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子供の日に

 GWには上野動物園のパンダも大勢の来園者を集めているのだろうか? 70年代に初めてお目見えした際には日中国交回復の象徴として結構な賑わいだったそうだ。 今、改めて何故の上野パンダなのかと、ジャイアントパンダがさほど珍しくもない紀州からいささか冷めた目で眺めている。
 パンダは確かに愛嬌がある。 ゴロゴロノソノソしながら竹を囓っている。 猫のようだ、とは言い得て妙である。 気候などの環境条件が適合しているのか何なのか、中国本土以外でジャイアントパンダの出産、育成にここまで成功しているのは日本の白浜だけだという話だ。

 中国お得意のパンダ外交なのだろうけれど、それが上野にやってくるとして各メディアの異様な報道ぶりが不思議だった。 今、空港に着きました、只今どこそこを走っています、などと、ヘリまで投入したさながら故・ダイアナ妃訪日の如き追っ掛け報道には呆れてしまった。 40年も昔じゃあるまいし、東京の人達はそこまでパンダが好きなんだろうか? とも思った。

 レンタル料は2頭で年間8千万円近いらしい。 希少な動物の保護支援費には違いないが、近年ただでさえ赤字経営に苦しむ動物園にとって軽視できる金額でもない。 上野は公立園ではなかったか? 都立の動物園なら大金持ちの東京都財政だけに可能な経営だ。
 紀州白浜のアドベンチャーワールドは企業経営だ。 パンダ飼育施設はテーマパークの一部だが、業界一人勝ちのオリエンタルランドなどと比べれば業績内容に於いておそらく雲泥の差があるだろう。 余計なお世話ながら、この長引く不況下で債務超過ライン付近の綱渡り的経営を余儀なくされているかもしれない。 これは全国殆どのテーマパークで同様の状況だろう。

 昨年だったか、南紀の太地町から名古屋の水族館にシャチが1頭売り渡され、可哀想にもすぐ死んでしまった。 5億とも言われる売買だ。 尾張名古屋のシンボルはお城のシャチホコなのだろうけれど、それにしてもド派手な尾張文化だ。 以前にも5年間2億5千万でレンタル契約し、病死させている。 どうあってもシャチにこだわりがあるらしい。
 買い付ける側もそうだが、売る側も売る側だ。 シャチを何だと思っているのか。 梅や蜜柑の苗木とは違うだろう。 このような真似をやらかしているからイルカ漁映画でバッシングされるのだと批判されても仕方ない。

 湾内の入り江を利用して飼育している太地に比べ、各地の水族館プールをいくらそれ用に作ったとしても所詮は金魚鉢のオバサマ程度でしかない。 急激な環境変化、棲息条件の劣化を与えるのは明らかで、それは太地にて飼育している者が最もよく知っている事ではないか。 札束で横っ面張られれば手塩に掛けて愛しんできたシャチを死地に向かわせるのも厭わぬのか。 移送先各地の水族館に於いて次々と死んでしまった事実には 「惨いことをするものだ」 としか言いようがない。

 子供の日の祝日、動物園や水族館ではそれなりに子供達の輝く眼差しがあるだろう。 大人共のよからぬ思惑を子供達が知らぬ事だけが救いである。

焼き肉

 飲み連れと二人で焼き網を挟んで座り、豚のホルモンを喰い始めると、もう精肉は注文したくなくなる。 喰うのが忙しいからだ。 面倒なので二人前のホルモンを網の上にドバーッとあけてしまう。 やい、おめぇ早ぇじゃねぇか、もちっとゆっくり喰ったらどうなんだ。 なに言ってぁがる、おめぇこそ、もっとよく焼いてから喰え。 なんてこと言い合いながら箸と口ばかりが忙しい。 気が付けば二人で15~16人前くらい喰っている。 精肉と違って腹に溜まらないせいだ。 これが1ポンドのステーキを喰えと出されたのであれば、ちょいと大変だ。

 育ちが上品でないからか、自分は今風のきれいな焼き肉屋を好きでない。 生肉で食中毒騒ぎになったああいう店は作りもお洒落なのだろうが、看板、入り口の雰囲気からして 「喰いに入ってみよう」 という気にならない。

 きれいなベベ着たお嬢様達もお子様方もどうぞご存分にお召し上がり下さいませ、という構えはファミレスの延長だろう。 焼き肉屋は七輪に炭火、その上に簡単な餅焼き網でも置いて、もうもうたる煙と脂の中で喰う店が一番旨い。 傍らに置いたジョッキのビールに脂が跳んで、泡が即座になくなるくらいの店でなければ話にならない。
 うどん屋なら素うどんを喰ってみるといいように、豚のホルモンでも喰ってみれば、その焼き肉屋が旨いのか否かが大抵判る。 人の良さそうな韓国人のおっちゃんとおばちゃんが細々やっている店がいい。 そういう店でホルモンが旨ければ、カルビだのタンだのというやつもみなイケる。

 焼き肉屋も寿司屋も、今やファミレスと変わらない。 下手すれば居酒屋までそうなっていて、子供用のスイーツまで用意してある。 てめぇ、酒喰らう場所にガキなんぞ連れてくンじゃねぇやな、なんていう暗黙のしきたりとわきまえのあった頃が懐かしい。
 亡くなった子供さんは気の毒だ。 生肉の扱いについて慎重さを欠いた食中毒。 チェーン店なれば、お得意の 「マニュアル」 とかいう奴の上にあぐらかいて居眠りしていたのか。 生肉を客に出すという行為に、プロフェッショナルとしての吟味があったのかどうか。 厚労省の指針、指導不備も含め、死亡者が出ている現状からも再発防止措置を急がねばならん。

 また、自分達夫婦が喰いたいからと子供をそこに連れて行き、何の躊躇もなく自分達と同じものを喰わせるのは考えものだ。 免疫性も抵抗力も大人とは異なるという至極単純な道理を改めて認識しておくべきだろう。 店の衛生管理責任は重大だ。 しかし、家庭の冷蔵庫内で腐らせてしまった食材を我が子に喰わせるバカもいないだろう。 よからぬものが子供の口に入る直前で止められるのはやはり親御さんしかいないのだ。 食い物に限らず、子を守れる最後の砦は他ならぬ親御さんではないか。

ありがとう、スーちゃん

 歌手の本田美奈子さんが亡くなった時にかなり寂しい思いをしたものだった。 スーちゃんも然りだ。

 てめぇなんざぁたった今でもくたばっちめぇ、世界の誰も惜しいたぁ思わねぇや! なんてこと言ってやりたい穀潰しほど長生きするものだ。 ウチの婆さんが生前よく言っていた。 ろくでもない嫌われ者ほどいつまでも達者で、死ぬまで人様に迷惑かけるもんじゃ・・・・と。 それでも、スーちゃんには長生きして欲しかった、と思う。

 キャンディーズが人気を博したのにはTBS系列の怪物番組 「8時だよ! 全員集合」 にほぼ準レギュラー扱いで出演していたこともある。 今の世なら 「キャンディー」 などは使い古しの臭いイメージでしかないが、当時耳にする 「キャンディー」 は甘酸っぱい少女マンガイメージをそれでも保っていた。 またそれだけ彼女等は生娘な処女性を湛えていた。 後に登場するピンクレディーの悩殺的振り付けとは明らかに一線を画する。

 ラン・スー・ミキと聞けば、おお、しゅごキャラ! と反応する今の時代。 思えばキャラクターに対する思い入れの分別化というものはキャンディーズ全盛時代にも既に確立されていた。 スーちゃんを好きな人は、ランちゃんを、ミキちゃんを好きな人は概ねこういう性格であろうというのがそこらの雑誌誌面を賑わせていた。
 魅力的な三人の内から一人を選べと厳しい詰問が投げ掛けられたなら、何を隠そう、自分はスーちゃんを好きであった。 解散後、やがて彼女は映画やTVドラマで見掛けることになる。 ああ、いい女優さんになっていたのだなと思ったものだ。

 自分にとっては、やはりキャンディーズのスーちゃんだった。 今はただ、ありがとう、と惜別したい。

よくわからんが

 OS が UP DATE された途端、最新記事がすっ飛んでしまった。  なんだろう?

広葉樹を植える

 岡山の美作市で 「ドングリの森基金」 創設の条例案が議会に提案されたそうだ。 10 ha の市有林を広葉樹に変えていく計画らしい。 クマの生活環境を少しでも良くしてやろうというクマ被害面からの対策案でもあり、落葉広葉樹ならば今あるスギ・ヒノキより CO2 をよけいに吸うだろうし、山の表土保全にもなり腐葉土が保水力を持たせるとの環境側面もある。

 それはいいな、もっと広くやってしまえないのかと言っても、市有林の面積は限られている。 せめてこの 5 倍から 10 倍の広さが欲しいと思うが、他の民地は手が付けられない。 周囲はろくにカネにもならぬ荒れ放題のスギ・ヒノキが放置されているままなのだろうと勝手に想像する。
 しかし、このような試みは喜ばしい。 ヨーロッパ辺りだとこの類の運動はさほど珍しくないのではなかろうか。 我が国でもたとえ 10 ha からであろうと、始める行為に意味がある。 どうかお山の再生に使って下されとの寄付金に胸打たれた感激も否定出来ないにせよ、まずは行政から公費にてやりましょうという発案はいい。

 我が家の親父とお袋さんが僅かばかりながらドングリの苗を育てている。 家の周りとか畑の周囲になるべくそれを増やしたいのだそうだ。 山は用材でなく雑木が一番だというのが二人の共通な感覚であるらしい。 秋には葉を落とし春に芽吹き、四季と共に色を変える山でなければお山らしくないというのが口癖だ。 そいつは良い事に御座いやす、されど苗を植えて見事な枝振りになるまで少々年月が要りやす、御自愛なさってそれまで長生きしとくれやす、と言ってやった。
 だが、いいトコあるではないか、さすがはこのオレ様を産み育ててくれた両親だわいと、ビールをがぶ飲みしつつ込み上げるほくそ笑いを隠せない。

とりとめなく思う

 東京で春一番が吹いたとされる。 この訪れは平年並みなのか、それともやや遅めなのか。 四季の移ろいは日々じわじわと確実なステップを踏むのではない。 季節が変わったかと思いきや、いきなり前の気候に戻ったり飛び越えて先を行くような気温になったりする。 そうやって彷徨きながら大筋で次第に変化を見せていく。 株価グラフのようなものだが、突如の大暴落はない。 それがあるとすれば小惑星の衝突だ。

 昨今の週間天気予報はけっこう当たる。 狭い範囲のピンポイント予報もありがたい。 しかしこの季節の変わり目だけは少々厄介。 いわゆる、気まぐれだ。 こちらが望む時間内だけ降らなければそれで良し、照ろうが曇ろうが、上から落ちてこなければいいとするものの、幾分神頼み的な作業を自らに強いることもしばしばだ。

 溶鉱炉の上に薄っ皮一枚の蓋をして、その上にへばり付いているのが地球上生物なのだから、なんとも物騒な一生には違いない。 宇宙ステーションを設け、月面に基地を造る、やがては火星の惑星改造だとする一方、自分達がへばり付いている天体さえ手に負えない自然界。 人類は深海のどこまでを知っているのか。 地球のマントルまで行って戻った者などいやしない。 つまりは紙風船の薄っぺらい表皮だけが我々の世界。 火山噴火も大地震も事前になんとか抑え込もうなどというのは、神でも仏でも無理な話だ。

 地震による被災を無くす事は出来ない。 災害規模が極力少なくて済むよう準備しておくだけだ。 一度それが起きてしまったならば、救える命を救うことに全力を挙げるしかない。 ニュージーランドへ急ぎ派遣された日本のレスキューは優秀だという。 御苦労はさることながら、なるべく多くの人命が救助されることを祈りたい。
 古き良き町並みを残す遺産保護と耐震の備えは両立させられないのだろうか。 そんなことはない。 我が国ではかなり前からそれに取り組んでいる。 第一、古い建造物に見る耐震構造には現在の我々が教わることの方が多かろう。

 昼夜貫徹で寝ずの救命作業が行われている同じ時刻、独裁者が自国民を虐殺している国もある。 戦闘機で空からぶっ放せというのだから無茶苦茶だ。 生物学上は同じ人類かもしれないが到底そうは思えず、ただ嘆かわしさだけが込み上げる。

この季節の雪

 犬は喜び庭駆け回り・・・という歌は、少なくともこの雪にあてはまらない。郵便物を手にして激しく降る雪の中をポストまで歩いて行った。なにもこの自分が出歩く時間に一生懸命降らんでもいいだろうと、苦々しく灰色の上空を見上げても仕方ない。黒っぽい身なりがあっという間に白くなってしまった。

 この季節、しかもこの南海の土地で降るそれはボタ雪でしかない。最初はみぞれだったので、こんなもの、濡れた上へ落ちてきたところでそのまま溶けて終わりだと軽視していたのだが、まだ真っ昼間だというのに気温は下がる一方で、道の上にも積もり始めた。この野郎、シャーベットのくせしぁがって一丁前に雪化粧屋を気取るのかい。

 これはかなわん、ますます激しく降ってきた。あまりの降りに視界も悪い。車道のクルマもライトを点灯させている。
 犬を連れた御婦人が寒そうに歩いていた。なにもこんなタイミングで散歩させにゃならんこともなかろうにと思うが、我が身を振り返れば他人様のことは言えぬ。
 重いくらいにボタボタ降り掛かる雪には犬も喜んでいそうでない。あの歌はもっと雪国のサラサラした積雪なのだろうと、薄いシャーベットに足跡を残してゆく寒そうな犬の尻を眺めていた。

 ただ、雪の降る日は世界が静かでいい。それに相手は所詮H2Oではないか。御苦労されていると聞く豪雪なら別だが、この程度なら明日には溶けて流れて乾いて終わりだ。 また降灰と噴石飛来でひどい目に遭われている方々を察すれば、なんとお気楽なことだろうか。

お茶、コーヒー、パン

 コーヒー豆が値上がりだというので、姑息でみみっちい自分は少し買い溜めとばかりに多めに買ってきた。いつも炒った豆をその都度ガリガリ挽くので、炒り豆を切らさぬようにしている。これの値が上がるのはちと困りものだ。

 だいたいロシアなんてのはジャム舐めながらお茶飲んでればいいんじゃないのか、中国だってあの茶壺にどぼどぼ溢れさせてお茶飲むのだろう、インドなんてのはそれこそ紅茶の本場ではないか、何が悲しくてコーヒーなんぞの需要が急増するのか、などと言ってはいけない。我が日本人も昔ほどお茶を飲まなくなったそうだ。

 ペットボトルや缶のお茶は買って飲むというのに、家庭でお茶を入れて飲む機会が確実に減っているらしい。緑茶にせよ焙じ茶にせよ、寿司屋のあがりに至るまであれはいいものだと思うのだが、妙なハンバーガーだとか菓子パン類を食べる頻度に応じて、日本茶の需要も昔ほどでなくなっていくのだろう。
 お茶は飯を食った後に口の中が掃除される気分になる。いきおい、お茶で口の中をぐちゅぐちゅやる人もたまに見掛ける。あれは人前ではよした方がいい。確かに渋いお茶の成分は歯ぐきなども引き締めて綺麗にしてくれるが、やるなら洗面所でやるべきだ。

 菓子パンの部類になるのかどうだか知らないが、ヤ○ザキの 「食べきりサイズのフランスパン」 というやつを気に入っている。近くのパン屋でバゲットをよく買うものの、できればその時に喰ってしまいたいのだ。ヤ○ザキのそれは量が丁度良い。しかも日本人好みに中身がもっちりさせてある。然るに、バリッとした表面感触を求める人には向かない。
 ある日、いつも行くスーパーの陳列棚からこいつが消えた。けしからん、実にけしからん。メーカーが作らなくなったのか、売れ行き芳しからずで置かなくしたのか判らないが、言語道断、横断歩道だと憤慨している。

大寒

 大寒の頃だけあって大気が冷たい。太平洋側は乾燥しきっているから洗濯物は乾きそうだが、潤いを欲しがる女性の肌にはあまり嬉しくない低湿度だ。 夏の収穫時にこれほど乾いていてくれれば楽でいいのにと愚痴りたくなる。

 各所で滝が凍り付いたとか、この厳寒で滝に打たれる行の様子などを見せられると、火のありがたさが身に浸みる。そういえば豆炭とか練炭の需要が少し増えているのだとか。最近は焚き火などさせてくれないから、表で火を焚いてその周りに人が集まるというコミュニケーションの場が無くなった。近所の者であれ通りすがりの者であれ、まぁおい、ちょいと温もっていけよ、という触れ合いが冬の風物詩だった。それから思えば寂しい話だし、火を扱うのは全てスイッチによる生活なので、我々は昔ほど上手に火を扱えなくなっているだろう。

 コンビニに入るとおでんの匂いが漂う。暖かい缶コーヒーの陳列前に立てば少しだけ熱が来る。おおこりゃあいいな、ゆるめのヒーターにならぁな、と両手をかざしていると隣のお嬢さんがニコリと笑う。けっこう美しきお嬢さん。手が冷たいですからねと、やや首を傾けた笑顔が女神に見える。それみろぃ、暖に浸ってればいいこともあらぁな。

 勘定払いながら、おい、こんだけ寒けりゃおでんも売れるんじゃないかい? と店のオバチャンに訊けば、それがね、寒すぎるとみんな寄り道しないで帰っちゃうし、年寄りの人も家から出て来ないんだよ、と小声の嘆き節。 なるほど、それはそうだ。

えべっさん

 無風快晴。これはいい、土壌改良材を撒くに最適だ。なに、ややこしい話ではない、ペーハー調整が主たる目的だ。
 真冬ながら汗を掻く陽気。日もめっきり長くなった。夕陽を浴びながら野良から帰途に就く時間は、夏冬問わずに好きである。今は夏のようにヒグラシが鳴いてくれないから風情はまるっきり異なるが、沈みかけの陽に紅く染まる葉のない雑木林もオツなものだ。

 近所の田の稗付近をイノシシがほじくり回した跡が見受けられる。沢ガニが目的なのだろうと人々は言う。あれのまだ幼いヤツは唐揚げにするとビールの摘みにはなるから、それはシシとて喰いたかろう。

 毎年の自分の行事で、十日えびすの宵えびすに行って福笹を買ってきた。甘酒を振る舞ってくれていたので、もう一杯くれと頼んで都合3杯も戴いてきた。ショウガの利きが良くて暖まる。寒いけれども、年の初めであるなと実感する。

 今日の夜遅くなって、舛成孝二、倉田英之の 『かみちゅ!』 がNHKで始まった。BS-hi でないのがちと気に入らないものの、この民放作品を流用したのには充分な合格点。弁天さんはメジャーバンドで登場するが、えべっさんは何かのエピソードに絡まっていたかなと上目遣いで想い出して見るも記憶にない。この度の再放送でそれとなく気にとめながら楽しむことにしよう。