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当然ながらも、おそるべし!

 京都府の国勢調査CMに「けいおん!!」を用いたところが、大変なアクセス数らしい。TVアニメやネットでの評判を知る人ならば、まぁそうだろうなと当然の如くに片付けるが、お堅い京都府の方々には驚きだったようだ。

 効果の程はあるだろう。彼女らの声で「協力せぃ」というのだから、あの毒のない娘達がそう言うのであればと調査用紙に書き込むことだろう。京都府も京アニ様々ではないか。もう一歩踏み込んで、調査用紙提出と引き替えにジャンボカードでもやるぞと釣れば、更に回収率はいいかもしれない。

 国政選挙にもこういう「アニメ釣り」をしてはどうか。いや、そいつは問題ありですわな。

スポンサー不足

 『ふたつのスピカ』なんて好きだったのに、と残念に思う人も多かろうグループ・タックの自己破産。「坊やよい子だねんねしな・・・」で一世を風靡したのからあだち充の野球ラブコメなど、70年代以降の日本アニメを引っ張ってきた制作会社のひとつだ。

 体力の弱いものから倒れていくのが現実で、かといって本業以外にも幅広く展開して「なんでも屋」ならば生き残れるというものでもない。少子化もありTV離れもあるだろう。アニメに限らず、スポンサーとなる企業そのものに体力が無くなっている。法人税で持って行かれるよりは企業イメージに注ぎ込もうなどという遙か昔の夢物語的余裕などありはしない。

 DVDやBDの売り上げでアニメの占める率は高い。我が子のために買ってやる父母の出費よりは、自分の手元に特典付き高画質製品を置いておきたい“そのテ”の購買力がものを言う。だが、オタク共の出費がアニメ制作会社を支えているなどという話は聞こえてこない。やはり制作に関わるスポンサー不足により、カネの流れも無ければモノ作りの流れも滞ってしまうのが、業界の厳しさの根源なのだろう。
 世の中、好景気ばかりでもあるまい、これも淘汰のうちだ、と言われれば確かにそうだが、ごく少数の大手だけが生き残る活気無い業界であるならば、ファンとして歓迎したくない未来に思う。

天才の側面

 粗雑でぞんざいな人間というのがいる。大雑把とか丼勘定とかいうのなら適材適所に使えもするが、何につけても粗雑な者は仕事上でも使うにちょいと憚られる。
 机上整理の出来てないヤツなどに出くわすと、小さな小物道具類とか重要書類、機密データなどを紛失しやしないのかと不安になる。その結果、この仕事を誰にやらせようかとなった場合に、そのだらしないヤツ以外の者に指示することになる。誰もがそういう経験を一度や二度お持ちだろう。

 渡したデータディスクをよく床に落としてしまうようなヤツもいる。手先が鈍臭いというだけでなく、扱いがぞんざいなのだ。そういうのを見ると、ああこいつだけは我が家へ招き入れるのはよそう、と思う。 そこらじゅう触られて部屋の中を引っ掻き回されたのではたまらない。

 だが、どこか一部分飛び抜けて天才的だという人間ならば、我々の見る目もいささか違ってくる。飛び出た箇所があればその分窪むところもそりゃぁあるだろうよと妙に納得してしまうのだ。
 天才・平沢唯を例に取れば、彼女に台所に立って貰おうとは誰も思わないだろうし、部室でお茶飲んだ後片付けをしておけと命じたところで、誰か指導員か見張り員を配置しなければ、ムギがいくら高価なティーセットを揃えたところで長持ちしないだろうと考える。天才的なギター弾き以外は何をやらせても鈍臭そうなのだ。

 ただ彼女は撃墜王のエーリカ・ハルトマンのようにだらしない部屋に住んでない。有能メイドさんでもある妹が甲斐甲斐しく掃除してくれるのだとしても、そこは乙女のプライベート空間なのだから、充分に整理整頓が行き届いていると見るべきだろう。

 一方、大空のエース・ハルトマンはゴミの山に寝ているかのような散らかし放題。実際はゴミとして破棄する物など殆ど無く、保持しておきたい持ち物ばかりなのだろう。第一には物を持ち込み過ぎている。モノがあり過ぎるのだ。
 飛んでくるネウロイを叩き落とすのが彼女にとって唯一の“掃除”らしく、「片付ける」、「整頓する」、などという単語はネウロイにのみ向けられるようではないか。
 寮生活などの経験を持つ人ならお分かりだろうが、こういう者と同室になった場合はバルクホルンが執っている措置に倣って侵入防止柵でも設置しておかねば、三日と経たぬ間に自分の周囲も不快極まりない空間となり果てる。 お前、こんなヤツとよく暮らせるなぁ、というのが専らの見解で、バルクホルンにとって腕前を競う同じカールスラント人でなければ、とうの昔に部屋から蹴り出されているかもしれない。

 アルバート・アインシュタインの髪もけっこうボサボサだったそうであるし、天才肌の人間というのは「その道」以外の部分では無頓着な面があり、そこはぞんざいでいい加減なのだろう。レベルアッパーを開発した木山春生などはその最たる者で、「脱ぎ女」というありがたくも嬉しい奇異行為まで平然とやってのけるではないか。能無し凡人である自分などは、せいぜい「その場に居合わせたいものだ」と涎を啜るばかりである。

名作は用いられる

 先頃の「けいおん!!」で学園祭出し物として使われた「ロミオとジュリエット」。秋山澪のロミオも田井中律のジュリエットも、選ばれた以上はその役に案外ひたむきな姿勢が窺え、名演だった。学園祭でのそれは「ふたりはプリキュア」を思い出しもする。ジュナとレギーネに襲われながら、なぎさロミオもほのかジュリエットも最後は見せ場を作って教頭のブラボーまで引き出したのは記憶に残る。また「サクラ大戦」では確か「ジュリオとロミエット」という演目名になっていた。勿論、マリア・タチバナと神崎すみれによるものだ。多くのアニメを御覧になっている人であれば、あそこにも使われていた、あれも題材はロミジュリだった、などと更に次々出てきそうな気がする。

 この題名の劇場映画となれば昔から何本も作られているのだろう。自分の年代ではオリビア・ハッセーが浮かぶ。何よりニーノ・ロータによるテーマ曲が広く売れ、今でもラジオや茶店のBGMでよく耳にする。スクリーンミュージックのスタンダードと言ってよい。

 愛し合う二人がとどのつまり自ら命を絶つ最期が見せ場で、女が仮死状態とは知らず男は後追いで服毒し、目覚めた女がその後をまた追って自身に剣を刺すという、若い二人の後追い連鎖が悲劇。プロの舞台劇でも繰り返し上演される名作だ。
 学校の文化祭で取り上げられるのには壮絶なまでの愛の姿に憧れがあるのだろうし、悲劇に至る背景に両家の敵対があって若い二人は被害者であるというやるせなさが好まれるのではないだろうか。どうあれ美しくもはかない悲劇のヒロインはいつの世も変わらぬ人気を得る。

 一方、「ストライクウィッチーズ 2」では「ローマの休日」。高貴なる御令嬢が一市民と共にローマを巡るというアレである。オードリー・ヘプバーンを一躍有名にした名作映画もアニメの中で度々用いられる。セーラームーンでも「十番街の休日」というのがあった。かつて米国大統領のカーターが来日した際、一家お忍びで焼鳥屋に現れ、新聞を賑わせた。事の真相はどうであれ、ジミー・カーターという男もかの映画のファンだったのではないかと、あらぬ想像までしてしまう。

 なにせ痛快極まりなく、世間知らずな美しい姫君の奔放的振る舞いであるのがいい。ストライクウィッチーズではローマそのものを舞台にしており、グレゴリー・ペックによる「真実の口」に於けるからかいエピソードなどはそのままルッキーニに演じさせている。そういえば「ガンスリンガーガール」のヘンリエッタもスペイン広場に面して映画「ローマの休日」に憧れる様子がチラリと窺えた。かの大階段ではジェラートを食べるのが粋というものらしいのだ。
 だが、イタリア旅行経験ある知人によれば、「今時あんなもの食べながらウロウロさせてくれるわけないじゃない」と、まこと現実に引き戻される夢のない話ではあった。

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