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ガルガンティア

 この世は膜・membrane で出来ているとするのがM理論とかいうのであって、隣り合うそれらが触れ合うときに新宇宙誕生となるそうで、しつこいイラクサと日々格闘し続けているだけの身にはさっぱりチンプンカンプンで、SFの話に一喜一憂している方が精神衛生上、はるかに宜しい。

 高度な科学文明の異世界の者が突如現れるのは、それは神の起源でもあろう、と論じるグラハム・ハンコックらの仮説。 「神々の指紋」 はよく売れたらしい。 確かに興味深く、面白い。 もっと以前の70年代、石森章太郎が既に 「009」 の天使編や神々との闘い編で人類の尺度を遙かに超越した存在を描いている。 大真面目に太古の宇宙人来訪痕跡を唱える人々は世界の三大宗教も何のその、そのようなものはいずれ明らかになる歴史の事実の前に意味をなくすだろうとさえ説く。

 人類銀河同盟のイケメン・レド少尉とガルガンティアの人々に於ける科学文明の違いにはそのような面白さがあり、上官・クーゲルと愛機ストライカーが “神” としての君臨を企てた流れもまた、より自然であるかに思える。
 この作品で目を惹くのは潮風でサビまくった船団の風景にひときわ目立つメタル光沢のマシンキャリバー、それに色白なレドに対するエイミーの色濃い健康優良児的ふくよかさだ。

 鰺だかなんだか、干物を喰えとレドに差し出すエイミーの姿は、グラハム・ハンコックらが見れば神への献餞に映るかもしれないと、要らぬ事を考えてしまった。 もしもレドを神と崇めるのならば、その神に担ぎ上げられ、御丁寧にもどさくさ紛れとはいえ尻まで触られたというエイミーには、まことありがたい御利益ありそうな出来事ではなかったろうか。

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