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震災の日

 東日本大震災から丸一年。 TVが一斉に特番を流す中で、自分は去年のあの日、何を思っていたのかと振り返る。 これは自分に限らず多くの人がそうであるに違いない。

 タールのように真っ黒な水が何もかも飲み込んで荒らし回る光景に 「なんだこれは」 と息を詰まらせ、自分達の住む世界が無くなってゆく様を為す術なく高台から見ているしか出来ない人達の心中如何ばかりかと思った覚えがある。
 生きる生活基盤、土地の文化、愛や喜びの記録も苦労の賜も、文字通り我々の世界がそこにあるのであって、それが数分の間にすべて掻き消されてしまう災害。 人間の営みはなんと脆弱なものだろうかとも感じた。

 日が経つに連れ、腹立たしさ、憤りばかりが蓄積されていった一年でもあった。 原発事故の詳細隠蔽や政府、国会の無機能無能力ぶり。 現に一年過ぎてもこのザマだ。 やった事はと言えばこの災害に乗じ、被災を人質に取った増税の押し付けだけだ。 挙げ句に、実は当時の議事録はありません、誰がどういう発言したのか記憶に御座いませんという。 到底、国家国民を思っての任務遂行とは思えない。 お前達は我が保身のために国民を殺しても平気なのかと激しい怒りを覚えるのはこの自分だけではあるまい。

 揺れたのと津波が来てしまったのは天災だ。 だがその後のお粗末な対処や原発に関連する諸事は明らかに利権保持と責任逃れ、保身絡みの人災であることを改めて認識する3.11、震災の日である。