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「おひかぁー? おひかぁ!」 「はいぃー!」 |
「御高倶山の勝蔵親分!」 「えっ・・・!」 |
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「・・・・・は、どうしてるだろうかねぇ?」 「あン人ももうじき若いモンに譲ってしまいなさる そうじゃないかぁ。 自分トコの若い衆が立派に育ちゃ嬉しいだろうけど、 反面ちょいと淋しい思いしなさってんじゃないかねぇ?」 |
「あ・・・ああ・・・えっと・・・あの・・・」 「へへっ、ちょっと驚いたんだろ? あはは!」 「い、いえ・・・そんな・・・」 「顔に書いてあるよぉ〜、今訪ねて来てくれたと 思ったろ?」 「お、女将さん・・・!」 「あははぁー! 悪い悪い、ごめんよぉ。あんたの 顔がさ、そろそろ会いたいって言ってるみたいでさ」 |
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「えっ? そ、そうなんですか・・・・!」 「いじらしいねぇ、おひかは。 一度行ってきたら どうかねぇ? あン人も肩の荷が降りたから きっと気が抜けたみたいになってるよぉ。 あんたの顔見せてあげりゃ喜ぶと思うけどねぇ」 「そ、そんな・・・・! あたしはただ・・・・ どうなさってるかなって・・・・」 「ホラ、図星じゃないか。会いたいだろ? 土産持って御高倶山まで行っといでなっ」 「そんな・・・いいんです、あたし、お店もあるし・・・」 |
「おひかぁ、あんたね、もっと自分に正直に 動かにゃ人生棒に振るよ。 あたしに遠慮なんかしてどうすンのさ」 「女将さん、そんなつもりは・・・・」 「いいかい、あたしに世話ンなってるとか、助けて もらったとか、決して思っちゃいけないよ。 あんたの人生はおひかという立派な人間の 人生なんだ。誰に遠慮が要るもんかね! 胸張って思い通りに生きなきゃ! それにね、 あたしゃおひかを他人だなんて思ったこたぁ 一度だってありゃしないよ」 「お、女将さん・・・・」 |
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「女将さんに・・・・そんなに思っていただくの、 あたし、とっても嬉しいし、幸せです。 おっ母さんってこんなのかなって・・・ いつも思ってます」 「だから、だから・・・・あたし・・・ 一緒に居たいんです。 女将さんの傍に居たいんです」 |
「火の熾し方も団子の焼き方も、帳簿の付け方 も教えて貰いました。挨拶はこうするんだよ、 ああいう人にはこんな風にするんだよって・・・」 「おひか・・・・」 「だから、だからあたし・・・・女将さんの傍に 居たいんです。女将さんと一緒にこのお店 やっていきたいんです」 |
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( 遠慮してるんじゃありません・・・・ あたし、女将さんとこのお店を・・・ ) ( おひか・・・・・・・・・ ) |
「女将ィ・・・ちょいと話があンだけどよ」 「あら、いらっしゃい! どうしたんですか、お二人共難しい顔なさって」 「いや・・・おひかの事なんだけどよ」 「はい・・・・?」 「実ぁ・・・御高倶山の勝蔵の野郎、その・・・・ おひかのヤツにかなり気があるみてぇなんだよ」 「ホントですかぁ!」 |
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「そうですか・・・・あの人がおひかのことを・・・」 「そうなんでぇ。それでよォ、女将としちゃあ どうなんだかなってぇ思ってよ」 「そりゃあそんな嬉しい話はありませんよ、親分!」 「女将さん、おひかちゃんはその後どうですか?」 「ええ、たまにボーっとしてますよ、あはは・・・。 そうですか・・・おひかぁ嬉しいだろうねぇ・・・」 「ただよォ・・・勝蔵の野郎め、踏ん切らねンだ。 女将やオレっちがでぇじにしてんの知ってやがる からよぉ」 |
「なんですか、それ?」 「いやぁ、あの野郎ァてぇした男気なんだけどよ、 図々しいトコがねぇんだな。そこに咲いてる花ァ 摘んじゃいけねぇとかなんとかぬかしぁがってよォ」 「まぁ! なんて可愛らしい! っていいますか、 そっちの方は意外に堅苦しいお人なんですねぇ」 「だろぉ? だもんでよぉ・・・・・」 「じゃあ、その気になったら押し掛けちゃっても いいでしょうかね? 気に入って下さってんでしょ? 怒って追い返したりしやしませんでしょ?」 |
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「あの・・・女将さん、お店の方は・・・・?」 「この店ですか? 店が何か?」 「いや、もしおひかが輿入れしちまうとなりゃよぉ、 女将一人でこの店やんなきゃなんねぇ・・・」 「そりゃそうですよ」 「いえ、女将さん、ですから・・・それが・・・・」 |
「ちょいと、お二人さん! 店の看板娘がいなくなるからホントはあたしが あのコを手放したくないとでも?」 「い、いや、そうじゃねぇんで、ホレ、女将ァあいつと 二人でずぅっとやってきたしよ」 「お二人にしか分からないモノもおありでしょうと・・・」 「当たり前じゃありませんか!」 「お、女将さん・・・・・!」 |
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「お二人さん、こう言っちゃあおこがましいですけどね、 あたしゃ裸一貫からこの商売始めてんですよ。 一人の頃に戻るだけですよ。 斬った張ったのあなた方とは違いますけどね、 あたしだってこの商売にゃ身体張って命掛けてんです」 「女将・・・」 「そりゃあ、あのコとは元はアカの他人でしたよ。 あのコの器量でお客さんも随分増やして貰いましたよ。 けどね、あたしゃあのコを使用人だなんて思ったこたぁ 爪の先ほどもありゃしませんよ。助けてあげたとも思って ませんよ。あのコはね、桜吹雪があたしに授けてくれた 大切な子宝なんですよ」 |
「ウチの娘が嫁に行く、幸せンなる・・・・・ それを嬉しく思わない親がどこにいるんですか。 着物の一枚も買ってあげたことのないあたし ですけどね、こればっかしゃこの大屋台砕いて でもあのコの嫁入り衣装こさえてあげたいと 思ってンです」 「女将さん・・・・」 「いや、でも、それほどまでにあたしらのことを 案じて下さって・・・・申し訳ないですね。 お二人には感謝します。 ありがとう、親分、おほのさん・・・・」 |
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「で・・・出過ぎたことぉ・・・言っちまった・・・・ 勘弁してくれ、女将!」 「申し訳ありません! 女将さんのお気持ちも 知らないで・・・・!」 「なにおっしゃるんです。あのコはあたしの娘ですけど、 なぎ次郎一家のみなさんにゃ妹みたいに可愛がって 貰ってるんじゃありませんか。 あたし達二人は幸せ者ですよ」 |
「ただね、おひかの方は・・・・ も少しだけ待っていただけませんか。 いずれはあたしの下を離れていくんだという気持ちを あのコが自分で持って欲しいんですよ。 いえね、こんなに長く誰かと一緒に暮らしたのは、 このあたしが初めてらしくてね、店に出りゃみなさんに 可愛がられてきましたでしょ? それだけが・・・・」 「今の暮らしを失くしたくない・・・・・と・・・・?」 「そうなんですよ、おほのさん」 「・・・・そうですか・・・・」 |
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「やっぱり女将さん、デキたお人ですよね。 おひかちゃんをちゃんと見守りなさってます。 おっ母さんですよ・・・・・あたし達にはとても・・・」 「ケッ! ますます勝蔵の野郎ォ、気に入らねぇ。 出来るモンなら代わって貰いてぇやな」 「おまいさん!」 「あ、いやいや、なんでもねぇ、なんでもねぇよ!」 「女将さんも言ってましたね、押し掛けてしまおう かって・・・・」 「それみろぃ! 誰だってそう思わぁ。だぁからよ、 炭俵ン中へ放り込んで馬に括り付けてだなァ・・・」 「あたしはどうだったかな、って思い出してんですよ」 |
「それぁおめぇ、例えにゃなンねぇだろぅ。おんなじ 町内だったんだしよ、今だって一家と雪城屋ァ 目と鼻の先じゃねぇか。暇見ちゃああっちの商売も てんだってンだしな」 「そうですねぇ。一緒になったのもおまいさんが ウチの庭先からあたしをかっ攫って行ったんです からねぇ」 「お、お、なんて事言いやがんでぇ!人聞きわりぃ!」 「勝蔵親分にもそのくらいの熱がありましたらねぇ、 っていう話ですよ」 「なんせあン時、オレを斬ろうと思やぁ斬れたのに、 それをしねぇ男だからな」 |
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「根が優し過ぎるのかもしれませんね。ウチの 三羽烏とおんなじですよ・・・周りに気を使って・・・ 一歩下がって陰で苦労するのが男だと・・・」 「おほの!」 「はい?」 「やっぱりよ、こかぁ若ぇ衆の酸いも甘ぇも知ってる おめぇの出番だ、任せた!」 「な、なんですか?」 「おひかだよ。あいつの周りで嫁行ったことある奴ぁ おめぇだけだ、頼んだぜ!」 「そんな・・・・おまいさん!」 |
カァー カァー ・・・・・・ 「女将さん、飯台拭き終わったから仕舞っちゃい ましょうか?」 「いいよ、それあたしがやっとくからさぁ、あんた 向こうの井戸で水汲んできておくれな。 明日の仕込みの水、足りなさそうなんだよ」 「はい」 「桶半分もありゃいいよぉー」 「あ、はいぃ!」 |
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「御苦労様ですね、おひかちゃん」 「あ、おほのさん。すみません、今日はもう 終っちゃいました」 「いいんですよ。今日はね、雪城屋からの 帰りなんですよ。この井戸の水、美味しいでしょう?」 「はい、 女将さんも水は決まった井戸のしか使いませんから。 何かの用事で雪城屋さんに帰ってらしたんですか?」 「暇が出来たのでね、手伝いに行ってきたんですよ」 |
「えぇ? おほのさん、御実家のお仕事もしてるんですか?」 「そうですよ。お父っつぁんもおっ母さんも買い付け やら何やらで諸国廻ってばかりですからね、暇を 見付けちゃ婆様の手伝いをしませんと。ウチの人が 言い出したことなんですけどね」 「そうなんですかぁ。一家には若い人達も大勢いら っしゃるンですし・・・・大変ですね」 「こういうのをね、『二足の草鞋』って言うんですよ。 でも、もうじきマキ五郎の代になりますからね。 そしたらあたしもおカミさんは廃業です」 |
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「二足の草鞋もね、けっこう面白いんですよ。 おひかちゃんにだけ、ちょっと教えてあげましょうか?」 「え? はい・・・・」 「雪城屋って、何でも扱ってるでしょ?」 「はい、とんでもなく大きなお店だって、女将さんが」 「毎日のように沢山の荷を置き場から送り出すんです」 「はい」 「その船賃が殆ど要らないンです」 「え? どうしてですか?」 |
「ウチの人ですよ。湊と船握ってるでしょ。ですからね 荷卸しの置き場もタダですし、荷役も若い衆が やってくれますしね」 「え! それじゃあ・・・!」 「そうなんです、雪城屋の荷に限ってタダ同然なん ですよ。おっほっほっほ・・・・」 「す、凄いです・・・!」 「その代わり一家に必要な喧嘩道具も調達して 来ますし、珍しい舶来の食べ物とか・・・・手に入らない モノはないんです。婆様が面倒見た商い人が全国に いますからね」 |
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「雪城屋さんと美墨一家って・・・・ それじゃ・・・・徳川様にも負けないんじゃ・・・・」 「うふふ・・・このあたしが二つの橋渡し役なんです。 だからウチの人が一家を張ってる間だけですよ」 「お・・・おほのさんって、凄い人だったんですね」 「おひかちゃん、あなたも同じ事が出来るんですよ」 「え?」 「女将さんのためになることが出来るんです」 「それ・・・ど、どういうことですか?」 |
「女将さんから、勝蔵親分のこと・・・・ 話ありましたか?」 「え? え? そ、それって・・・」 「ウチの人、喧嘩の後に『おひかを貰え!』って 勝蔵親分に詰め寄ったんですよ」 「ええーっ!」 「まぁどっかの娘さんみたいに赤くなってしどろ もどろで狼狽えたそうですよ。 間違いありません、あの人はおひかちゃんを 好いてます」 「そ、そ、そ・・・そんな!」 |
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「ウチの莉奈吉やメグ蔵もそうですけどね、 男衆には周りに気を配り過ぎる人もいるんですよ。 あの人は女将さんやあたし達に遠慮してるだけ なんです。今頃きっと毎日あなたのこと考えては 鏡で髪を整えてばかりですよ」 「お、おほのさん!」 「可愛いでしょ? 男の人って。 うふふ・・・!」 「あ、あの・・・・」 「一度訪ねてってあの人の様子を見てきて 欲しいんですよ。恋煩いで寝込んででもしてたら それこそ一家を挙げて御見舞に行かなきゃ なりませんもの」 |
「ど、どうして・・・・あたしが・・・・」 「そりゃ決まってます。あの人を恋煩いにしたのは おひかちゃんじゃありませんか。お薬ですよ、お薬」 「いきなり・・・そんなこと言われても・・・」 「おひかちゃんね・・・・・」 「はい・・・・」 「あなたは桜吹雪が授けてくれたウチの娘だと・・・ ・・・・・言ってましたよ、女将さん」 「え?」 |
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「あなたがいなくなると女将さん淋しいだろうって 思ったんですよ。お店の切り盛りも一人に なっちゃいますでしょ? そう言ったら女将さんに 叱られちゃいましたよ」 「自分の娘の幸せを喜ばない親なんかいない ってね・・・・」 「おひかちゃん、あなたはホントにいいおっ母さんと 暮らしていますねぇ。羨ましいですよ」 「おほのさん・・・・!」 |
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「嫁いで家を出るってね・・・・それでウチの人と縁を切ることじゃないんですよ」 「・・・・・・」 「またひとつ違った自分でウチの人と接する事が出来るんですよ。 お世話になってきたおっ母さんに親孝行したいと思いませんか?」 「え? それはもう・・・はい」 「御高倶山の広さは辺路寝の町の十倍以上あります。あそこには物凄く香りの いいマッタケが採れる山が昔からあるんですよ。ヤマイモもふんだんに あります。そんなのを女将さんに安く回してあげたらどうなります?」 「そ、それって・・・!」 「そうです。あたしのしてきた事をおひかちゃんも出来るんですよ。辺路寝の 町の人は滅多に口に出来ないものが食べられるから、もっと沢山の人が女将 さんの屋台に来てくれます。御高倶山の人達も女将さんの美味しい団子を 食べることが出来るようになるかもしれません。 女将さんのお店はより一層繁盛するんじゃないですか?」 |
「・・・・・!」 「そういう風にして、お互いの人達がもっともっと 行き来したら・・・・おひかちゃんの大嫌いな喧嘩も いずれなくなるかもしれませんよ」 「あ・・・ああ・・・!」 「うふふ・・・いいお顔ですよ、おひかちゃん。 勝蔵親分ならきっとこう言いますねぇ、 『そうでぇ! その笑顔でぇ!』・・・ってね」 「おほのさん・・・!」 |
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