鳥居のお話





身近な存在


 神社にある「鳥居」は一体何なのでしょうか? お寺の門のようなものなので しょうか? それにしても、あれは独特の形で(実にシンプルですが)、何処に行って も見ることが出来ます。
 「門」と云うよりも、旗印・シンボルと云いますか、ここは神社なのですよと いう標示の意味の方も強いように思えます。外国の人はどのような感じを持たれるの でしょうね? 一度じっくり訊いてみたい気もします。
 何かの拍子に改めて考えてみる事でもしない限り、鳥居は私達には至極当たり前 の存在のようです。朱いのやら煤ぼけたのやら、木製のものやら石造りのもの、果ては メタルのキンキラキンの鳥居までありますが、そこにあって当然、無ければおかしい ものには違いありません。形に於いても、構えの基本というものがあるもののデザイン ヴァリエーションが豊富で、設置のされ方も総てに統一されている訳ではありません。


 いささか品の無い話ですが、その昔、まだ我国に「立ち小便」なる振る舞いが 日常茶飯事で横行していた頃、家々の塀や垣根の脇に「小便するな」という張り紙や 粗末な手製の看板が数多くありまして、それには必ずといってよいほど鳥居の絵が描 かれていました。いくら何でも“お鳥居”に向かって放尿出来まいという禁止措置でも ありましょうし、もしもかような行為に及んだ暁には天罰下りて貴殿の〇〇が根元から 腐り落ちようぞ、という警告をも込めているようで、微笑ましいものではありました。
 (某VANの某OFFで名古屋に行った際、何年かぶりにその張り紙を見ることが 出来まして、勿論、しっかりと鳥居の絵が描かれておりました。^^: )




 ひとつ云える事は、私達は鳥居そのものを潜って神社に立ち入る訳ですから 門の意味もあるのでしょうが、その位置は少なからず境界には違いありません。 即ち、神聖なる神様の場所と俗界とのパーテーションの意味を持ちます。
 だからと云って、選ばれし者以外は立ち入ってはいけないということはありませんね。 賽銭泥棒なんぞというよからぬ輩が後を絶ちませんし、困ったものです。まあ、かような 悪党はろくな死に方をしないだろうとは思いますけれども。


 設置のされ方が様々だというのは、例えば、神社への参道入口にある鳥居と 社殿入口の鳥居が全く形式の異なる場合があります。同じ神社でも鳥居の形が上と 下とでは違っているのですね。神社によっては鳥居の無いところもありますし、 鳥居はあるが社殿そのものが無いというのもあります。また、参道に延々と小鳥居が トンネル状に並んでいるのもあれば、厳島神社の様な海上鳥居もあります。
 鳥居が古くなったので建て替えましょう、という話が出たとします。ここで 面白いのが、新しい鳥居がそれまでの鳥居と同様式かというと、あながちそうでも ないのですね。銭はあるので今度はもうちっと大きくて派手なものにしましょうや、 とか、そうだそうだ、あっちの神社に負けちゃいけねえや、この際いっそのこと 笠木の縁に金箔でも張りやしょう、とか、今年は不作だもんでとりあえず間伐材でも皮剥いて こしらえておくべえ、とかいうことになってきたのが史実のようです。 何と申しましょうか、まあ、およそ神事とはかけ離れた無頓着な歴史が鳥居形式の 多様さに拍車をかけたようでもあります。これでは同じ神社内でも鳥居の形が異なって いるのは当たり前と申せましょう。
 「立ち小便禁止」の張り紙に登場するほどに我々民百姓の身近な存在ですが、 それ故に、神の神殿とは全く異なる受け入れられ方をしてきたのが「鳥居」である ような気がしてなりません。







鳥居の形


 例えばここで、鳥居は「門」であるとしますと、建築様式の中からその 骨組みだけを表した形ではありますね。実にシンプルです。二本の「柱」に 「笠木」が付いて、その下に「貫」という横置き部材があるのはいかにも我国らしい 構造でしょう。しかし、中国や朝鮮半島、更にインド、タイ辺りの「門」が鳥居の 原型ではないかという説もあるらしく、出生場所については飛び抜けて有力なものは 無さそうです。
 「門」ではなく、「補強材」という形にも見る事が出来ます。そうしますと、 昔の横穴掘りに使われた崩落止めの形そのものでもありますね。  この鳥居の形は現在でも何かにつけ、「鳥居型〇〇」などという風に云われます様に、 かなり古くから「鳥居」という言葉があって、それに似たものを 「鳥居に似ているから・・」という意味で表す事が多いようです。「鳥居」の他に、


 鳥井 鶏井 神門 天門 額木 ・・・・・


等々、様々な表記の仕方があるところからも、古くからあるものという一片が 窺えます。


 右に実に大雑把な大別二種類の鳥居の絵を描いてみました。  上の鳥居はいわゆる「神社マーク」そのものでして、概ね木で造られていますので 大型鳥居にはこの形は少なく、木の皮を剥いだだけの、いわゆる白木の鳥居にこの形が 多いです。二本柱の上に「笠木」が乗って、中に一本の「貫」が通されているだけの 実にシンプルな構造です。柱の「ころび」(傾きのことですが)も少なく、殆ど直立に 見えます。この絵では「貫」部材は柱を貫いて突き出ていますが、左右に突き出さない ものもあります。材料は殆ど加工しない丸太材ですが、「貫」だけは厚板断面になって いるものが多いですね。


 下の鳥居は上に比べますと何やら賑やかになっています。まず、笠木が二重に なっていますね。これは、二段重ねの上の部材が「笠木」でして、下になっているのが 「島木」と呼ばれるものです。更に、これ等の部材は左右に反り上がっていまして、 この反り代を「反増」(そりまし)と云います。「笠木」の断面は五角形をなしており、 棟の様です。「貫」が柱を貫く部分には「楔」(くさび)が取り付けられていますが、 構造的な必要性の他にデザインの意味が大きいと思われます。
 「島木」と「貫」の間には「額束」(がくづか)があり、神社名などが表記 されています。柱の「ころび」ははっきりしていて、土中埋め込みもあれば、 「亀腹」(かめばら)などと呼ばれる台石の上に建て込まれているものもあります。 一般の建築屋さんなどはこの「亀腹」のような台を「饅頭」と呼ぶそうですが。


 一瞥して云えることは、下図の鳥居の方が部材が多く、仏教建築の様式を湛えて いるところから、鳥居形式としては上図の鳥居の方がはるかに原始的で古いのではない だろうかということです。しかし、そもそも鳥居は下図の様なものであって、 上図はそのデフォルメの一つに過ぎないという考えもあります。 実際にあちらこちら見て歩きますと、下図の形式は部材の多い分だけ比例して 多様になっていまして、大きな神社などは殆どこの下図の系統のデザインであるようです。
 鳥居のルーツが中国やインドではないかという諸説は、おそらくこの下図の 様な仏教様式をクローズアップしての説ではないかと思われます。
 高野山などに行きますと武家の墓が沢山あるのですが、高さ4〜5mもある 真言密教の五輪卒塔婆がある墓所の、その墓所入口に鳥居が設けられている墓が幾つか あります。最初は少々奇異な感じを受けまして戸惑いもしましたが、 それは真言密教の霊場・高野山という場所柄に加えて、我国では大変多い 「墓イコール仏教」という概念から来るものに他ならず、 神式募陵には鳥居があるのですから、神仏習合の歴史がある以上、高野の墓に鳥居があっても 何ら不思議なことではないのですね。
 伊勢神宮や鹿島神宮などでは大鳥居ながら上図の如くシンプルな方ですし、 仏教様式の含まれるものからシンプルなものにアレンジされていったとはどうにも 考え難いですね。仏教伝来以前に鳥居は無かったとも思えず、やはり、仏教伝来と 神仏習合がそれまでの鳥居を変えていったと考えるのが自然ではないでしょうか。







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