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クマ・クマ・クマ

 「トラ・トラ・トラ」 は “我、奇襲に成功せり”。 では「クマ・クマ・クマ」 は “我、奇襲されり” とでもしようか。 毎日のようにクマ出没、襲われたとか射殺したとかのニュースの多さに、ちょいとこちらの感覚も麻痺しがち。学校の教職員がまたもや少女に猥褻犯罪だというので、教員という職に就いている者は大概そんな輩ばかりなのかと、もはや不思議でも異常でもない事態として脳内処理されつつあるように、クマが街中を歩いていて当たり前だと、我等のアタマがそれに順応しないことを祈りたい。

 かなり御高齢の爺さんが山中でクマに出くわし、真正面から飛び掛かられ、背後に倒れ込んだ際に巴投げでクマを退散させたという話があった。その頃はさほど切実な話題でもなく、御本人には失礼ながら少し愉快な武勇伝として茶の間を賑わせた。今の状況はまるで違う。たとえクマを投げ飛ばすことがあったとしても、そのバトルフィールドは人間の生活圏内になる。クマの出そうな山道を通わねばならない昔の小学生は、空の一斗缶をガンガン叩きながらそこを歩いた。現在、街灯整備されたアスファルト道路にクマがいる。“侵略! クマ娘” だなどと笑ってはいられない。

 申し合わせた如く各地に出没してはいるが、彼等は全国規模のネットワークなど保有している筈もない。洗脳されて踊らされ続けるどこかの国の世間知らず学生達とは違うのだ。冬ごもりする前に食い溜めせねばならない。炭水化物、デンプンを摂らねば体内で糖に変えてエネルギー蓄積することが出来ない。脂肪とタンパクを摂らねば寒さに耐える越冬も辛い。肉体の欲求、本能が彼等を突き動かす。夏場の蜂の巣は少なかった。ナラも実を付けない。海水温が高いため鮭の遡上も遅れている。里へ下り街を彷徨くしかないではないか。

 射殺するなどけしからんという声もある。だが猟友会の人々も好きこのんで撃つのではない。殺生など誰がしたいものか。なぜクマがここにいるのかをその人達は誰よりもよく知っているだろう。どうか山に帰ってくれと、撃つ直前まで祈っているに違いない。