積んでその高処に行けた者だけが手にすることが出来るという崇高さを少なからず日本刀に見ている。




 かつて武士は刀という武器をもって世を支配した。武力制圧で民を脅かしたのとは少し異なるが、あのような刃物をかざして 「従え」 と命じられたのでは怯えながらでも言う事を聞かざるを得ない。なにせ庶民には武力がない。その負の部分を埋め合わせるかのように武士が見せつけたのが求道精神や高潔な姿ではなかったか。

 慎ましさの中に研ぎ澄まされる感覚、気高く厳格な礼節を重んじた隠忍自重の姿勢、彼等の魂である刀をもって煩悩を断ち切るという独特の世界観を示し、刀を腰に差して道の真ん中を横柄に歩くが、ある面、自らを厳律の中に置いた修行者の姿と重なって民の目に映った。彼等に対する敬いが徐々に生じたとしても不思議でない。それは精神性に於いて、民の手本ともなった。勿論、庶民に武士の真似が出来る筈もない。理不尽を捨て置かず “恥” を忌むのが美徳とされる、その辺りが道徳観念として庶民に浸透したのではないか。

 有名な松の廊下刃傷騒ぎから赤穂浪士の討ち入り事件、いわゆる後に語り継がれた 「忠臣蔵」 には庶民感情が表れているだろう。時の将軍は希代の馬鹿殿・犬公方である。人間様より犬を大切にせよとの理不尽さは庶民に鬱憤を募らせた。そこで起こった刃傷事件と肩手落ちな裁断に向けられた世論は、野次馬根性と言うよりは、どうにも納得ならぬ閉塞感への反発ではなかったのか。結果、吉良は悪役にされ、お家断絶の浪士達には武士の意気地が期待された。片や理不尽、間抜け面でそれに従順なだけでは “お家” の恥、武士の恥ではないかというものだ。

 やがて悪役の吉良は首を取られ、浪士達は本懐遂げた上での切腹という人々の納得出来る形で騒動は終わる。「さむれぇってなぁよ、やっぱこうでなきゃぁいけねぇわな」 といった溜飲の下げようである。浪士を義士と称え、やんやの喝采で後に幾重にも脚色された物語として現代にまで至らしめるのを見れば、庶民が理不尽に対する武士の意地とその本懐をいかに尊んだのかが窺い知れる。武士でなくとも、侍とは何たるか、どうあるべきかを知っており、武士の美徳はそのまま民衆の美徳として人々の精神に刻まれていた。

 明治になると列強相手に富国強兵の世となり、武士道や神道はそのために利用される。国は武士の精神をそのまま軍に取り入れようとした。侍の世とは違って雑兵が多数を占める国家の軍隊。非戦闘員まで含めた国民に何らかの統一精神を植え付けるには武士道は格好の材料であった。しかしそれは劣勢と同時に妙な方向へねじ曲げられてもいく。

 一億玉砕などという 「城を枕に討ち死に論」 は圧倒的物量と大量破壊兵器の前に役立たず、未来の国家を背負うべき若き命が次々に散らされる。無駄死にだろうが何だろうが死ぬことだけに美を見いだそうとした断末魔の狂気が窺える。敗走の中で子供は泣きわめいて敵に見つかるから始末すると、小さな同胞子女に向け軍刀を抜いた軍人などはそれのどこに武士の精神があろうか。挙げ句の果てには民間人を置き去りにし、我先にとトンズラこいた軍の無様さにはサムライの 「サ」 の字も見当たらない。

 国軍がそのようにだらしない連中ばかりだったと言うつもりは毛頭ない。語り継がれているようにサムライスピリッツな軍人も多くいた。故に敗戦後の復興日本国がある。統制下の教育で国家的精神を植え付けようとしてもおのずと限界があるということだ。また崇高な求道精神はそのような教育で得られるものでもない。幾年にも亘る修行と鍛錬の中にこそ見いだせる。
 オカルト、神霊マニア的な言い方をするなら、そもそも軍刀という大量生産の刀に魂など宿る筈がないではないか。刀匠の身になって考えてみるがいい、軍刀の大半はまがいものの “ナマクラ” でしかなかっただろう。

 焼土の中、占領軍の統治が始まる。醤油は作るなパンを喰え、から始まって日本文化とその精神性の解体に容赦無い。それでも我等の先人達は菜っ葉と塩だけで子を育て、古くから根付いた教えを継承する。黙して耐え忍ぶ厳しさと恥を知らねばならぬ潔身の尊さである。刀と武士が築いた民族の誇れる精神である。
 我々は当時の人々に感謝しなければならない。一度滅ぼされたかのような焼け跡から欧米が目を見張る驚異の復興を為し得たのは、狡賢く物真似上手な器用さを持つ民族であったからではない。GHQの下、異文化を強制されつつも脈々と受け継がれる清廉な日本刀の心を持ち続けたからである。我々が今こうしていられるのはそのおかげだ。



 わざわざそこへ行かずとも豊かになった一部の中国からそこの様子が映像で届く。あれを見る限り、およそ礼節など縁遠い人々に見える。何かあれば我先にと殺到し、ルールは破られるためにありそうだ。チケットを奪い合い、列車への乗り込みも押し合いへし合いだ。とにかく他人より先にそれを手中にせねば生きていけないらしく、手段を選ばず警備員の制止を振り払うみっともない姿には恥も外聞も無いように見える。敗戦直後の買い出しやヤミ市でもあのような真似はしなかったのではなかろうかと、恥を知る日本人の我が目には卑しく浅ましい餓鬼のように映る。

 いいものをパクって何が悪いという風土であるらしい。知的財産とは何たるものかを教えても無駄だろう。国家そのものが国策として技術パクリのし放題なのだからして、鄧小平が言った 「豊かになれる者から先に豊かになれ」 を捩れば、「盗めるところから先に盗め」 といったところか。
 急激に膨れ上がった拝金主義はもはやどうにもなるまい。それまでの道徳観念などは踏み潰されたかに思える。一党独裁の圧政に於けるガス抜きは国と一部の者達に富を与えたが、解放と富に浮かれる中で生まれた拝金主義の甘い蜜味は打ち消しようがない。世界全域にネットワークを誇る華僑に元からそういう素地があったことも否定できない。

 中国は一党独裁の弾圧政策で保っている非民主主義国である。餌撒きも罠も国策として取り仕切る。企業らしきものはそこにあっても真の民間企業など存在しない。安い労働力や市場をちらつかされただけでホイホイ尻尾を振り、のこのこ出向く前にそういうヤバい国であるという認識が甘すぎよう。結果を見てみれば苦心の技術を丸裸にされ吸い取られるだけで、ザマはない。巨大な盗っ人を肥え太らせ、それが今になって脅威だ脅威だと慌てふためいているうちに領土を乗っ取られようとしている。

 鎖国の島国という極めて特異な条件下で育まれた日本人の心は、他国と比較できるものではない。大陸では侵略と報復が繰り返され、それは強奪の歴史でもある。理屈も大儀もへったくれもない、奪ってしまえば勝ち、それでいいのである。そういう歴史の中で彼等の精神は築かれている。我々が思っているほど我々は他国のそれを理解し得ていない。殊に我が国の政財界に於いて顕著に思えてならない。

 外交や他国内での事業に於いて、他国がまさかそんな理不尽なことはしないだろうと踏んで掛かるのは、言い換えれば日本人の持つ 「恥を知る精神」 の尺度で物事を見ているからに他ならない。お前達はとことん馬鹿ではないのかと思ってしまう。敵に塩を送る情けもそこに生ずる義理も、そのようなものには無縁の相手であることを知るべきだ。武士道の礼節をもってすれば相手も応じるとタカを括るのは極めて愚かである。こと外交に於いては、好意をもって当たれば好意的に返ってくるという根拠などどこにもありはしないのだ。

売国の行為

 領海侵犯の上、漁船をぶつけてきた船長に、地検が 「日中関係を考慮」 など言語道断。地検が政治外交にそこまで口出しする筈もない。政府の愚かな判断に違いない。これには各方面から非難と糾弾の声が上がって当然で、今の政官財にろくでもない一派が存在するということでもあるだろう。

 都知事の言うように、向こうは暴力団のやり口そのままで、新米与党の間抜け外交やすったもんだの内紛を見計らっては突きにきた。ここで圧力に折れてしまったからには、中国は確実に 「領土問題」 として国の内外に向けた宣伝に成功したと言える。悲しいかな、今のままでは我が国固有の領土を乗っ取られるのも時間の問題に思えてくる。
 脅かせばいくらでも領土を差し出す世話のない島国だと大国は値踏みするだろうし、アジア各国は、やはり中国様には何も言えんのかと、かつてのアジアの盟主の凋落ぶりに冷ややかな視線を浴びせるだろう。近い将来、あの列島は米中で分割されるかもしれん、いやさ、もう米中の密約は出来上がっているのではないかと、極端な見方をする国もあるかもしれないではないか。

 今回の弱腰な対応は、脅されて即座に平伏したその哀れなまでの姿に外交姿勢の全てが凝縮されている。国が毅然たる姿を示さぬ限り、我が国内に於いて対中をはじめ対外運動が起きないとも限らない。それは国の統治能力まで問われよう。アンポンタンの国会議員や官僚共、まさかアメリカ様が我が国を守ってくれると本気で思っているのではないだろうなと、案ずるところがかなり深刻だ。

 国土を差し出すに等しい行為の政府に、国民の失望は甚だ大きいだろう。このまま奴等にやらせておけば国を滅ぼされてしまいかねない、という不安が渦巻く。この失態でもう国会は機能せず、解散総選挙、政界再編は避けられないのではないか。一刻も早く領海侵犯等に対処する法制化も必要だ。

真っ二つ

 これが民主党の現状なのだろう。代表選で中央の国会議員票では僅か6票差だった。鳩山バカボンに於いて象徴的である如く、「世話になっている」などの個人的理由でその候補に付くのが大儀であるという、とんでもない脳味噌ばかりなのだろう。サポーター票などは世論と比例するものと片付けてしまえば、小沢はやはり党内で強かったという事実がここにあるではないか。はたして今後、政策の党内議論なんぞまともに出来るのか。我々の目に浮かぶのは、与党内での足の引っ張り合いから生み出されるみすぼらしい骨抜き法案の陳列ではなかろうか。

 菅の「小沢外し」が赤裸々過ぎもしたが、世論調査の支持率は跳ね上がった。ここで小沢本人を担ぎ出した連中は明らかにその時機を踏み違えた観がある。世間には、なんで小沢本人なのだ? という疑問が最初にあったろう。
 政権交代直後の国民の失望は、馬鹿坊ちゃま総理に加えて、旧自民党の権力横暴そのものな新任幹事長の振る舞いにあった。やがて小沢は脇を突かれ、鳩山はあちこちを乱雑に引っ掻き回すだけでその座から降りざるを得なくなった。哀れ傀儡総理が為した唯一の “仕事” は、道連れとして「嫌われ幹事長」を引きずり下ろした事だけだった。

 しかし今回の民主党代表選は、菅が言うように実施して正解ではなかったか。勢力構造が真っ二つであるのが晒されただけでも国民の目には得るものがある。前総理の鳩山が今回の対立選挙を回避しようと努めたかに言われる向きもあるが、それは間違いだろう。鳩山はただ小沢のパシリを務めただけに過ぎない。
 「幹事長の椅子をよこせばこのままにしといてやると言い含めてこい」などと押され、ひょこひょこ官邸に出向いたものの、「何を酔ったようなこと言ってやがる」とあしらわれ、「ありゃあ言うこと聞きませんよ」と小沢の元へ舞い戻る。御舎弟様の例えではないが「黒い阿呆バト」そのもので、その馬鹿っ面に恥の上塗りをしただけである。
 
 代表選投票直前に行われた双方の最終演説はなかなかの理想論で、浮動議員共には甲乙付け難かったのではないか。しかし外交については何ら触れず、米軍基地も中国の軍事増強も、尖閣諸島や北方領土、円高日本一人負けの糞詰まり現状も、ややこしい話は棚置きだ。
 党内を二分した権力争いの最中、これは好都合とばかりに中国はやたらと揺さぶりを掛けている。国家が一丸とならねばならん時に、お前達はいい加減にせいと我等は毒突くものの、国民が懐く危機感を知ってか知らずか、「挙党一致、分裂だけは避けたい」などと頭数の確保だけに御執心のようだ。

 分裂を恐れ、野党に下る度胸も持てず、意味無く妥協の上の擦り合わせだけが生まれるのであれば、それでは改革も進みそうでなく、ウロウロしている間に国は占領されているかもしれない。

トロンボーン奏者の谷啓

 加藤茶が漏らしていたように、ドリフは兄貴分のクレージーから色々ギャグネタをパクったそうで、クレージーキャッツがあったればこそドリフの道も開けた。兄貴達から戴けるものは戴いたというのは加藤の本音だろう。

 クレージーキャッツメンバーだった谷啓が亡くなった。竹中直人が秘かに通う音楽教室でトロンボーンを手にしてジャズの初歩を教える教師役を演じていたのはつい5,6年前ではなかったか。
 ハナ肇がドラム叩かねばもの足りないのと同様、谷啓といえばトロンボーンで、それを手にしていないと谷啓らしく見えなかった。一発ギャグをカマしている姿より、演奏している谷啓を好きだったファンも多いと思われる。

 泣く子も黙る天下のナベプロ。映画ではクレージーキャッツとしての喜劇ものがメインだったろうが、ときたまTVドラマなどで違った面も見せていた。男爵ジャガイモのように丸っこく、人の良さそうなあの顔が見られないのは寂しい。私には「ガチョ~ン」の谷啓よりもトロンボーン奏者の谷啓だった。

小澤征爾が帰ってきた

 小澤征爾が指揮台に戻ってきた。7分程度の「弦楽セレナード」第1楽章だけだったらしい。病み上がりとは思えないダイナミックな指揮だったそうだ。
 この人は世界的な音楽家と人々に認められてからの指揮者歴が長い。もう80を超えているのではないのかと思いきや、75歳だそうではないか。カラヤンとかバーンスタインに師事して「オザワ」の名が知られていったのはそれだけ若かったという事だ。
 最近では小沢一郎の幹事長室に乗り込んで、おまえ、芸術の芽ぇ摘むようなつまんねぇ予算切りすんじゃねぇぞ、と行動力を見せた。

 以前にTVで語っていた。彼はヒゲの山本直純や岩城宏之らと殆ど同年代らしい。山本直純という男はとんでもない秀才で、自分達とはかけ離れて優秀だった、と笑っていた。残念なことに山本も岩城も既に他界してしまったが、佐渡裕のような世代が頼もしく映っているのではないだろうか。小澤征爾にはいつまでも元気で振って貰いたい、多くのリスナーはそう願っている。

ああ野党第一党

 この前の参院選で勝利した自民党はどこにいるのだろうかと暫く捜さねばならない。与党民主党の代表選騒ぎにマスコミが乗っかり、野党各党の影はどこにもない。もっとも、公明党辺りは池田親分から「オザワ君に協力を惜しむな」なんていう御命令を受けているかもしれないのだが。

 安倍-福田-麻生という自民党急下降時に小泉純一郎が漏らした言葉が、「党内にはっきりした抵抗勢力がないと苦しい」というものだった。その点、民主党という政党は各方面からの寄せ集めから出来ており、少しの外力により容易に二分三分となる脆弱性を持っている。鳩山坊ちゃまの訳の分からん“お小遣い”もそういったピースの貼り合わせ接着剤だったのではないのかと勘ぐってもみる。

 真相はトロイカやその周辺だけが知るにせよ、小泉の言う「党内抵抗勢力」だけを取り上げれば、それにまったく不自由しないのが民主党という政党であるのは間違いない。現在は与党でもあり、マスコミには格好のネタで、騒いでくれれば野党各党の影をかなり薄めてしまえる。
 一部の報道にあるように、政局と裏工作の小沢一郎が表に立つ今の状況は、やはり本人が外堀を埋められたからだろうとは思えるものの、その結果、注目を一身に集めることによって憎っくき自民党に発言の機を与えず、人民の脳裏からその存在を薄れさせる展開になっているのは、画策したものではないとしても悪い気分ではないだろう。

 情けないのが自民党で、参院をひっくり返せたというのに国民にまったくアピールがない。賑わしたのは森喜朗の息子が間抜けな事故を起こしたとか、参院会長選で中曽根弘文が谷川秀善と同票だったとか、やれ造反だの裏切りだの派閥退会だのと、自民党支持者が聞けば「お前達はこの2ヶ月何をやっていたのか」と怒れる要素ばかりだ。こんな調子ではとてもじゃないが解散総選挙に追い込めまい。野党第一党としての理路整然たる対抗案など出せそうにないではないか。

 小沢総理になれば突ける部分もまた増える、とでも考えているのだろうか。だとすれば、それは甘すぎる。国会を紛糾させ、遅延行為を繰り返すことは出来ても、したたかで用意周到な上に権力を握った相手を追い詰めるのは並の力量では為し得ないだろう。旧態依然の派閥を温存しては互いに疑心暗鬼に右往左往している現状では、政党支持率の上昇など夢のまた夢。

作物も受難

 お天気姉さんに「猛烈な残暑となるでしょう」 なんて平気な顔で事務的に言われても、ああそうかい、まだ暑いのかい、と真っ赤な太陽印オンパレードな週間予報を一瞥するのみ。

 しかしこれだけ降らずに焼け続けでは、まともに育つ作物の方が珍しかろう。だいたいナラの木が焼け枯れしてしまうのだから、畑地で肥料を貰い蝶よ花よと面倒見て貰ってるお公家さん並の作物などひとたまりもない。
 中には、陽の恵みが多かったので味も良い、というのもあるだろうが、海水温がやたら高くてこれだけ妙な天候だと魚も野菜も果実も、それらの多くにとって好条件であろう筈がない。

 なぜこんな所で南方の魚が揚がるのだ、というニュースばかりが目白押しで、ヒカリモンの青魚に混ざって網の中にケバい色の鑑賞魚みたいな旨くも無さそうなのが多くなると、網を揚げる漁師の人々も「今年はダメだな」だけでは済まないだろう。
 環境が変わればそれに合わせていくのが生物進化なのかもしれないが、数年で手のひら返したように進化できる訳ではない。徐々にではなく急激ともいえる環境の変化に対応可能な生物は極めて少ない。まずは今までの環境と似たような場所へと引っ越すのが手っ取り早いではないか。

 暑けりゃ奮発してエアコンでも取り付けちまえ、エコポイントはまだ利くだろう、などというのは人間様だけで、魚群も渡り鳥もそこに来なくなったというのは、こんなトコに居られるけぇ、とばかりにその場所を捨てたのだ。
 惑星衝突などの天変地異は、昼飯喰ってる間に環境がガラリと一変したも同じで、引っ越す暇もなければ引っ越す場所もない。多くの種はその場でお釈迦になるしかない。そんな世も末な出来事でなくとも、年々北極の氷が溶け、乾燥地帯の砂漠化は更に進み、毎年多くの湖が姿を消す。

 我が国の気象もさながら小規模な雨期・乾期のようになり、降らないとなれば壇を設けて雨乞い祈祷をせねばならず、降るとなれば南国のスコール並に集中豪雨をもたらす。これではいくら世話をしていても作物達には受難だろう。
 我が国の人間様も、今まで流行ったことのない伝染病に脅かされる可能性が大だ。エコだCO2削減だと宣うのも結構だが、ここまで平均気温が上がると病原菌のヤツは一挙にやって来そうなのだから、能なし政府にはそちらの対策もぬかりなく願いたい。