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 久しぶりにPCの前へ戻ってきた。 懐かしいと言っていいくらいだ。

 四ヶ月ほど患っていた親父が他界した。 人間はいつかはいなくなるのだし、このろくでなしな息子も親より先に逝く親不孝だけはせずに済んだ事になるが、喪が明けた今でも心の隙間はそう易々と元通りに埋まってくれない。
 親父の残した膨大な数の職人道具は錆ひとつなく手入れされており、彼の手に馴染むまで使い込まれた年季がオーラとなって道具ひとつひとつから立ち上る。 畑で草刈機を振り回していても、去年の今頃は嬉しそうに手伝ってくれたっけな、などと未だその姿が自分の傍らに見えてしようがない。

 弘法は筆を選ばず、なんていうセリフをよく聞くが、親父のような職人には全く当てはまらない。 馬鹿言っちゃいけねぇ、仕事ってなぁな、腕に見合った道具と材料が無けりゃあ話にならねぇ。 職人の道具を扱う専門の刃物屋も建材屋、製材屋も、みな親父を煙たがった。 徹底して吟味されるからだ。
 あるとき、さる大地主が仏間と寝所周りを改装したいのでと仕事を持ち掛けてくれた。 自分が目を付けた木を製材屋に唾付けしてあるから一緒に見に行って欲しいと、わざわざ我が家まで親父を迎えに来た。 だが、その材料を見るなり親父は一蹴に伏してしまった。 どうしてもこの材を使うのなら誰か他のモンにやらせてくれ、こんな酔ったよな木じゃまともなモンは造れねぇ。

 万事そのような調子で徹底していた。 曲がった事は嫌いで、人の道だけぁ外しちゃいけねぇ、が口癖だった。 酒の好きな人だったが、いい酒飲みだった。 彼の飲み連れに酒癖の悪い者はおらず、他所様で馳走に預かる場合は早々に退きあげるのが常だった。

 若い頃の親父は息子と酌み交わすのを心待ちにしていたような節がある。 自分が中学生の頃にはもう晩酌の相手をしろとばかりに湯飲みにドボドボ注がれた。 育ち盛りで腹が減っている自分は飯を先に喰いたくて仕方なかった。 飯を喰ってから酒飲むような奴と一緒に飲めるか、と怒られた。 その点は無茶苦茶だったものの、早く酌み交わせるようになって欲しかったのだろう。 彼の晩年、ほぼ10年近くは毎晩のように親父と酒を飲んだ。 少しは孝行になったろうと自負している。

 頑固極まる昭和の職人。 しかし彼は若い頃に鳴り物が好きだったらしい。 覚えにないが自分が生まれた頃にはバンドネオンやらヴァイオリンやらが親父の傍らにあったそうだ。 若い頃の写真を見ても大層なおしゃれで、まさにモダンボーイだ。 服装など一向に頓着無い自分は、おそらくお袋さん筋DNAの影響によるものだろう。
 親父に買って貰ったグローブやギターはまだ置いてある。 贅沢を言わなければまだ充分に使えるシロモノだ。 お父さんやお母さんに買って貰った物は大切に手入れして使いなさい、と子供達に説くのは鈴木一郎だが、まったくもってその通りだとしみじみ思う。

 四十九日の法要段取りに慌ただしく動いている最中、物置小屋横のエゴノキの花が満開となった。 今までこれほど見事に咲き誇った姿は見た事がない。 親父が咲かせたのだろうと人々は口にした。
 法要も済んだある夜、早々に酒を喰らって寝たら夜中の3時頃に目が覚めてしまった。 しょうがねぇなと缶ビールをグラスに注ぎ庭に出ると、なんということだろうか、真冬でも滅多にこれだけ見えまいというほど満天に澄みきった星空。 天の川の 「夜の背骨」 が手に届くように美しい。 梅雨のシーズンなのになんてこった。 しばし感動して呆けたように見上げ、我に返って椅子を持ち出しては改めて星空の鑑賞をしつつビールを呷る。
 すると、一匹の蛍が点滅しながら飛んできて、自分の周りを浮遊し始めた。 これまたなんてこった、ウチの庭で蛍を見たのは何十年ぶりなのか。 そうか、お前は親父か、親父なんだな。 オイラと一緒にこの美しい天の川を見上げてくれるのか。 ありがとうな、お袋のこたぁ心配せんでええ。 親父と一緒に行くにゃあまだまだお袋は達者すぎらぁな。 それまでちょいとそっちで待っててくんな。 そっちにゃあ昔ながらの飲み連れが大勢いるだろうしなぁ。