近接戦に於ける対人戦闘技能に於いて、フェイトとなのはでは最初の出会いに見るように、なのはは全く歯が立たず、赤子の手を捻られる如くフェイトに倒されて気絶してしまいます。「相手にならんド素人」というのがフェイトの感想でしょう。
 それが対戦を重ね、海上での最終決戦に至っては「初めに会った時は魔力が強いだけの素人だったのに・・・」と、速さや技能に成長著しいなのはをフェイトは驚きの目で見ることになります。
 超遠距離射撃とか壁のぶち抜きであるとかのド派手な高町なのはに対し、フェイトはスピード重視の近接戦闘に秀でており、その対人武闘を出し惜しみせず見せてくれるのは2作目の『A's』です。

 フェイト・テスタロッサに限らず、この2作目のバトルアクションはベルカのヴォルケンリッターが相手とあって1作目よりも迫力を伴っており、欲を云えば第9話にてそれが幕引きとなってしまうのが勿体無く思われ、何となく未練がましい気分にさせられます。
 しかしながらシリーズ3作を並べた場合に、八神はやてを主と仰ぐこの四騎士達はなのはとフェイトのサブキャラクターとして最も印象強く、当管理人はこの2作目『A's』に心酔してしまった一人であります。
 『魔法少女リリカルなのは』ではどうしようもない根っからの悪党という敵役はあまり見当たらず、フェイトの生みの母プレシア・テスタロッサも非道い女ではありますが、最愛の娘を亡くしたが故の錯乱狂気。強いて上げれば3作目『StrikerS』のジェイル・スカリエッティぐらいなものでしょうか。物語の深さは敵キャラそれぞれから見た多様な視点から構成されており、やむにやまれぬ束縛に苦悩する者達の描き出しが、『A's』に於いて最も顕著であります。



 独語による騎士、ヴォルケンリッターと言うからには古代ベルカ式魔法はドイツと何らかの関係があるのか否か。それはさておき、八神はやての前に現れた四騎士は各々魅力に富み、サポート役のシャマルを除く三名には、ヴィータになのは、シグナムにフェイト、ザフィーラにアルフとそれぞれ勝負を決すべき相手が定まります。
 1対1の対人戦闘ならば我等ベルカの騎士に勝てる者など無いという絶対の自信と誇り。またそこには、寄って集ってやっちまえ、どうあれ勝てばいいのだという三下ヤクザの下衆根性など見られず、あくまでも正面からの一騎討ち勝負に拘るのは紛れもない騎士の血でありましょう。これは洋の東西を問わず武道の精神であり、それを受けて立つ、いやむしろ自らそれを望むなのはやフェイト、アルフの姿が観る者を沸騰させ、それが『A's』に於けるバトルの醍醐味です。




 詳しい事は中世ヨーロッパ社会でも研究している学者に訊くとして、昔の騎士というのは高貴な御婦人方にお仕え、奉仕するイメージがあり、各御婦人方のために騎士同士が一騎討ちという事も度々あったのだと聞き及びます。主(あるじ)の存在と、それに仕える事が全てであれば、八神はやてへの忠誠と誓いも当然で、何なりとお申し付け下さいませと、私利私欲に長けた人間であればその主にとってはまったくありがたい、実に重宝な騎士達であります。

 例えば今の世の小市民がある日突然こういうベルカの騎士を手中にしたとしましょう。カネを奪って来いとか美女を攫って来いとか、おそらくロクな事に使いはしない。下手すれば『デスノート』の如くとんでもない殺人鬼になり果てるのが関の山で、それを思えば、ああ闇の書が八神はやての手元にあってよかったと胸撫で下ろしたり致します。
 ただ、こういう妄想も当たらずとも遠からずのようで、シグナムの回想ナレーションからは、四騎士がそれまで仕えてきた主は上記小市民的なただの強欲者で、力を持った途端に威張り散らしては彼等を酷使するばかりだったのではなかろうかと想像出来ます。





 八神はやてに備わる母性は、幼くして闘病しつつ独り住まいな境遇の反動であるかもしれません。留守電内容を確認し、車椅子を操ってベッドに向かい、深夜まで読書に耽る様子が描かれていますが、おそらく友人も話し相手も無い日々に読書の世界が彼女の支えであったと思われます。しかしながら屈折した内向性に陥ることなどなく、世の中に面して大人びた聡明さを持ち合わせているのは、主治医である海鳴大学病院の石田医師の真心ある存在も大きかったのでしょう。
 経済的不自由はないものの、それでも彼女はやはり淋しいので、いきなり現れた訳の解らぬ別世の者達とはいえ彼等が自分に仕えるために現れたのだというのであれば、それは八神はやてにとって親しき家族を構成するに願ってもない出来事であります。





 表向き騎士達を『一緒に住んでくれている親戚の者達』という扱いにしており、彼等との生活を「なんや、こう、毎日無闇に楽しいです」と嬉しげに説明しているからには、彼等によって自分は救われているという自覚があるようで、その唐突な出会いは気絶する程の驚嘆であったとしても、はやてにしてみれば望んでいた同居人を得たに等しいのです。
 「闇の書の主として守護騎士の衣食住、きっちり面倒みなアカンいうことや」と何の躊躇いもなく、むしろ彼等を待っていたかの如く受け入れるのは、自分の運命がかくなるものであったと認めるだけではない、ここに家族が出来たという喜びだったろうと思われます。ただ、授かったものがあまりに大きく掴みようもないだけに、なんやよう分からんけど自分がしっかりせなアカンゆうことやろうなと、主としての責任だけは肚に据えざるを得なかったでしょう。




 はやては守護騎士達にとって確かに調子の狂う妙な主であったに違い無く、ほならまず着るモンからいこかと、メジャーを取り出して騎士達の身体サイズを自ら測り始めたのには当惑するしかない。その口調はあくまで柔らかく、「これはお願いや・・・」に代表されるように高圧的命令は一切下さない。主従であるとしてもアンタらは私の家族なんや、私の子供や、と接してくれる主にどう向き合えばよいのか、騎士達も最初はかなり戸惑ったと思われます。




 彼等ヴォルケンリッターは闇の書に内蔵されたプログラムが人の形に具現化されたもので、時と共に主がどのように代わろうとも彼等は不変の存在です。主の命令を忠実に遂行する、それだけのプログラムですから、時空管理局執務官補佐エイミィさんの情報説明によれば、守護騎士達が感情を見せたという例は今迄にありません。しかし人格を持たない訳でないらしく、突如はやての目前に現れた際、“個”として判断し行動出来る存在であることが既に表現されています。
 もしも感情を抑制するツールが彼等に含まれているのだというのであれば、それを取り払ったのは他でもない主・はやてその人で、自分達は主のおかげで随分変わったと守護騎士当人達も認めるところであります。





 いつまで経っても主・はやては闇の書のページを埋め尽くせと命じない。ここにこのまま居て、仲良う平穏に暮らしたらええんやと言うのです。闇の書を完成させたらこの脚も治るんやろけど、それには関係ない人達を巻き込まなアカン、他の人に迷惑掛けるような事したらアカンのやと。 この教えは家庭の母親が行う“躾”以外の何ものでもなく、逆にこの言葉が新鮮に聞こえてしまう我々の現代日本を嘆かわしく思わざるを得ない点で少々耳が痛く、苦笑いと共にアタマをポリポリ掻かねばなりません。
 奇妙でも平穏な安らぎ漂うこの家族・八神一家は、実際はやてを母とした騎士達の姉妹に見えます。リーダーのシグナムを長女とし、次女のシャマル、三女末娘のヴィータ、そしてオオカミ容姿の守護獣ながら八神家の愛犬に見えるザフィーラであります。









 主の命を救うべく主への誓いを破らねばならない。主が本当の事態に気付かぬなら現状の主の意向に従い、なるがままに任せる道もひとつの選択肢ではあります。しかし、それには自分達がこの小さな優しき主にあまりにも心奪われ、主従以上の感情を抱いてしまっていました。我等に出来ることはあまりに少ない、とシグナムはレヴァンティンを握り締め、決断を下します。

 まことにせつなくやるせない場面で、“誓いの遵守”よりも“主への情”を選択する彼等はプログラム騎士である前に極めて人間臭い。どちらを選ぶにしても忠誠、どちらを切り捨てるにしても不忠義ならば、“人間・八神はやて”、“八神家の母”の方に絆されるという姿に人情浪花節を見るのであります。彼等はここに至って『八神はやての騎士』となり、完全に感情を持って、闇の書の守護プログラムではなくなるのです。
 この後の彼等がなす事全てが八神はやてのための行動であり、闇の書はもはや主・はやての命を救う手段でしかありません。初めて彼等と遭遇、対戦したなのはやフェイト、アルフが彼等に単なる守護プログラムではない明確な意志を感じ取ったのも当然です。

 『A's』のヴォルケンリッターがこの作品のファンをグイグイ惹き付けていったのは、お家を守る武士の如き一途な忠誠心を持ち、その精神は情に揺さぶられつつも無垢な美学を損なわないからに他ならないでしょう。ここにただ一度だけ主への誓いを破ります、お許しあれというのは、極めて日本人好みな展開でもあります。

 薄く降り積もった雪の足元に姐さんが泣き崩れても、未練を振り払うが如く敵地へ乗り込んでゆく着流しの高倉健さんは義理を重んじます。それは主従の誓い、兄弟の誓いであり、姐さんがどれだけ自分を頼ろうが嘆き悲しもうが、義理である誓いの重さには及びません。健さんは義理の戦いのためドスを抜くのです。
 一方、シグナム達は誓いよりも情を選びます。主の笑顔のためならば騎士の誇りをも捨て去るとまで言い切ります。シグナムは主への情で戦いの剣を抜くのです。両者の選択は対極ですが、お茶濁しな誤魔化しが利かぬ状況まで追い込まれてしまう哀しさ、二者択一を迫られてはどちらかを切り捨てねばならぬやるせなさ、もはや止まれん、もう戻れないのだとそこに一筋流される涙は行き場のない人情、これが浪花節でなくて何でありましょうや。

 主の未来を血で汚したくないから人殺しはしないと言うヴィータ。騎士達は魔導師のリンカーコアから魔法力の大部分を奪いはするが決して対象人物を殺しません。ただ「邪魔すんな」とヴィータは叫びます。我等が願い成就まであと少し、邪魔はさせんとシグナムは剣を振り下ろすのです。





 ヴォルケンリッターに視点を当てれば、八神はやての前に現れたその日から苦渋の決断に至るまでを描いた第6話が重要且つ秀逸で、クライマックスはやはりサブタイトル『クリスマス・イブ』の第9話でしょう。なのはとフェイトが八神はやての病室にて騎士達と鉢合わせしてしまうシーンは屈指の見せ場です。それは闇の書の主が八神はやてであると知られた瞬間であり、シャマルは即座に通信妨害を張り巡らせます。
 突発の事態、驚きと取り繕い、そして秘かなる攻防。シグナム、シャマル、ヴィータ、そしてなのはとフェイト、ここでの五人の描きは必見で、とりわけヴィータについては一途な使命感とそれに交錯する幼き情愛の繊細さが際立ち、素晴らしいのひと言であります。


 この母なるはやての存在が管理局に知られてしまう。ウサギのぬいぐるみを買ってくれた、ギガウマのご飯をいつも用意してくれていた、この母が助かるのならとボロボロになっても頑張ってきた。悲願成就目前で明日にも管理局が押し寄せるかもしれない。消せぬ不安と膨らむ愛おしさ。はやての温もりにいつまでも包まれていたい。
 仔猫の如くはやてに擦り寄り、その温もりに顔を埋めるヴィータと、雪模様の空を眺めながら幼児を愛しむかのように頭を撫でてやるはやての姿は『魔法少女リリカルなのは』というシリーズ作品の象徴的映像です。フェイトファンな当管理人もこのシーンには脱帽で、全シリーズのコアがそこに見える情景には、美味しいところをヴィータに持って行かれたという感想は否めません。さすがの『A's』、ヴォルケンリッターであります。















 『A's』に於けるフェイトのバトル、見所は何と言っても剣豪・シグナムと相まみえるところであります。四騎士のリーダーであるシグナムは騎士の尊厳を漂わせ、武道家としての礼節、誇りを見失うことがありません。やんちゃなヴィータの扱いも手慣れており、バックアップのエキスパートであるシャマルへの労いも怠りません。守護獣ザフィールから寄せられる信頼も厚いようです。

 シグナムやヴィータが持つアームドデバイスは強力な瞬発力を生むベルカのカートリッジシステムで、近接戦闘を重視した魔法能力です。故に、フェイト・テスタロッサとシグナムの勝負はなるべくしてそうなった宿命の相手という感があります。高町なのはとヴィータによる口数の多い対戦とは異なり、互いの強さを認める剣豪同士の立合いに似て、交わす言葉少ない中に張り詰めた緊張感が“宿敵”を浮き彫りにします。





 フェイトは初めて剣を交わした夜、強力な瞬発力を持つシグナムのレヴァンティンに一撃でバリアを破られ、従来のミッドチルダ式なバルディッシュを破壊されてしまいます。同様、ヴィータによっていとも簡単に防御をぶち抜かれたなのはのレイジングハートも深刻なダメージを受けてしまいます。これを機にこの二人のデバイスは自らの意志でベルカ式カートリッジシステムの組み込みを決断することになるのですが、見逃せないのがシグナムに浴びせたフェイトの一太刀。




 強力なシールド越しにシグナムの腹部に付けられた傷痕は、武器の差さえなければ大層厄介な相手であることを物語ります。
 時空管理局嘱託魔導師フェイト・テスタロッサと名乗った黒マントの斧使い少女。そして戦斧・バルディッシュ。その太刀筋は清んでいた、良い師に学んだのだろうと冷静にバトルを振り返るシグナムは、宿敵となるかもしれぬフェイトの武闘能力を認めており、静かに心熱くしているようで、さすがに騎士、武道家という一面がここにも見られます。


 この両名の対戦をひと言で言うならば「渋い」のです。実戦勝負を極めた剣術家が醸し出す渋味とでも申しましょうか。講談・高田馬場に登場する村上一派のような卑しく下衆な意図の立ち入る隙はそこにありません。
「強いな、テスタロッサ。それに、バルディッシュ」に「Thank you!」と応え、「あなたとレヴァンティンも。シグナム」には「Danke!」と応じるそれぞれのデバイス達。持ち主が騎士道精神ならばこれらデバイスもまた堂々たる尊厳を伴った渋さがあり、互いの馬を讃え合い、それに応えて疾走する騎馬のようでもあります。








 新たな力を得たバルディッシュ・アサルトとレイジングハート・エクセリオンの初陣となる対ヴォルケンリッター2戦目はリベンジマッチでもあって、なのは、フェイト、アルフの方からそれぞれ相手を名指しします。三組の一騎討ち、血湧き肉躍る場面であります。ここで交わされるフェイトとシグナムの対話が宿敵に立ち向かうこの二人の心意気を表しているでしょう。

 お前が強い故に不本意ながら殺さずに済ませる自信がないのだとし、この未熟さを許せとシグナムは言います。気遣い無用、勝つのは私の方だと返すフェイトに、フッと嬉しげな表情。騎士が騎士たり得る事が出来る不足無い相手であり、このような者によくぞ巡り会えたとの喜びであります。双方共に心躍らせる対戦であったことは間違いありません。
 この夜、シグナム達は闇の書の力によって管理局の包囲結界から脱出したため、勝負の決着はお預けとなったものの、デバイス強化によりヴォルケンリッターとは互角に戦える感触をフェイト達は掴みます。また、パワーで勝るシグナムに対し、速さで対抗出来るとフェイトは分析したことでしょう。








 両名の立合いで圧巻は3度目の戦い。文化レベルゼロの砂漠に於けるバトルです。周囲に気兼ねの要らぬ絶好のバトルフィールドであり、シリーズ3作の中でフェイト・テスタロッサの近接戦が最も堪能出来る場面ではないでしょうか。
 サーチャーにヒットしてスクリーンに映し出されたシグナムとザフィーラを見たフェイトとアルフは、逮捕に向かわねばならない職務意識などその時点で既に無く、この宿敵と戦い、決着をつけるべく現地に向かうのです。嘱託業務は二の次にて、勝負を望んで湧きあがるものを抑えられない心情は、ピンチのシグナムを助けて登場する部分に表れています。
 出動するフェイトがデスク上のカートリッジを2束手に取る様子は、OKコラルに向かうバート・ランカスターか、はたまたケヴィン・コスナーかという雰囲気でもあり、バルディッシュのベルカ仕様がコルト・バントラインスペシャルではないのかと勘違いする程に、これらデバイスはまことユニークな発想から生み出された武器、相棒であると改めて思い知らされます。






 剣と斧、パワーとスピードの激しい攻防。互角の戦いが続きます。腕から鮮血の滴り落ちるシグナム、脚に傷を負ったフェイト。共に呼吸は乱れ、肩で息する壮絶な宿命対決。
 ヤツはここに来てなお速い、早めに決めねば不利だと考えるシグナム。やはり相手は強い、速さで誤魔化してはいるが、まともに喰らえば一撃でヤラれる、と状況を見るフェイト。燕返しなる早業の小次郎に舟の櫂を振り回す力の武蔵、という時代劇映画でも観るようであります。
 決着の一太刀、というところでフェイトは背後から謎の仮面男に襲われ、この対決も決着の付かぬまま終わります。返す返すも御邪魔虫なネコ耳双生児であります。










 なのはを急襲するヴィータとグラーフアイゼン。同時にフェイト目掛けて振り下ろされるシグナムのレヴァンティン。悲願はあと僅かで叶う。管理局に我等が主の事を伝えられては全てが水泡。シャマルが張った通信妨害範囲からなのはとフェイトを出す訳にはいきません。
 激震の第9話、八神はやてが闇の書の主であることを知られてしまった騎士達は、その夜、ビルの屋上でなのはとフェイトに向き合います。主を知られてしまった以上、もはや勝負の先延ばしは出来ず、4度目の対決となるこの場で騎士達に求められるのはこの二人の口封じであります。




 あとちょっとで助けられるんだ、必死に頑張ってきたんだ、邪魔すんなよ。涙のヴィータはグラーフアイゼン持つ手を震わせます。これより以降、ヴォルケンリッター四人が闇の書に吸収されて消滅するまでの間は、極端な話、泣きながら観なければなりません。
 説得するなのはとフェイトではあるものの、悲願達成目前の騎士達にもはや通じず。ヴィータにとって、燃え盛る炎の中からバリアジャケットで姿を現す高町なのはは、幾度も邪魔してしつこく倒れない天敵、母・はやてを消しに掛かる悪魔そのものに映り、炎の揺らぎからターミネーターの如く現れてレイジングハートを手にするその映像は騎士達への感情移入を誘うものです。




 軽装甲のソニックフォームでハーケンを構えるフェイトに、その装甲では触れれば死ぬぞと忠告するシグナム。あなたに勝つにはより速く動けるこれしかないのだと返された言葉に天を仰ぎ、変身するシグナムの胸中、如何なるものか。




 フェイ・トテスタロッサ、何というヤツか。これ程の者を相手に出来るとは。騎士の我が胸の血にここまで応える術者が居たろうか。勝負に際し一点の曇りも無いこの強敵魔導師は、この私と雌雄を決するがためそこまでして臨むのだ。これぞ騎士の誉れ。例えあのハーケン切っ先の餌食になろうとも、それは何物にも代え難い誇り。

 この出会いが無上の喜びであるだけに運命は非情であります。紛れもない、お前も魔導師の“騎士”であったのだな、このような出会いでなければ私とお前は一体どれ程の友になれたであろうかと、思い知らされた時には互いに抜き身を構えている皮肉。もう止まれんのだとシグナムの頬に一筋の血涙。向かい合う両者の遣り取りと動きがそれまでの対戦を総括しているかのようで、脚本、演出の巧さが窺える場面です。





 年格好では大人のお姉さんと小学児童の対決に見える二人ながら、その実は大変な剣豪同士の立合いです。
 寡黙でボソボソとしか喋らないフェイトの相手役にナイツスピリッツ振り撒くシグナムを持ってきたのが利いており、この騎士中の騎士たる彼女によってフェイト・テスタロッサの魅力が倍増された感があります。
 第1作目で救済された薄幸の少女を、では2作目に於いてどう扱うか、何をさせるかとなれば、深い絆の友となった高町なのはと同方向に居並ばせてそれぞれに見合うライバルをあてがえば、より多様な世界が展開、提供出来ましょう。
 
 辛く悲しい過去を背負った無罪判決の元被告少女、そこに見る逆境を克服した芯の強さ。その宿敵となるは、ただ強い悪者であるだけのキャラクターでは釣り合いません。そして登場する気高き騎士のシグナム。
 義侠深くにして誇り高く、仲間を統率しては信頼厚い凄腕頭領。不器用な一途さ、そして忠義故の苦悩。フェイトは過去の自分に似た匂いを彼女から感じ取ります。それ故に出来ればもっと語り合いたい。しかしながら己もまた不器用。剣を交わす中でしか伝わらぬ思いであります。多くを語らず砂漠の決闘に出動志願したフェイトの姿が、相手役シグナム登用の成果を物語っています。

 近接戦闘に秀でた少女魔導師というだけではなく、高潔にして義と礼節を心得たサムライの如きフェイト・テスタロッサの一面をここに引き出し、新たに我々を魅了した2作目『A's』は、シグナム達による哀しいまでの愛と忠誠、騎士道精神あっての作品でありましょう。




☆ 魔法少女リリカルなのは (これが始まりの大元)

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