記事一覧

代表選

 五名候補いずれも過半数に届かず決選投票。 結果は党の現執行部が企てた通り野田の勝利となった。 形上、前原が勇み出て、一見、反小沢の分裂騒ぎに見せかけるという、これがもし野田と前原が描いた策略であったならば、小鳩側はいかにも単純だったということになる。 政治屋連中のやっていることはタヌキの化かし合いだろうし、そういうことも大いにあり得る。 そもそも、今の時点で総理にでもなれば即座に火の車であろう前原がいきなりしゃしゃり出ていったのがおかしいではないか。

 当人の辞任と党代表選のどさくさに紛れて、菅総理は朝鮮学校の無償化再開を指示したという。 これが民主党の体質なのだろう。 大陸と半島に媚び、拉致実行犯の関係とも繋がり何千万という怪しいカネまで渡して支援する。 日本国民の感情を逆撫でするこの売国の行為を国会は黙認すること許されない。

 アッパラパーな能無し議員共を寄せ集めるだけが仕事と言える政策理念無き数の力崇拝の小沢や、仕事はしません銭と休みをよこせの赤旗振り労組の左翼集団は、少なくとも政権与党に居座って貰ったのでは国家の先はない。 ましてや外国人参政権だの朝鮮学校無償化だの言語道断。 そんな暇があればスパイ防止法や外国人土地法の整備が急務だろう。 
 誰が党代表、総理になろうとも、民主党の体は相も変わらず政党としての形を成す事出来まい。 国家にとって最良なのはさっさと分裂して野に下り、解散総選挙をもって政界再編に動くことだ。

 

反原発

 時事通信の世論調査で再生可能エネルギーへの期待が8割以上だったとある。 物騒な原子力はやめておけという傾向だ。 国土が汚染物質により荒廃する様を目の当たりにし、これではエネルギーどころでない、国が滅びてしまうといった危機意識だろう。

 今までの生活では使い放題の電力により確かに快適ではあったろうし、それは我が職場や家庭に常時不自由なく供給されて当たり前だという概念の下、家電メーカーが新製品を続発しては我先にとそれを追い求めてきた。 公共のインフラから各工場の動力、家庭内の全自動皿洗い機まで、高度成長と共に国策として電力屋の肥大化を促さざるを得なかった点は否めない。

 原子力発電に手を付けたのは、まことしやかに言われる当時考えた効率性やコスト計算によるものだけだろうか。 米ソの核兵器冷戦や隣国中国の核実験に囲まれて、核技術の取得と兵器転用性を懐刀とした対外政策がまったく皆無であったとは考えにくい。 原爆を2発も落とされ、水爆も浴びせられた世界に類のない特異な我が国は、「非核三原則」 なる建前のお題目も掲げていた以上、世界への対抗手段として無理からぬところではなかったか。
 自民党の石破がはからずも口にしていたが、原発の技術イコール核防衛、抑止力になる。 ただでさえ器用な技術立国、その気になれば一週間で核弾頭を飛ばしてみせると囁けば、日本人ならやりかねないとの一目を置かせること出来たのではないのか。 勿論、被爆国故に核兵器保有論は表向きタブーであったが、CIAやKGBらが最も注視していたところに違いない。

 防衛という側面を横に置いておき、では、比較論で原発の電力コストは本当に安いと踏んでいたのだろうか。 怪しいものである。 取り扱うのが放射性物質だけに廃棄物処理など考慮すれば 「お安い」 で済む筈もない。 ましてや危険物としてダントツに厄介な燃料なれば、ひと度有事の憂き目となったそのリスクを無料で済ませられると勘定から度外視していた訳でもあるまい。
 原発の何が魅力であったかといえば、「原発利権」 そのものだったという事なのだろう。 電力に限らず何であれ、政財官ぐるみの国策事業は発足からして汚らしい利権が絡む。

 例えば、自然再生エネルギー政策へと国策で大きく動き出すとしよう。 そこにも必ずダニやウジ虫の如き連中が瞬時にまとわり付く。 こやつらは歯の根元に石のように堅い歯垢帯を構築せしめるように、非常に強固な政財官の利権構造体を作り上げる。 そして人民を欺きつつ国費を食い潰すのだ。
 何も考えてないかに見える政府与党の連中はおのれのポスト意欲にだけは餓鬼のようで、お粗末な小沢・鳩山にせっせと詣でては国民の姿など眼中にない。 経産省で更迭されたという三人の官僚は事もあろうに退職金上積みをせしめ、天下りも御自由にどうぞとなっている。 東電は企業年金を切られたのでは我々の老後が成り立たんとほざき、九電はそれこそオカミの御意向に添うようにとやらせメールで囂々たる非難を浴びている。

 これらの状況を見るに、時事通信の世論調査結果という数字は、単純に電力供給手段として反原発であるというだけではないだろう。 麻薬と同じで、人類が一度手にしてしまった驚異のエネルギー発生手段をそう簡単に捨て去ることは難しいと思える。 真面目に研究を重ね、安全の上に安全を考えて謙虚に取り組むならまだしも、一歩間違えれば国が滅ぶ実に危険極まりない事業に於いて、「安全第一」 ならぬ 「利権第一」 にしか出来ない連中なのだから取り扱い運営していく資格などあるものか、やめておけ、という意味合いも大きかろうと思うのだ。
 自民党の石破は核兵器転用可能性の抑止効果について触れると共に、過去の自民党政治に於ける盲目的原発推進の責任についても少し踏み入った発言をした。 が、しかし、それは党の表明ではない。 自民党はこの機に乗じた政権転覆しか目論んではいまい。 長期に亘る政権の総括も責任論もないまま、強固なる利権構造体のなすがままになっていく。 この国はどこまで腐ってしまうのだろうかと、虚ろに天を仰ぐ国民の哀しい姿が見える。


 

オレにぶん殴らせろ (^_^)o

 あの訳の分からん松本龍とかいう下劣極まる国会議員の立ち回りは何であったのか。 様々な憶測が飛んでいるが、その内のひとつに、ありゃあ最初から死に体総理の手伝いなんぞする気はさらさらなかったのだというのがある。 それはそうだろうと思える。 今の総理に誰が協力しようか。 政界再編への動きなどあれば実に困る泥亀親分だけが、なんとか総理の尻を支えようと懸命である。

 にしても、松本の馬鹿丸出しな言動は練られたものでもなく、ただの地だろう。 やる気もないところに無理強いで押し付けられ、そうかい、ならば何をやったっていい、悪いのはオレじゃねぇといったところか。 幸か不幸か、かくなる折りに人間の本質がさらけ出る。 これでも選挙では地元票を集めているのだから恐れ入る。 なに、有権者に恐れ入ってしまうのだ。 まったくめでたい有権者諸氏だと言わざるを得ない。 土建族だかなんだか知らないが、地元に公共事業費さえ持ってきてくれればよしとする典型のような選出議員ではないのか。
 オレは与党の大臣なのだというエラソーな物言いには、あきれ返る以前に 「てめぇ、どつきまわされてぇのか」 と思ってしまう。 お前達難民はオレの言う事をきかねば国家支援なんぞビタ一文出さねぇぞとの脅しである。 国のやり方は暴力団そのものだと橋下知事が吠えたが、まったくその通りな体質がはからずもここに見える。

 その役職を一刻も早く降りたい心境からなのか、それともただの阿呆なのか。 マスコミのニュースで流される県知事に対する物言いには、オレがその場に居りゃあこのガキぶん殴って半殺しにしてやる、と怒った国民は少なくないと思われる。
 松本はなるべく早く菅と遠ざかりたく、菅は国会空転させてまでも延命を図りたい。 これがもし画策された一連の騒動ならば大したもので、その能力は外交にこそ発揮すべきだろう。 国家国民を考えず、全て我が保身の内向きにしか働かぬ能力であるならば、かような国会議員共を選出している我等こそまず恥じねばならぬ。 実に嘆かわしい、これが現実である。


 無能を自覚しているのかしていないのか、四面からあいそつかされ見限られてもなおそこに居座り続ける首相を見ていると、かつて会社にこんなヤツ何人かいたなと想い出す。 いずれも哀れで気の毒な末路に至ったが、今から思えば裏工作や社内営業に長けてはいても 「人間力」 とでもいうべき点で決定的な欠落があった。 前途有望な若い社員を人質に取ったりする辺りは、被災地や国民を人質に取る今の総理と大層よく似ていた。 いわゆる無能者の 「しがみつき」 である。 当然、このような輩は会社のダニでありこそすれ、社のためにはならない。 ノルマもある営利企業なれば遅かれ早かれ淘汰される。
 資金のツケは国民に回し、国権の表にて唯我独尊の暴挙を続ける首相を制す力はこの世に存在しないとでもいうのか。 そんな筈はあるまい。 国会議員が本気で国を憂えているのであれば、何とでもやりようがあろう。 国会議員共がいかに己可愛さでしかものを考えていないかという事である。

世界遺産

 北陸、東北ではひどい雨に見舞われているが、自分の周囲はまるで真夏だ。 空だけ見ていれば高校野球の県予選も終盤辺りのような気がする。 シトシト雨の続く紫陽花の梅雨なんて風情は完全に昔の話になってしまった。 もうそのような季節は我が国に二度と来ることはないと思っていた方がいいかもしれない。

 家電屋とかホームセンターでは扇風機を山のように積んである。 こんなものは前時代の遺物であるかの如く軽んじてきた連中が、節電列島となったこの夏、挙って買い求めるらしい。 スダレも保冷首巻きも売れているそうだ。
 「さびぃよりぁ、マシじゃねぇかい」 という自分の思いは田舎者である故の感覚だろう。 都会に住まう人々はコンクリートとアスファルトだらけなのだからたまったものじゃない。 殊に、生まれたときからエアコンの中で生活してきた若人などは甚だ耐性に欠ける。 猫のように涼しい場所を知っているわけでもない。 熱さに発狂せぬよう御注意申し上げる。


 小笠原諸島の世界自然遺産登録決定に続き、岩手の平泉が世界文化遺産登録の運びとなった。 これを機に、いにしえからの地元遺産に対する意識を改めて刻み込んでくれればよいし、震災復興の意欲鼓舞に役立ってくれればと思う。

 熊野速玉大社所有の世界遺産である山林を無造作にバッサバッサ切り倒してしまったのを見れば、ワァワァ騒いで 「世界遺産の地元」 にしたまではよいが、意識のお粗末さは如何ともし難い。 ひどいのになると、「え? 世界遺産になりゃあ、世界から銭くれるんじゃなかったのか?」 なんていう爺さんもいるのだ。 補助金貰えばそれでいいとする保守土建王国の乞食根性な哀れさがこんなところにも顔を覗かせる。 原発にしても同じだろう。 長年の国策による弊害だ。
 新宮市の馬鹿丸出し騒ぎも、結局どこのどいつが責任を負うのかうやむやでお終いにされる。 あそこの連中は所詮その程度なのだよ、との悪評や嘲笑だけが残るのである。

 富士山を世界遺産にする動きはどうなったのか。 遠目には耐えられるがその場に行けば 「こんな汚い所があるか」 という実状は否めない。 ゴミの不法投棄だらけだし、悪徳業者が他県から産業廃棄物を受け入れて埋めていたりする。 麓ではドッカンドッカン陸自の榴弾砲が飛んでいる。 ハナから話になりはしないではないか。

取り扱う能力

 石を器用に使って堅い木の実を割るチンパンジーがいるそうだから、類人猿が獣の骨や木の棒を狩りに使っていたとする人類学者、考古学者の説は間違ってはいないのだろう。 類人猿にとって程良い長さ、太さの棒っきれは、当時考えられる最先端の道具だったに違いない。

 何かを使うという行為を始めた瞬間から人類にとって “両刃の剣” との付き合いが始まった。 アーサー・C・クラーク、スタンリー・キューブリックが作った映画にあるように、こん棒の如き原始道具は彼等の狩猟効率を飛躍的に高めただろう。 しかし同時に、仲間内の諍い事、他部族との戦争には恰好の武器となった。 やがて骨を鋭利に尖らせ、石をナイフのように薄く割って使い、武器は殺傷力を高めていく。 一歩間違えば簡単に人殺しに至る確率が極めて大きくなってしまい、便利な道具である反面、取り扱いに注意を要するという、これは完全に 「両刃の剣」 である。
 火を使い始めるとますます便利になり、地上の人類支配は急加速を辿ったと思われる。 これまた実に便利なものながら、極めて危険なものでもある。 毛皮造りの小屋も乾いていれば容易に燃えてしまうのだ。 草木の住居に住んだ太古の人々などは特に気を配ったことだろう。 それ故、江戸時代などは 「火付け」、いわゆる放火の罪は現代よりはるかに重罪だった。

 産業革命以降の戦争はエネルギー資源、天然資源の争奪戦でもある。 ここに至って戦争そのものが科学技術発展の後押しとなり、文化生活関連よりも先に新兵器開発から科学の技術が進歩したのは皮肉であり、忌まわしい世界的な戦争がもしもなければ今ほどの技術文明は得られていないだろうとまで語られるのを聞くに、これも両刃の剣と共に歩む人類が背負う “業” のようであるかに思う。 周知の如く、航空機の技術も原子力開発による最終兵器も、多くの技術の研究開発が戦争によって加速したのは事実である。


 フクシマ以降、原発をどう扱うのか、今後どうするのだという議論が世界中にあるようだ。 ただそれは、原発を現在稼働させて比較的長く依存してきた国々での話であって、今から原発でタービンをぶん回すのだという途上国や深刻なエネルギー不足の国々ではまるで他人事に過ぎない。 あなた方は止めたければ止めればいい、我が国はそれでは国家維持できないのだ、放っておいていただこう、となるのは当然である。 なんだその勝手な言い草は、核弾頭兵器を懐に抱えた連中に言われたくはないわい、という思いもあるだろう。 その点はCO2削減問題と同様だ。

 我が国はどうあるべきだろうか。 現首相のエネルギー政策転換論は青臭い絵空事か。 少なくとも耳障りだけは良いが、言っている当人が当人だけに 「どうせいつもの大風呂敷」 「我が身延命策の中身無い思い付き発言」 としか国民は受け取ってはいまい。 本気でやる気ならば党内をそれで統一させ、大看板でも掲げるだろう。 身内からもボロカスに叩かれまくりの現状では、痴呆老人が夜中に徘徊して奇声を上げているのと変わらない。
 ただし、今回少し明らかになったように、国策として原子力を採用、推進してきた国にはまったく管理能力がない。 ひたすら国費をばらまいて 「安全だ安全だ、お前達の土地には国から銭が降りるぞ」 としてきた利権構造のあらましと、ずさん極まる役人根性の 「ワシや知らん」 管理では原子力など到底任せられないではないか。

 究極の 「両刃の剣」。 無責任な国や天下り組織でしかない電力屋にはこれを扱う能力も資格もありはしない。

党を連想させない男

 その時代に “千両役者” と映る議員がいる。 予算委等で政府なり与党なりの疑惑を突く 「追求のエース」 とか称される議員である。 ロッキード事件などの疑惑追及に於いて顔を売った社会党の大出 俊、共産党の正森成二、社民連の楢崎弥之助ら。 そして今や自民党の西田昌司がそうである。

 のらりくらりとごまかしながら躱すのが追求される側の手法なのだから、強力カードの手持ちは無論のこと、追い込みと畳み掛けに腕がなければ逃げられてしまう。 有名な敏腕刑事 「オトしの八兵衛」 こと平塚八兵衛刑事のような力量が追求側に期待される。

 疑惑が取り沙汰されれば国民は当然怒る。 それを白日の下に晒せと声を上げる。 証人喚問だとなれば仕事放っぽりだしても国会中継に聞き耳立てる連中が増える。 弾劾裁判の如く容赦無き追求を望むのである。 そこで質問に立つ「 追い込み屋」 は誰なのだとなる。 大出や正森だと知るとそうかそうかと安心し、聞いたことのない議員であれば 「そんな奴じゃダメだ、大出呼んでこい」 と落胆の色を隠せない。

 程度は分からないが、今の西田昌司もそのような期待を受けているのではないだろうか。 自民党といえば今まで与党でしかなかったために、そのテの色合い議員も党内にいるのかとの新鮮味がある。 正直なところ、西田の風貌はどう見ても自民党を連想させない。 そのオーラはかつての大出や正森である。 これがもし政権交代で自民党が与党に返り咲きとなった場合、西田だけは野党に置いておけという冗談も飛び交いそうだ。

 面白いと思うのは、西田の経済論だと公務員給料を下げてはならんというのであるらしい。 いわゆる公務員人件費擁護派の先鋒であるようだ。 その点は旧態自民党色そのままで、ああなるほどこの男は自民党員だったなと、妙な風に納得する。
 ただ、世論の大半は公務員人件費削減で揺るぎなく、その中で国会追求の千両役者なのだから、スター・西田を見る国民の視線、幾分かの変化を余儀なくされるかもしれない。 それも人気者の宿命だろう。

「メド」 の不確定性

 どういう状態をもって 「メドがたった」 と判断するか。 これは個々の主観依存だけに、まるで霧の中。 事実、彼等の舌の根が乾かぬうちに首相や鳩山、幹事長、官房長官といった連中による 「メド」 に相当の開きがあり、つまりは首相退陣の時期というものは 「無期」 だという事なのだろう。 いい加減さは今に始まったものでもない。 猿芝居は国民に読まれてもいる。
 ツラに小便掛けられたに等しいのが自民、公明、たちあがれ等で、ドロ船を沈めてやろうと放尿してみたが、煽り風に見舞われて自分達に掛かるばかりだった。

 溺れる被災者は、ドロ船だろうが何だろうが早く浮き輪を投げてくれと願っている。 国家のためには沈まぬ木の船にしたいところだが、藁にも縋りたい被災者を見れば船大工に発注している余裕もない。 こうなった以上はドロ船をなんとか固める凝固剤注入しかない。

 ああ・・・それにしても、難儀な国になってしまった。 いや、我等国民がそのようにしてしまったのだと猛省すべきなのか。

さても不信任案

 解散・総選挙になるのは困るからと首根っこ押さえられる議員達。 ちょいと待て、それはどういう了見なのだと言いたいのが国民有権者。
 今、解散されては自分が選挙で勝てる見込みがないからという理由で国政の方向を決めるというのである。 マスコミもそれが当然の如く報じている。 それはおかしいだろう。 そこに選んでいただいた真の義はあるのか。 政を司る身として、理を説明できるのか。 頭の中にあるのは我が身の保身だけだろう。 与党も野党も万事この調子。 なんたらチルドレンや、なんたらガールズなどというのはまるで話にもなりはしない。 裏を返せば、有権者が如何に馬鹿であるかということだ

 この時機、解散だけは避けたいと狼狽えたその時点で既に選出議員の資格放棄ではないか。 誰もお前達個人のために票を投じているのではない。 そこまで再選の危機感を持つのであれば、どうして有権者の意向を汲む政治活動をしなかったのだと糾弾されても仕方なかろう。 身から出た錆とはこのことである。 神妙にお白州に座し、裁きを受けるがよい。

 ただ、解散・総選挙を打てるだけの気骨、国を思う気概が総理にあるかといえば甚だ疑問。 返す返すも国民は不幸である。

利権構造体

 貴族共、何故にバラなんぞを歌うか。人民を養うデモクラシーのジャガイモを歌え!

 ハイネなりな血の叫びといったところだろうか。 政官財、そして学とメディアをも含めた五者により構築された現代日本の利権構造。 その見事なまでなシステムの前に、人民の力はあまりに弱い。

 官邸はその場しのぎに役人制作の耳障り重視な発言を繰り返し、世界に向けては無能丸出しの嘲笑買い声明で恥をかき、銭がないなら人民から更に巻き上げればそれで済むと馬鹿殿ぶりな高笑い。
 業界がお役所的独占電力業者と国家政策の下にある以上、電気料金値上げは実質的増税である。 さらに復興税だの消費税増税だの、ここぞ絶好機とばかりに年貢の吊り上げに掛かっている。 被災地、被災者が大変困っているのだからと、それにかこつけて横行している詐欺犯罪とまったく同類である。 端的な話、彼等利権構造体のやることは国民に対する「震災詐欺」なのである。

 銭がないなら年貢吊り上げ前にまず身を切らねばならないだろう。 あの徳川ですら 「飯は一汁一菜」 とやったのだ。 今のあまりに高額な議員報酬や公務員人件費は、庶民一家に喩えれば親父のパチンコ代、いわばむざむざとドブに棄てている血税国費である。 赤字なれば最初にそこから手を付けるのが筋道というもので、もはや無駄遣いではなく組織規模の公金横領行為である実状を正さねばならぬのは幼児のママゴト世界でも正道にして真理。 御用メディアはそこに一切触れず、国会は権力しがみつきと引き摺り降ろしの政局算用に終始。 未曽有の震災を人質に取った悪辣極まる政権争いである。 省庁はこれ幸い、描いた通りな展開に着々と利権基盤固めや増税画策にホクホク顔なことだろう。

 列強の侵略帝国が何をほざくかという思いが最初に来るものの、「民衆を支配するのは議会であってはならぬ、議会を通じて民衆自らが支配すべきである」 とは英・チャーチルの弁だ。 言葉そのものは賛同の一説ながら、残念なことに我が国の現状を見れば夢のまた夢ではないかと自虐に陥る。
 利権構造体の運営システムは愚かな人民に深く根を張る。 議会に送り出す人間を選ぶのも個人の損得計算でしかない。 国家がどうなろうとも我が身、我が家族さえ保障してくれればいいのである。 隣の奴がどうなろうがかまわないのだ。 それが組織票を固め、有効投票数の大半を占め、族議員の利権を確約する。
 そもそも能動性を奪われ呆けてしまった人民の堕落が投票率の低さに表れている。 いい歳こいた太っちょオジサン達がAKBの総選挙投票権欲しさに何百万もはたき出しはしても、国政選、統一地方選には見向きもしない。 国民全てがこの馬鹿調子だとまでは言わないが、これでは議会が民衆のために動く筈もなかろう。

 利権構造体は我が世の春を謳歌し続ける。国土と人心が殺伐たる荒廃を見せても責任論などどこ吹く風である。 見ているがいい、震災対策のお粗末さも原発事故の人災も、知らぬ存ぜぬで責任は霞の如く掻き消され、過ぎたることはどうでも良いではないかの論調を御用メディアは流しまくるだろう。 年金問題の責任は一体どこのどなたが負ったのか、うやむやの内に帳消しとなった現実を見れば一目瞭然である。

縮図

 この国難にのうのうと興行カマそうとしたセントラル・リーグに久しくない腹立ちを覚えたものの、始まってみれば我が子可愛さで阪神戦を観る。 馬鹿息子ほど愛おしいと親御さんは言うが、それは子の親でなくば解りはしない。 そこにあるのは、お前達のとことんな馬鹿さ加減をせめて見届けてやるのが長い付き合いの義理だとばかり、半ばヤケッパチな生理現象である。

 阪神タイガースの試合を観てみれば、今の国状をそのまま投影している。 負けが込み、勝率低下が止まらぬ現状にもかかわらず、選手の高年俸は球界一だという。 絶望的な国家の借金、どうみても返せそうでないと国民が天を仰ぐ国家財政状況を連想せざるを得ない。
 さしずめ、高年俸を喰らい続けながら一向に働かぬ高額野手達は我が国の腐れ公務員共であり、素人目にもボンクラだと罵倒されるベンチワークは今の能無し政権、国会である。 それでもなんとか支えねばと、援護射撃の無い中にゲリラ戦を展開して力投を重ねる投手陣。 これ即ち我が国の屋台骨たる中小企業。 日航、東電は保護しても、守っちゃくれない下町の輝原石。
 能見に、久保に、岩田に・・・・ ああ、彼等に陽の光を・・・・・

 しかし、投げても投げてもその苦労報われず、終盤7回、8回で腹切り潰れる中小企業、後を絶たず。 おお悲劇、なんという悲劇。
 高額野手陣は何食わぬ顔で民の税を貪り続け、相も変わらず凡打と三振を繰り返し、与えて貰ったチャンスにも震災瓦礫の如く残塁の山を積み上げる。 ダニかヒルかサナダムシか。 税金泥棒、タダ飯喰らいの公務員。

 それでも希望を失くしたくない罪無きファンがいる。 せっせとグッズを買い漁り、聖なる甲子園に税を納め続ける。 仕事も休んで敵地カードの応援に。 せめて夢だけ見させてくれと、呷るビールの虚しさよ。
 挙げ句の果てには、もはや中小企業経営成り立たず。 有能投手陣は銭に釣られて海外へ、労働力求めて海外へ。 そこでは技術だけを吸い取られ、故郷恋しと戻る頃には干涸らび疲れ果てた哀れなるかなその姿。 見るも無惨な骨皮スジ右衛門。

 見よ! それでもなお、高額の役立たず野手陣は居座り続けるのだ。 能無し政権は変わらずベンチで間抜け采配を振っていることだろう。 連敗に次ぐ連敗、完封負けに次ぐ完封負け。 ベンチと高額野手陣によって構築されてきた利権の安寧はそう容易く突き崩せはしない。

 国廃れて、山河も無し。 そこにあるのは、だらけ太った阿呆面議員共と腐臭を放つ醜悪な公務員だけである。