九字のお話


臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前



 その昔、忍者達が用いた呪法としても有名ですね。今でも修験道の行者が山に 入った時や密教護摩を焚く時等に用います。邪なものを払いのける呪法で、 勿論「悪霊退散」の場合には最適でしょう。“呪法”なんぞと、その聞こえは おどろおどろしくて、やや不気味でもありますが、一種の自己暗示法、 自己催眠術という効用もあるような気がします。

 ルーツは中国・道教と云われており、古くは「抱朴子」第4篇に出てくる そうで、無論、私などはそれを読んだこともありませんが、九つの文字、 「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・行」、いわゆる「九字」なのですね。 それを道士達が山に入る時の魔除けの呪文としたのだそうです。因みに、 道教でいうところの“道士”というのは仏教の“僧侶”に当たります。 また、この「抱朴子」第17篇には入山心得などが書かれていて、 そこにも九字が登場するそうです。道教の道士達はおそらく数ある名山で 修行したのでしょうね。当時の兵法家もこの「九字」を用いました。
 この「九字」は日本に伝わり、密教や修験道などに取り入れられて、 その儀法も他の呪法や密教の印契と組み合わされて幾つかのヴァリエー ションを持ちます。

 私の昔のノートをペラペラ捲ってみます。これがなかなか、時に調法。 人間は忘れる動物ですから、こういうものは大事に取っておかねばなり ません・・・・^^;)
 お断りしておきますが、私は別につのだじろうのファンでもなければ、 心霊や魔術に興味を持っているのでもありません。強いて何かをこじつける ならば、私の義兄が真言密教のお寺の息子さんであるという程度です。^^;)ハハ…





 「九字」が中国の戦乱の中で兵法として用いられたくらいですから、 密教の呪法などは他国との戦いの際、大がかりに使われた歴史が我国 にもあります。最大の怨敵調伏ですね。もしも封印されていなくて現代 にも用いられているならば、噂される米国の精神兵器なんぞ問題では ありません。そういえば、武神・毘沙門天を信仰して有名なのが上杉謙信 でしたね。

 密教修法ではその目的を別としたいくつかの修法があります。

1.息災法
   外的な災難・障害や煩悩・罪障などを除去します。

2.増益(そうやく)法
   世間的な幸福や修行上の徳を増進させるものです。

3.調伏(ちょうぶく、又は、じょうぶく)法
   怨敵からの災難打破や自己・他人の煩悩を打破ります。
   降伏(ごうぶく)法、破壊法、折伏(しゃくぶく)法とも云います。

この三つを「三種法」と云います。また、

4.敬愛(きようあい)法
   親睦や人々の敬愛を得るためのものです。
   慶愛法とも云います。

を加えて「四種法」といい、更に、この敬愛法から独立させた、

5.鉤招(こうちょう)法
   迷える者を引き寄せて、悟りへ導きます。

を加えて「五種法」とも云います。そして更に更に、増益法からも独立させた、

6.延命法
   長寿・延命を祈るものです。

を加えて「六種法」とも云います。

 これ等の修法はインドのヴェーダ文献にもあるのだそうで、密教でも目的の 区別の為に上の「〇種法」などと用いられてはいますが、要は、世間的な願望達成 の目的と成仏の為の修行法としての祈祷という意義が大きいのですね。ここでの 「成仏」というのは別に「死んで安らかに成仏」という意味ではありません。 成仏というのは・・・・・、えー、これは話が逸れますのでここでは止めます。^^;)
 これ等の修法は目的に応じて、壇とか護摩の形や向かう方角、始める時刻などに 規定があります。例えば、息災法では、北に向かって白い円形の壇とか護摩炉を 設け、始める時刻は日没後。修行者は白い衣と袈裟を着るのが正式とされています。

 「九字」は護身第一のものですが、邪なものから身を守りつつそれを退散 せしめるという意味では調伏のものでもあります。その調伏法ですが、 密教調伏法は、己や他人の煩悩を打ち消すものでもあり、憑きものを除去したり 防護したりする傍ら、降伏法などとも云われるが如く敵意を持つものに対する “攻め”の部分をも持ち得た呪法でもあるのですね。火野レイ・セーラーマーズは、 やはり闘いの戦士、というところでしょうか。
 密教調伏法の基本は護摩手法でして、忿怒な面相の五大明王を崇拝の対象 とする「五壇法」というのがその代表です。五大明王とは、不動明王、軍茶利明王、 降三世明王、大威徳明王、金剛夜叉明王を指します。やや背筋が涼しくなって きますね。
 普通は息災法が多く、偶に増益法、敬愛法も行われるそうですが、調伏法は 障害もあるのであまり行われないそうです。つまり、調伏法とはそれだけ物騒 な呪術でもある訳です。

 修験道では密教調伏法の他に「九字法」「金縛法」「摩利支天鞭法」「封じ込法」 などがあります。修験道でも、禅を組む様に自らの心身を固め、人々に敵意を持つ ものを降伏させるのですね。

九字法
 いわゆる「九字」の印契を結び「九字」を切ります。その修験山や修法により、 「九字の大事」や「六甲秘呪」などとも云われます。

金縛法
 代表的なものは「大聖不動明王金縛秘法」で、印や呪いにより悪霊を金縛りに します。やはり五大明王を崇拝対象とし、不動明王と同化し、三十六童子、 八大童子に悪霊を絡め取らせます。

摩利支天鞭法(まりしてんむちほう)
 怨敵の名前を書いた紙を鞭で叩きます。一般人の目には異様な光景でしょうね。

封じ込法
 人形に怨敵の名前を書いて竹筒などに封じ込めてしまいます。

 修験道での「九字」は、山岳や手法によって異なりますが、主として摩利支天を 本尊として行います。九つの文字の印を結んだ後、九字を唱えながら刀印で 一般的には横五、縦四の空を切ります。これを「九字を切る」と云うのですね。


 また、この様に切られた空の形を(この碁盤目のことですが)「九字の紋」と 云います。この九字紋の切り方にもヴァリエーションがあるようです。 火野レイの場合、「刀印」は見られませんし、この「九字の紋」を切る手法は 用いませんので、「九字を切る」という表現は適切でないとも云えます。 ただ、彼女が悪霊退散のお札を懐から取り出して怨敵に張り付ける指使いは 「刀印」そのものです。さすがですね。

 印の結び方も修験山によって多少の違いがあるように、忍者も流派に よっては印の形が異なっていた可能性が無いとも云えません。「九字」の 九文字にはそれぞれ神格がありますが、修験道ではそれこそ山によって区々です。 それは不動や観音であったり、五大明王、四天王であったり、方位神を組み 合わせたものであったりします。「セーラームーン・S 第105話」 に登場した角錐さんは修験道者なのか何なのか定かでありませんが、修行の身 であることは確かですね。

 忍者の場合は更に独特の意味合いを持たせていたかもしれません。 自己催眠術としての効用目的が大ではなかったろうかと考えています。 忍者というのは現代の自衛隊特殊工作員、内閣調査室の諜報員、 産業スパイのようなものですから、真正面から敵と闘いに行くのが本来の 任務ではないのですね。最新鋭偵察機の様に敵と対峙せずに目的を達せられるのが 最も効率良い働きな訳です。これから忍びに入る、又は、窮地に陥った場面で 自らの気配を隠す、といった場合に、まず己を“無”にして余計なオーラを 消さねばなりません。“忍術”というのは忍者の呪術を指すのではないでしょうか。 マンガにも忍者が九字の印を結んだり切ったりする場面が出てきます。 敵に呪術をかける行為によって自身を落ち着かせる、そういう意味合いが 大きいのではなかったでしょうか。
 忍術使いが「ドロン、パッ!」とやると煙がモクモク・・・などという シーンが昔から描かれますが、あの時の「印」は火野レイ演ずるところの 「智拳印」に似ていますね。あ、「智拳印」というのはレイちゃんの「烈」です。^^;)

 印(印契)はテレビアニメの火野レイ様御登場によって九字と共に一躍一般人に その一部を披露されることとなりましたが、本来は 「知られざる世界」 のものではあります。
 まず、仏像というものを見ますと、その手先は何らかの印を結んでいますね。 美術館などの仏像・仏画をよく見てみると、それら如来や菩薩は姿形が異なるように 手先の印や手に持っている物が違います。因みに、上述の「智拳印」は大日如来ですね。
 この様に、如来や菩薩の区別には判り易いサインではありますが、基本的に、それら 仏、菩薩の悟りを表現するものであると云われます。また、印契の本質は宇宙精神の シンボルとも云われます。修行僧が印を結んでメディテイションする時はその仏、菩薩の 悟りの境地と己自身を融合させるべく精神を高めるのですね。
 元々は古代インドが生み出したものではなかろうかと云われています。バラモン、 ヒンドゥー、そして密教の修法などに用いられて今日に至ります。ですから、この印契という ものは文化の中でもけっこう表に出て来てはいます。良い例が、東南アジアなどに見られる 「舞い」の手先でしょう。その表現法たるものは手先に集約されていると云っても過言ではありません。 また、舞う際には手先の形、動きが最も難しいという話を聞きます。
 印契は、ともすれば宇宙にも影響を与える程のポテンシャルパワーを秘めているものと されていて、それ故、みだりに公開されるべきものではないとされます。人の目に触れない ように警戒されているものでもあります。従いまして、ある一定の段階まで過酷な修行を 積んだ以外の人は真似事などしてはいけないと云われていますね。真似事をしたとしても、 その段階まで清浄なる精神を高めていない者では何の効力もありません。おそらく印契の 指使いすら出来ず、ウロウロしている間に妖魔にしてやられるのがオチでしょう。^^;)
 コスプレの類はどんどんおやり下さい。あれは良いです。^^;^^;^^;^^;^^;

 巫女さんに九字の心得があるというのは、神社巫女ではまず珍しいことでは ないでしょうか。巫女と九字を関連付けるものとしては、どうしても修験道・山伏 という存在がちらつきますね。神社巫女ではない「イタコ」、つまり「イダッコさん」 と呼ばれる人達ですが、彼女達は山伏の様な人々から最初に「九字」を教わるとも聞きます。 その昔、密教修行僧や修験道者は山中の神社を利用しました。これらのことは神仏習合の ほんの一部分の出来事です。火野レイの御先祖様はそのようにして九字を取り入れて いったのかもしれません。

 いずれにせよ、火野レイ様は生来霊感の強い子供であったのには相違ありませんが、 それにしても、更に磨きをかけるべく修行を怠らなかったに違いありません。 妖魔ジジに追い掛けられるドタバタの中ながらも、九字により祖父のSOSを悟る その精神集中の凄さは並大抵のものではありません。^^;
 うさぎちゃんに出会ってからは、その体内に潜んでいた 「カセコレ症候群」とでも称すべき病のウィルス が活性化し、あまり修行する場面がありませんが、 それまでは子供ながらにもおそらく壮絶な修行の日々であったのでしょう。^^;)   従いまして、「セーラームーン・R 第67話」では南の島に修行に行ったとされ、 尚且つ、海岸での修行らしき巫女姿もありましたが、 ありゃあやっぱりバカンス目的以外何ものでもないでしょう。 何故ならば、彼女の体内がそのウィルスに占領 され始めてから、既に当時は一年半程経っていたのですから。^^;)






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