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富士

 小僧っ子の頃に大層世話になった人が亡くなった。 送られてきた喪中はがきで知った。 せめてもう一度会いたかったと、しばし言葉を失う。 10年ほど前に出会った姿が自分の脳裏に残る最後の映像だ。
 その人は海軍の特攻兵だった。 といっても戦闘機乗りではない。 今でいう海兵隊のような部隊で、米軍上陸となれば爆薬を躰に括り付けて敵戦車の腹の下へ突入、自爆するものだ。 その特攻の日にちも決められ、その日付が 「これが貴様らの戒名だ!」 と命じられたという。 あの時の武者震いは忘れられないと、ことある毎に語ってくれた。 しかし、当該作戦決行の 「戒名日」 を待たずして、ウンカの如く襲来した敵爆撃機に兵舎も作戦本部も跡形もなくなり、その作戦遂行には至らなかったそうだ。

 その人の言葉を借りれば 「死ねなかった」 無念さが重すぎるのか、軍人魂が世俗風潮をはね除けるのか、世渡りが上手いとか要領が良いなどの評が決してあてはまらない人だった。 ただ、何をするにも潔く、上司やお得意さんに一礼する姿勢など、受け返事の歯切れ良い言葉までまさに軍人の礼だった。
 今ではかなり少なくなってしまったが、「○○戦友会」 という集いが昔はけっこうあって、何を放ってでもそれだけは顔を出したいと言うお爺さん達が少なからずいたものだ。 だがその人はそういう集まりには一切出向かなかったように記憶している。

 二人の息子さんがいたそうだが、長男が幼い頃に事故で亡くなったという。 そのせいか、世間知らずな小僧っ子の自分などは可愛がって貰った。 人間は潔くなければいけない、ケツは己で拭かねばならない、卑怯な手段をもって動いてはいけない・・・・。 そのようなことを自らの行動で示し教えてくれる人だった。 頑固者の職人だった自分の親父とどこか重なっていた。


 自分の先祖はおそらく平家の落人かなんかでしょう、戦後教育で育ってますンで武士道というのはせいぜいおぼろげに分かるような気がする程度で、どちらかと言えば、自分は武士よりも山本長五郎みたいなのが好きですね、今の暴力団とは明らかに違うような・・・・などと話をすると、ニヤリと笑う。 おお、そいつは面白い、次郎長か、あれは博打打ちの斬った張っただが大人物だ、と喜んだ。
 子供の頃からチャンバラ映画と長谷川 伸の股旅が好きなので、そう言うとますます眼を細めた。 あれのな、汚ったねぇ道中合羽でな、ボロボロの三度笠でな、品の無ぇ飯の喰い方がいいんだな、と夜の更けるまで道中無宿な話に付き合ってくれた。

 義理は欠いちゃあいけねぇよ、というのが親父の教えだし、なんでオイラに黙って逝っっちまたんだとの思いもあって、畑の冬支度も終わったので静岡まで線香上げに行ってきた。
 遺影は少し以前の、引き締まった元軍人の御尊顔だった。 もう一度お会いしとう御座いました。 呟きながらボロボロ泣けてきた。 少し耳が遠くなられたかに思える奥さんに深々と頭を下げられ、教わりました事を礎に私は今を生きております、と絞り出すのがやっとだった。


 そういえば富士山が文化遺産になったのだったなと、あまりの晴天にも押され、帰りがけに清水の美保へ寄ってみた。 いつの間にか久能から清水までの海岸線はハイウェイ並みの道路になっている。 人工物が良くない、などと評されたらしいが、このテトラも六脚ブロックも無ければ浸食され放題なのだからして、現状ではやむを得まい。 松原の管理も大変そうだ。 「活性剤を注入しています」 という札が各所の松に括り付けられている。 しかし、久しく味わったことのない 「松林の香り」 に満たされ、得も言われぬ気分になった。 松林の匂いは良い。 富士と合わせて写真を撮りながら呟きが出た。


   どうですかぃ、富士にゃあやっぱし松原で御座んしょう。
   振り分け荷物に縞の合羽、三度笠。
   ここにゃあそういう旅人さんが
   一番似合うじゃあありやせんかぃ。

   迷わず成仏しておくんなせぇ・・・・・。


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