目まぐるしい現代では既に懐かしささえ漂うこの作品。放映当時は異常な程にオタクが群がりました。魔法使いが操るサイエンステクノロジーと母子愛、それに加えるところの人情浪花節な世界を回想致します。



 バトンをスッと一振すれば思う姿に変身出来、愛しい彼のために金燭台付き薔薇の食卓が調えられる・・・・。魔法少女たる者、初々しい恋心を胸に秘めては乙女チックなラブコメディに終始するところでありますが、そのような先入観で『リリカルなのは』という作品に臨めば間違い無く打ちのめされましょう。




 魔法能力を用いた激しいバトルが縦横に散りばめられ、使われる戦闘手段は魔術ではあるもののメカニカルな杖から発せられる強力なエネルギー波であったり、キックやナックルパンチ、剣や大斧、ハンマーに大掛矢といった類による武闘でもあります。時空管理局という設定はさながら強大な世界警察、国連軍のようなもので、彼等の船は時空間を自由に往来する“時空戦艦。それらはサイエンスフィクションの範疇にありこそすれ、彼氏のハートを射止めるための“愛らしき不思議魔法”とはおよそ縁遠いものです。劇中に使われる用語に於いても「中距離射撃」とか「近接戦闘」などが飛び交い、「リリカルマジカル」で可愛らしくケーキにデコレーションの花が咲く、などというイメージではありません。






 実際、このシリーズが大変な人気を博した要因のひとつは魔法術をサイエンスとメカニックで描き表した設定でしょう。様々な個別魔法を集積してプログラミングされた超小型の魔法術用集積回路とでも申しましょうか、躍動する魔法少女達はインテリジェントデバイスやアームドデバイス等と称されるそれを各々携え、それに命令を与えてはメカニカルな杖や斧からロケット砲弾や自動追尾ミサイルに似た攻撃までを駆使します。この辺り、魔法術という前提にありながらもハイテク武器・武装による実弾戦闘を見せられているかの如き感覚を与えられるものです。






 高町なのはのデバイス、レイジングハートは通常赤色宝石の形状であり、戦闘時にマスターの命令、即ち精神エネルギーによって発動して武器である杖に変貌します。それは他の魔法使い達の持ち物と同じくマスターに付き従う“意志”を持ち合わせ、マスター・なのはとそれが呼び掛け合い言葉を交わす様はまさに主従であり、互いに思いやり信頼の絆を表す場面などはかけがえ無い友人の関係がそこに見られます。
 なのはのレイジングハートを始め魔法使い少女達が持つそのプログラムはかように人工生命的存在でもあり、無機質であろうハイテク戦闘の中にあって有機じみた温もりを生み出しています。魔女のキキと黒猫のジジ同様、マスターに常に寄り添う寡黙な相棒とも言え、マスターのために見せる強い意志についホロリとさせられることも少なくはありません。






 シリーズ初作品に比べて2作目である『A's』、更に3作目の『StrikerS』ではメカニカルな部分がより色濃く、『A's』ではなのはやフェイトの魔法がそれまでのミッドチルダ式と呼ばれるものからベルカ式魔法というカートリッジシステムに変えられます。これは『闇の書』の守護・ヴォルケンリッターに対抗すべくインテリジェントデバイス自らの意志により変更されたもので、6発の銃弾装填よろしく、なのははオートマチック、フェイトはリボルバーで、硝煙とも蒸気とも見受けられる噴出煙と共にライフルや突撃銃の如く空薬莢の跳ぶ映像は、到底魔法使い同士のバトルに見えません。









 ゲーム屋のDNAを持つ作品でしょうから、多分にゲームスパイスが利いているように思います。戦闘シーンは見応えがあり、近接武闘から中距離空中戦まで観る者を釘付けにするパワーがあります。
 1作目の初期にはさほど感じなかったものの、バリアジャケット姿になった高町なのはやフェイト・テスタロッサはやや大人びた容姿に見えてきます。実際に作画が多少それを意識しているのか否かは知り得ぬところながら、手も足も少し長い方が戦闘動画には効果的でしょうし、バリアジャケットの容姿では少しだけ成長させて描いた方がより映えるのだろうと勝手な想像を巡らせます。









 1作目に於けるなのはの『白』フェイトの『黒』という並びは正義と悪のシンボルでもありますが、実に不幸な身の上であるフェイトと、純真無垢なるなのはとの対比でもあります。
 高町なのははユーノ君の協力者としてジュエルシードを集めます。しかし、魔法使いとなって誰も知らぬ世界に足を踏み入れてしまったがために二人の友達に秘密を作ることになり、またある意味で疎遠にならざるを得ません。イタチ姿のユーノ君が傍らにいるものの、バケモノ相手に孤独な闘いを強いられることになります。
 一方、フェイトは、娘を亡くしたプレシア・テスタロッサの身勝手な狂気から生み出された実娘の代用生命であり、実娘の仮想記憶を植え付けられてジュエルシード集めを強制されています。フェイト本人は真実も知らず、ただ母のためにと使い魔・アルフを従えて働いていますが、狂気の母に気絶するまで鞭打たれてもなお、母さんが望むのだからと痛々しく出掛ける姿がこの上無い悲哀、なんとも無情であります。








 初回から数話だけ見れば『リリカルマジカル』の世界色が強く、ああ9歳の女の子のCCさくら風お話しなのだなと微笑ましく眺めるかもしれません。ところが、なのはとフェイトが出会うに至って話は深刻化してきます。共に相棒はいるもののそれぞれ所詮独りな戦いの日々。そこで出会った同い年のような少女。互いに同じものを捜索蒐集している以上はやり過ごせず、向き合わねばなりません。謎だらけながらも手を差し伸べ、更に近付きたいなのはに対し、虐待を受けつつも頑なまでに母親の命に従うフェイトという相関図に、もはや『リリカルマジカル』のキャピキャピ話しではなくなってしまいます。
 第1作目は云うまでもなくこの二人の出会いからリボンの交換によって絆を結ぶまでを描いたもので、フェイト・テスタロッサ救済の物語でもあります。シリーズ全作品に脈々と流れて止まぬテーマ“母と娘”による愛情は、第1作目に於いてプレシアとアリシア、フェイトによる人道無視の非道極まる母と、それでも自分を生み育ててくれた母に対する娘の餓えたような愛情が交錯する歪み捩れた母娘関係からスタートするのです。









 制作メインスタッフの中に女性の感性無くしてこのような作品は出来ないだろうと思え、もしも無精ヒゲだらけな無骨男共だけでも作れるのだというのであれば大したもので、その感性に恐れ入ります。
 2作目『A's』ではまろやかな関西弁も温かい八神はやての母性と、それに付き従う個性豊かな守護騎士四人が描かれます。彼等の関係は「それまでの主(あるじ)とは何もかもが違っていた・・・」という守護騎士のセリフに要約され、車椅子のはやては『闇の書』の主を自覚しつつも守護騎士達をこき使うどころか大切な家族であるとし、短期間ながらそこに風変わりな一家を構えます。






 多くの関西お笑い芸人を関東に送り込む某芸能プロのせいか、お笑いタレント言葉が関西弁だと理解されがちな風潮にあって、この八神はやての物腰柔らかな関西言葉は非情バトルの合間に心地良く染み渡り、この作品にとって母親の温かさが際立つ実に重要なエキスであります。時に、地方の言葉、イントネーションというものは代えようのない働きをするもので、アニメ『最終兵器彼女』に於いては舞台である北海道の言葉で交わされる青い二人が痛々しくも印象深いのでして、あれが軽佻浮薄丸出しな流行り言葉の羅列では、感動の名場面も観る者が萎えようというものであります。






 八神家家族として平穏に暮らすように、との命に忠実な騎士達ではあったものの、主の病が悪化の一途を辿りこの先危ないと知るや、秘密裏に主への誓いを破るに至ります。『闇の書』の全項を埋めるべく主に隠れて日夜魔力を奪い漁るのです。主のために主への誓いを破らねばならない葛藤と決断。行き場のない、これぞ浪花節であります。
 かくして、四騎士はなのはやフェイトと戦わねばならず、邪魔するなというヴィータの叫びに涙せずにはいられません。彼等はただ八神はやてのためにだけ行動し、何も知らずに温かな手料理で彼等の帰りを待っていてくれる“母”なる主の存在だけが彼等の支えであります。
 2作目『A's』は『闇の書』関連事件及び八神はやて覚醒のストーリーですが、軸はやはり“母”であるはやてと“四人の子供達”及び五人目の子・リインフォースが織りなす主従、親子、家族愛、そして騎士達の忠義の物語でありましょう。













 3作目は10年後を描いており、なのはもフェイトも19歳の女性です。ここに至っては『リリカルマジカル』など微塵も無く、古代遺物管理部機動六課という軍隊並の組織を舞台に、成長したなのはやフェイト、はやてを中心としてその愛弟子達、次の世代及びそれらの関係が描かれます。
 作品そのものが全26話となりキャラクターも夥しい数に増えますが、なのは達に憧れる次世代、スバルとティアナ、エリオにキャロという具合に良きパートナーの有り様は不変であり、何よりも肝心のなのはとフェイトを軽んじないところが嬉しく、ここではなのはもフェイトも自身が母なる存在となった年月の推移を印象付けています。








 この3作目『StrikerS』はその背景に一般市民生活、社会の様子などはまず描かれず、今の世の現実的世界を外した完全な未来空想領域でのストーリーであります。幾多のキャラクターが戦闘に没入する様や巨大な召喚獣を呼んで戦わせる映像は、さながらサンライズのHiMEの世界であります。かくなる軍事形式にしてしまえば、多かれ少なかれこのような展開は免れ得ないのでありましょうか。
 しかしながら、シグナムに見る騎士道とでも云うべき精神や“根性のヴィータ”など押さえ処は随所に変わらず配置されており、前2作の継承という点でキャラクターを妙に弄くりまわしてしまう愚行もなく、魅力あるお馴染み魔法使い達の色褪せることはありません。
 弟子に相当するスバルとティアナについて比較的多く描かれ、『StrikerS』は彼女等がメインだと見ることも出来ます。夢に向かって日々精進、しかしまだ未熟にて半人前。悩み焦り、藻掻きます。コンチクショーとぶつかっていきますが親方連中にはかなわない。さりげない師のひと言に力を貰えば、また重みも感じざるを得ない。師の過去を知り、生き様を見るにつけ一皮ずつ剥けていきます。とりわけ彼女等と同年代のファンに共感を持たれ支持されたであろう二人であります。





 とにもかくにも、『StrikerS』は10年という年月経過、キャラの成長、世の変貌があるにせよ、前2作品とは趣を異にしており、それまでにない多くのキャラが絡み合う人間模様や各々の過去、子供には難しいかもしれない組織編成など、これはコミケやワンフェス、アキバ辺りに群がるオタク共相手の企てが一層色濃く押し出されているもので、極端な話、子供が観てもこの複雑さにはおそらく付いて行けない作品です。どちらかといえばゲーマーが喜びそうな作りと規模で、前2作に於けるオタク共の支持傾向を把握、消化しての結果でしょう。リリカルなのはシリーズはこのように視聴者反応を踏まえつつその都度方向性に反映させていった足跡が認められ、これもひとつの特徴に思えます。別段子供達がターゲットではないのだから、子供さんが観たいのなら観てもいいですよ、というスタンスではないでしょうか。
 だからといって、この『StrikerS』はテーブルをひっくり返してぶちまけたような掴み所無いシリーズ作ではありません。先行く者の教え、主従・師弟関係に済まさず、前2作同様、いつの世も不変な“母と娘”を描いては、あくまでもなのはとフェイトを芯に据えて外さぬ姿勢は『魔法少女リリカルなのは』の名を少しも汚すものでないどころか、賞賛・喝采に値するものであります。











 花も恥じらう19歳になってしまいますと、変身シーンの裸体映像もドキリとするものになってしまいます。これは中高生辺りの少年にはちょっとキます。これもオタク共向けサービスというものでありましょうか。けれど美しく描かれていまして、猥褻極まる映像だとは思いません。心・技・体、共に成長した彼女達をより印象付けるに不可欠な変身スポットであったでしょう。ただ、大人になったなのはお姉様、フェイトお姉様に悩殺され、鼻血が出たり夢精してしまった男の子もいたかもしれない、と余計な想像にまで至れば、その点まことに罪深きStrikerS変身映像ではあります。





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