きん注焼きそばパン






  「きんぎょ注意報!」の「焼きそばパン」について、それに作者の自虐を見るのか、 嘲笑と受け取るのか、又は血の叫びを感ずるのか、それは様々であるに違いありません。
 ただ、確実に云える事は、作者猫部ねこの意図したものに関わらず、きん注に於ける 焼きそばパンは作品中の要所に於いて見事な効果を生んでいることは確かでしょう。




  元々、この作品の軸なるものは「田舎」に対する「都会」、更に異なる軸の「富豪」と「庶民」 であります。授けられた「富」なるが故の「驕り」「固執」「利己」、そして「飽食」。生まれながらの 「庶民」なるが故の「野性」「奔放」「共闘」、そして「習慣・伝承」。ただでさえこの対比は非現実的な 面白さを含んでいますが、加えることに「イナ中」という田舎ならではの文化・習慣を背景に据え、 更なる笑いを誘います。これら混然たる渦中でドタバタ・ワイワイの物語は展開されるのです。
 富豪がその圧倒的な金権力をもって庶民の上に立つという縮図がここにもありますが、 藤ノ宮千歳というキャラクターのユニークさのひとつは、己の意志に反して、富豪でありながら 庶民の中に加わらねばならない立場にあるでしょう。

 舞台は廃校寸前のとある田舎の中学校。そこに、いかにも上流階級で育まれたかの如き 美少女が倒れ込みます。作者の意図はあくまでも田舎の中学校を主としているかの趣ながら、 その実、物語の主観点はあくまでも千歳にあります。つまり、貧乏学校の一生徒たるわぴこが メインキャラであるかの如く後押ししつつも、この時点では作者は千歳の中に主観点を置きたい のです。これは、云い代えれば、作者の主観は千歳であってわぴこではないのです。
 この冒頭に於ける、わぴこを外視した千歳中心の展開がこの作品の特徴的なプロローグでしょう。

 金持ちが単なる酔狂や営利拡大の為にイナ中を再興したのではありません。高処から一挙に 奈落に突き落とされた者だけが抱ける再興意欲、即ち、復讐にも似た巻き返しの反骨魂そのものを 我々は千歳の中に見出すことが出来ます。
 もっとも、千歳の場合は全てを失い、「小公女セーラ」の如き状況下にありはしたものの、 遺産を手中にするや素早い変わり身。元々が蝶よ花よと育まれた我が儘な御嬢様であり、 ともすれば貧民の上に君臨するという悪しき帝王学を先代から受け継いでいたのやもしれません。 ただ、彼女にとって最大の不幸は、統治する人民から巻き上げようにも、巻き上げる年貢を 納められるような民ではなかった、いや、それ以前に、統治された経験すらない民であったという 事でしょうか。

 以上のプロローグによって、この物語は極めて牧歌的で平和なルーティーンにありながら、 金持ち同士の威張り合い、他愛ない意地の張り合いと、それに追随出来無い別世界の「異文化」 であり「庶民」なるイナ中生徒達との奇妙なトライアングルを描き出すのであります。

 この作品のひとつの軸は「富豪」と「庶民」。それだけでは何ら面白くも可笑しくもありません。 その狭間に位置する者が必要です。上述の如く、それは他ならぬ我等が藤ノ宮千歳その人であります。
 彼女をその狭間に浮遊させるのは、イナ中という環境、そしてわぴこを始め生徒達や校長であり、 自身の放蕩浪費性癖です。千歳の描く理想の学園像、それは新入生入学説明会をもって見事に崩れ去ります。 更に、牛小屋、豚小屋などを許可せざるを得ず、わぴこを生徒会役員に組み込まねばならなくなります。 ここに、藤ノ宮千歳は最初の挫折と敗北を舐めるに至り、「異文化」、「庶民」との狭間に浮遊し始めるのです。

 創設者であり理事長でありながら学園を思うように統治出来無いそのジレンマがそこにあります。
 原作とアニメで異なりを見い出そうとするならばこの点ではないかと私は感じております。 原作ではアニメ程この千歳のジレンマを強調してはおりません。この作品も、原作とアニメは僅かな 時間差に於けるほぼ同時進行形態であったと記憶していますが、アニメスタッフによるアレンジが多分に 効いてはしないでしょうか。例えそうではないとしても、アニメファンの反応が以降の道標となって いったのは否めぬところであります。
 千歳の的外れな上流校嗜好に対して旧態継続固持の生徒達。この微笑ましくも可笑しいバトルが、 さながら水戸黄門の印籠が如くアニメに於ける毎週の見応えであったことは周知の事実でありましょう。

 千歳がイナ中生徒達に翻弄される姿の可笑しさは、イナ中にとっての変凡な日常に於ける異質なもの、 突拍子もない世界の出現に他ならないでしょう。イナ中に異文化を強制するあまり、そこに生ずるものは 結果として漫才の「ボケ」であり、イナ中既存文化が超常識的な事は確かながらも、観客の主観点は ここに至って完全なまでに旧イナ中側に移行するのであります。

 千歳を翻弄させる媒体として登場するのがあの「焼きそばパン」や「銭湯」や「大根掘り」、「遠足」 などでしょう。
 庶民の憩いの場、銭湯につきましては、「湯上がりに、腰に手を当ててフルーツ牛乳を飲むわ」 という千歳のセリフがあるように、彼女は僅かながらも、いや相当に、銭湯に対する知識やマニアックな 迄の風俗習慣を理解していたと考察すべきであり、それは決して未知なるものではなかったに相違 ありません。
 しかし、焼きそばパンについては、その形状と構成要素についての見聞きはしていたものの、 彼女はおそらくそれ以上の知識は無かったものと思われます。




 焼きそばパンという小物は、この作品に於ける猫部ねこの傑作です。単純に「校内の購買で 売っているパン」ではなく、「焼きそばパン」という、その名称からしておぞましい、見事な食品 アイテムでしょう。
 何やらパン屋さんからカミソリを送られそうです故、御断り申し上げておきますが、 私はパンという食品を否定するつもりは毛頭御座いません。私はむしろ、乾パンなどは餅と 双璧の最良な保存食品であると信じて疑わないものであります。
 きん注に於いては、この様な庶民的なもの、庶民性そのものがプチブル的な千歳の 対極に置かれ、それらが彼女を翻弄せしめる恰好な材料であり、極めつけが焼きそばパンで あるだけのことであります。

 ただ、焼きそばパンは、あんパン、クリームパン、メロンパンなどに比べて異端のものでは ないかという気がします。サンドイッチやバーガーなどはそれはそれは色んな物を挟み込んでは おりますし、ロールパンの中でもけったいな食物を挟み込む試みが常に成されているようですが、 調理したてのホットな焼きそばは単品で喰って旨いものではあれど、冷め切って固結し、 パンの中にてんこ盛りにぎゅうぎゅう押し込まれたそれは、外身のパンと一口に喰ったところで 焼きそばの味わいなどないのではないかと思うのですが、如何なものでしょうか。無論、 これは私の好き嫌いによるものであって、焼きそばパン愛好家の皆様にはお叱りを覚悟しての お話ではありますが。

 先頃、久しぶりに喰ってみようと買ってきたまでは良いが、手にとってしげしげと眺めるに 何とも形容し難い悪寒を覚え、口に運ぶまでにいささかの時間を費やしてしまいました。 一口頬張って稲妻の如き後悔の念に嘖まれ、二口目からはボロボロと涙を流し、泣きながら 喰ったのであります。私を拷問するならば、焼きそばパンを喰わせるのが最も効果的であろうと 思われます。ただ、私は苦悶に意識の遠のく中、微かに幻覚を垣間見たのであります。 これは、焼きたての、鉄板から掬い上げて間もない焼きそばを挟んで喰うならば、もしかして、 う、旨いのかもしれ・・・・ない・・・が・・・・・。
 私がきん注という作品を好む理由のひとつは、実は私自身が焼きそばパンを好きではなく、 喰う事すら出来無いところにあるのです。

 話はやや逸れてしまいましたが、庶民の食べ物として「きん注」で取り上げるに何故あんパンや メロンパンでは面白くないのでありましょうか。
 まずひとつは、焼きそばパンはあんパンやメロンパン程メジャーになり得なかったという 事実です。そのパンの相手役に藤ノ宮千歳という富豪の御嬢様が居る以上、あんパンやメロンパン では話題性、斬新さに乏しく、それらは既に社会認知されて有名過ぎるのであります。
 パンの中でゲテモノとまでは云われず、極右の庶民性を保有しつつも異端の匂いを放ち、 高級感とはほど遠いながらも、れっきとした異種の料理を添付させているという同種相対的優越感を 含むパン。それが焼きそばパンなのであり、これぞきん注で採用されてセンセーショナルなまでに 物議を醸した所以なのであります。
 更に、その名称の語呂がまことにユニークです。「焼きそばパン!」・・・・おお、何という おぞましくも珍妙で品の無い響きでありましょうか。焼きそばパンについて一切の知識を持たぬ 人間が初めてこの名を聞いた時、どのような連想を抱くでしょう。焼きそばとパン、焼きそばとパン、 焼きそばとパン・・・・・・。おそらくその人はかような呟きを続けながら川辺に座り込み、 せせらぎの水面を延々と眺め続けることでありましょう。

 きん注スタッフはこの焼きそばパンをイナ中のステイタスシンボルにまで押し上げます。 逆に申せば、焼きそばパンを喰わぬ者はイナ中生徒ではないのであります。第6話の前半では 「焼きそばパンを守れ!」と題して理事長千歳と生徒達は真っ向から対立します。 「焼きそばパン禁止令」に対する「喰わせろ闘争」です。きん注に於けるストーリー展開の大原則は このような「愛すべき闘争」であり、他にも遠足、バレンタインチョコ、銭湯、盆踊り、避難訓練大会など、 数え上げればきりがありません。
 名門御嬢様学校の購買では昼食といえばクロワッサンサンドなんぞを注文していたらしい 千歳であるが故に、焼きそばパンに殺到する生徒達に対し即座に「焼きそばパン禁止令」を発令します。 「理事長めーれーよ! いーわねっ!」という徹底弾圧の構えを示す垂れ幕をでかでかと広げるので あります。
 所持品検査まで強制された生徒達の間で、やがてヤミの焼きそばパンが出回ります。 このヤミパンが、今や伝説となりつつある「不良牛の1,000円パン」です。
 お約束の如く、最後には千歳が負けて自分もかぶりついてみるのですが、けっこう美味しい という評価を彼女は与えるに至ります。ここでも千歳はイナ中文化に浸食されてゆくのです。




 彼女のしたたかさは、このステイタスシンボルを逆手に取る行為に見られます。この焼きそばパン 闘争以降、彼女は事ある毎にこのパンを巧みに利用するのであります。葵や不良牛に対する取引き、 或いは生徒達の扇動にと、見事なまでにそれは功を奏します。
 見方を少し変えれば、きん注に於ける「焼きそばパンの存在」とは、一貫してイナ中の ステイタスシンボルであり、生徒達の日常必需品としての重要性を保ちながら、「喰わせろ闘争」では 主人公に押し上げられ、やがて千歳によって「釣り餌」役までこなさねばならないのであります。 八面六臂の活躍と申せましょう。






主な登場人物と動物達 遠足に行きた〜い!! これが〇〇だ!
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