母に鞭打たれても母のためにと独りぽっちで違法の罪を犯し、そのため逮捕され、お前の存在は実娘の代用、出来の悪い慰み人形だったのだと母から突き放される。それでもなお、生んで育ててくれたあなたは私の母さんだと手を差し伸べては、あなたが望むなら如何なる事があろうとあなたを守ると明言する少女。しかし非道な母は最後まで愛しみの微笑みをくれず、物言わぬ実娘の亡骸だけを連れて虚数空間に落ちて行った。その深き虚無な空間を見詰めながら、残された少女は何を思う。健気ながらもなんと悲劇な幼い人生か。




 宵闇に靡く美しき金色の髪。閃光の戦斧・バルディッシュを携えた黒きマントのフェイト・テスタロッサ。放映の回を重ねる毎、静かに、また着実に彼女は観る者を惹き付けていきます。




 2作目『A's』の初回、ピンチのなのはの前にヴィータのとどめ攻撃をブロックして登場します。仲間か?! と問うヴィータにバルディッシュを構え直しては「・・・・友達だ」と返すアップ画像に言いようのない喜びを覚えるのです。これ程までに自分はこのフェイト・テスタロッサ再登場を待ち望んでいたのかと思い知らされる瞬間であります。








 痛々しさが放っておけぬ気分にさせられる。フェイト・テスタロッサに出会った最初の印象であります。明らかに児童虐待。娘を天井から吊して鞭でシバきあげる母親と、それでもその女を「母さん」と慕う少女。無理もない。娘に母親を選ぶ術は無いのですから。
 フェイトの日々は我々が生きる今代の暗い歪みを映しているかのようで、見せ付けられるそのシーンにはやるせないのひと言であります。
 おそらく、母とはこういうものなのだと、至らぬ自分をこうして折檻するのはどこの母親でも同じに違い無いと、それしか考える余裕を与えられていなかったでしょう。他所の家庭など知らず、他の母親を知る由もない。それ故に不憫。また無情。








 唯一の救いらしきものは使い魔アルフの存在。フェイトが生み出した使い魔とはいえ、主人を案じて泣く姿は友であり、もはやこれ以上の非道な仕打ちは許せんと、フェイトの母・プレシアの胸ぐらを掴み上げる行動は、主・フェイトへの一途な親愛のなせるところであります。








 それにしても、吊り下げられたフェイトが鞭打たれてズタボロになっている映像はショッキングで、鞭を振るっているのが母であるとなれば、ただ絶句。もしもこのシーンが自分の境遇と似たようなものであると実生活にどこか投影して見てしまう少年少女がいたとすれば、大変な問題を抱えた家庭に違い無く、猶予ならぬ状況にありはしまいかと考えてしまいます。

 フェイトが綾波レイと異なるのは、生みの親によって奴隷扱いの虐待を受けている児童だという点であります。碇ゲンドウは綾波をかような風には扱いません。更に決定的な相違は己を知っているや否やでしょう。自分は如何なる存在であるのかを知っている綾波に比べ、フェイトは過去も真実も、何も知ることがないのです。

 プレシア・テスタロッサは既に死亡した実娘アリシアとの失われた過去を復活させるのを目的とし、死者蘇生の秘術研究の中から人造生命の生成によってフェイトを生み出して実娘アリシアの記憶を付与しました。しかし、それはかつてのアリシアに似つかず、おそらくフェイト・テスタロッサとしての人格が生じてしまったのではなかろうかと想像出来ます。やがてはアルハザードに渡って失われた過去の復活という因果無視な行為をプレシアは目論み、それまでの間、慰みものとしての代用、実娘の身代わり人形としての役割がフェイトに与えられたものでありました。




 フェイトの身の上にあるこの真実は、シリーズ初作第11話に於いて、亡くなって久しいアリシアの姿が羊水ポットの如き中に描かれる場面で衝撃的に開示されます。お前は役に立たぬただの“不良品”でしかなかったのだと母親の口から語られる展開はあまりに惨い。何も知らされぬまま“道具”として酷使されてきた人形の過去。愛情や労りの欠片もなく、フェイトが授かるのは嘘八百な虚構の懐かしき記憶と、せいぜい使い魔アルフの献身、思いやりです。本人の受け取り方はともかく、見ていて救われるところが見当たらない。それ故に歯痒くもあり、ついつい自分が傍らのアルフにでもなったかのような感情移入に陥ります。




 なのはとの勝負に敗れ、時空管理局の艦船アースラに連行されたフェイトの手に施錠手枷が痛々しく、彼女は囚人姿のままに、送られてくる映像越しの母から容赦無い真実を聞かされます。見るに忍びない場面ではありますが、テスタロッサの全てが語られる衝撃展開の初作第11話であります。
 フェイトに突き立てられるとどめのひと言は「ずっとあなたが大嫌いだったのよ」。狂気の母親プレシアに対して見る者が怒り込み上げるフェイト崩壊の瞬間。愛する者に騙されていた真実を知る生き人の尊厳消失。過去を奪われると同時の人格崩壊。落ちて砕けるインテリジェントデバイス・バルディッシュ。

 お前の記憶というものが全くのニセであり、作り物であったのだ、全て夢幻の如くなり、本当は人形のお前など大嫌いだったのだよと告げられた場合、過去、本人の足跡というものが完全消滅に至りましょう。自分の過去が無いとなれば“時間”も無く、では生きてきたとは如何なる事なのか、いや、今ここにいる自分は本当に生きているのか、との問いになります。この作品は9歳の少女キャラにそれを強いたのであります。
 
 余談ではありますが、実際にその歳若きながら記憶を喪失する病と闘っておられる人もいるそうです。何か物理的な記録として残さなければ過去というものが無い。小川洋子さんの『博士の愛した数式』でも80分より過去の記憶が消えてしまう博士です。そのつど自分でメモっては身体のあちこちに貼り付けておきますが、そのメモを自分で書いたという行為そのものの記憶が消えてしまいます。『生きている目の前の現実』と『記憶』というものを掘り下げて考えてみることを提示したのは、それこそ私の記憶では士郎正宗さんや押井守さんではなかったでしょうか。





 自分にとって全てであったその母にボロ雑巾の如く棄てられたのは事実ながら、もう終わったのではなく、まだ始まってさえいなかったのか、と自問するフェイトが再びバルディッシュと共に立ち上がる初作第12話は感動のクライマックスであります。
 あくまでアルハザードに行こうとする母に、フェイトは向き合います。「あなたに言いたい事があって来ました・・・・」から始まるフェイトの語りは“縋り”でなく意思表示です。私があなたの娘だからではない、あなたが私の母さんだからだ、というのは名ゼリフでしょう。それでも母プレシアはフェイトの名を口の端にも出してくれず、実娘アリシアの名を呟きながら落ちて行きました。微かに狼狽の色は見せたにせよ、最後まで微笑みをくれる事はなかったのです。何と残酷な別れでありましょう。








 我々の今の時代、世相に目を向ければ、母子のかくなる結末が俄に現実めいてくるのも否定出来ません。落ち行く母プレシアを為す術無く見届けるしかなかったフェイトの姿を、世のお母さん達にはぜひとも御覧戴きたく思います。またこの第12話に於いて、都築真紀の脚本はクロノ・ハラオウンに次の如く叫ばせております。

「世界はいつだって、こんな筈じゃないことばっかりだよ。
 ずっと昔から、いつだって、誰だって、そうなんだ。
 こんな筈じゃない現実から逃げるか、それとも立ち向かうかは個人の自由だ。
 だけど、自分の勝手な悲しみに無関係な人間まで巻き込んでいい権利は
 どこの誰にもありはしない」

 自分が不幸であると喚き散らすのは勝手でも、誰でもいいから殺したかったという狂気に走る犯罪者が連鎖、横行する世の中に、実に的を射たセリフであります。この『リリカルなのは』第1作目の制作当時、都築真紀他スタッフが凄惨な無差別通り魔殺人事件連鎖の暗い世相を間近に予見していたかどうかは当管理人の知るところでないのは勿論でありますが。


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