愛すべき「きん注」





ドタバタだけれど
 賑やかというよりも大人の目には喧しいだけのものに映る作品がけっこう多く、本来私はドタバタは 好きではありません。「きん注」を観るようになりましたのは、原作の絵とキャラクター デザインが好みでしたし、各々キャラクターがいいのですね〜。(^^)v わぴこがメイン なのでしょうが、千歳のキャラが非常にインパクトを与えます。「二頭立て」という趣 ですね。むしろ、千歳の方がわぴこを喰ってしまっているようにも思えますが。  セーラームーンを始め、他の作品でもデフォルメは結構重要なアクセントを担います。 この「きん注」の場合はそれそのものが作品の屋台骨でもあるでしょう。「猫部ねこ」と 「入好さとる」のセンスが光ります。^^;
 多くのマンガがそうであるように、この「猫部ねこ」による原作も途中から画風が変わ っています。コミックス版で云うところの第3巻第8話辺りから変化していますね。私は 当初のわぴこの方が好きなのですが・・・・。いきなり変わっているところから、原作者 の身の上に何があったのでしょうか? ^^;) 因みに、「一色まこと」の「出直しといで!」 の場合は作者が身体を壊して長期休載した為、再開時はまるで別人の絵でしたね。セーラー ムーン原作に於きましては初期の火野レイ絵が美人でいいです〜。 あ、ついでに、宮崎駿の 「耳をすませば」に登場する雫ちゃんなどは「柊あおい」の原作絵の方が好みです。(^^;)


貧乏校と金持ち校
 猫部さんは静岡の何処の御出身かは存じません。豊橋のちくわ、 名古屋のういろう、更には舘山寺パルが出てくるところから、おそらく浜松、 又はその周辺静岡県西部なのでしょう。^^; けっこう面白い人なのでは ないかとお見受けします。きん注を支える舞台として先ず冒頭に表されるのが、貧乏な 田舎の学校と都会の金持ち学校という両極です。設定時に特に意識はされていないとは 思うものの、環境を逆にして田舎の金持ち学校と都会の貧乏学校という風に設定すると 何かしっくりこないですね。我々の中には未だ高度成長時代やバブル景気時の都会への 夢がどこかに温存されていて、都会には金持ちがいっぱい居るのだという妙な概念の呪 縛から逃れ得ないでいるのでしょうか。私の知る限り、地域によっては今では田舎の方 がお金持ちがはるかに多いと思うのですが。^^;  また、金持ち学校というのは概ね市 街地を避けた空気の良い風光明媚な場所に建てそうなものです。
 面白いのが、イナ中は牛まで飼っている学校の割にはさほど街中から離れていないで すね。裏山は森林ですが、ちょっと学校を抜け出せば街並みが窺えますし、喫茶店も近 くにあるようです。田舎なのでしょうが牧場経営の出来るほど高地でもなく街の生活に も密着しています。中学校にはこの様な環境が良いのではないかという原作者の夢であ るのか、はたまた、実際に原作者はこの様な場所に於ける中学校に通ってらっしゃった のか、いずれかだろうと想像するところです。


きん注とせらむん無印
 「きん注」放映時、ビデオ録画するような裕福な環境ではなく、ハマるというような 状態でもなかったので、リアルタイムで、しかも酷い歯抜け状態でしか観ていません。 ずいぶんと後になってレンタル屋さんで借りてきて観直したような次第ですので、当時 はスタッフにどのような人々が関わっていたのかもまるで知りません。ただ、底抜けに 笑えますし、何となくほのぼのとした感触が残るのですねえ。どうあれ、何年かぶりに テレビアニメというものにハメてくれた作品がこの「きんぎょ注意報!」です。 今から思えば、あの辺りで既に佐藤順一の術中に陥れられたのかもしれません。^^;
 その様な訳で、例えば、有澤孝紀がそもそも「きん注」の音楽担当者であるというこ とすら知らず、嬉々としてセーラームーンを観続けている私の姿がそこにあったのです。^^;
  セーラームーンの「無印」、「R」に使われている音楽は基本的にこの「きん注」 のアレンジが主体でしょう。殊に「無印」ではきん注そのものといった音楽が多いです。 これは、せらむん無印にきん注路線というベースが存在したことのひとつの顕れでもあ りましょう。
 シリーズディレクター・佐藤順一自らが演出する作はやはりひと味違います。第22話 に見られる千歳のシーンなどには思わず手を打ってしまいますね。幾原邦彦も度々手掛 けていますが、彼の場合、幾原ならではという味を醸すのはやはりセーラームーン時代 に入ってからだろうという印象です。しかし、第4話「恋するタカピー」の中で、タカピー の妹・智恵子にボケをかます千歳の「保健室よ・・・」の“間”の取り方や静止状態の コンテには、幾原らしいユーモアが既に表されていますね。
 一連の動画の中での静止状態の数秒間という手法は様々な効果を与えてくれますが、 きん注に於いては笑いを取る目的の場面がさすがに多いです。その中でも幾原邦彦による 静止は他の演出家とはちょっと違いますね。人物のレイアウト・構図に於いてその場その場で 独特のものがあります。絵コンテの段階で決められてゆくのだろうとは思うのですが、 あの様なところで“止メ”を入れるとああなるのか、というちょっとした驚きがあります。






諄くない
 「街と自然・動物と人間との共存」であるとか「詰め込み教育に対する提言」である とか、やたら難しいテーマを掲げていたのではないと思いますが、今の日本の現状を生 きている者の潜在意識を甘美に擽る部分の存在は認められるところでしょう。
 我が部屋の装飾にばかりお金をかける薄っぺらな顕示欲の大金持ちお嬢様に対して、 焼きそばパンを後生大事に死守する生徒達には頷けるところがありますし、私欲のみに 走り金持ち生徒会長の召使いとなったタダ飯食らいの田中山などは、社会暗部と恥部の 有様をやや垣間見る思いでさえあります。イナ中生徒達が野草を自ら調理して食するくだりは夢 見る大人達から絶賛の拍手を浴びそうですし、ウシ美の書いた恋文を訳無くスラスラと 読めるわぴこには世界中の動物愛護団体から激励と感動の電報が舞い込んでもおかしく はありません。
 小難しい顔をした偉い評論家もどきがこの様な作品を作ったならば、苦みの目立つ 問題提起作になってしまったかもしれませんね。^^; 少女マンガのドタバタコメディである ところが良いです。それを佐藤順一とその一派が料理した訳ですが、快調に流れゆく 映像では当然ながら観る側にその様な難しい事を考えさせる暇を与えません。
 “諄さ”が無いのですね。いかにも「子供の教育の為に」や「若者への提言」という ような意図の認められる作品は下手をすると諄くなります。サラリと流した微かな皮肉 っぽさが実に心地良いです。
 フジの「世界名作劇場」が根強く人気を維持出来たのも、題材が既存の名作である という事に加えて、くどくどとした脚色でキャラにあまり余計な事までさせなかったのが良かったのでは ないでしょうか。偶にしか観ませんでしたが、実質「世界名作劇場」の隠れファンでもあった私は そのように回想します。^^;





主な登場人物と動物達 遠足に行きた〜い!! これが〇〇だ!
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