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体罰?

 体罰がいかん何がいかんと言っていれば、「罰としてグラウンド走ってこい」 というのもいかんという話にまでなりそうだ。 それでは生ぬるい。 スポ根にもならない。 なにも体罰をやりまくれと言うのではない。 時にはそれが必要な生徒も、そのような場合もあるだろうと考えるのだ。
 実際、自分などは子供の頃から叩かれ通しで教えられて育った。 社会に出てもクソ生意気な口を利き、その度に小突き回されて教わった。 そういう風に手を焼かせる面倒な人間もいることを知るべきだ。
 腫れ物に触るようにぬくぬく育てれば、それは中にはまともに成長する人間もいるだろうが、大半は世間知らずのヌケ作にしかならず、新型鬱病だのと称して仕事サボっては旅行三昧な 「社会のお荷物」 にしかなりはしない。 恰好だけはつけたがるものの全てが他人任せ、誰かがやってくれる、困ったらパパやママのところに逃げ帰ればいいという、甘ちゃんボンボンだらけになってしまう。 そういえば、どこかの国の首相にもそのようなのがいた。

 各メディアが報じる大阪市立高校での自殺事件。「体罰」 の問題として流しまくるのはおかしい。 もしも内容が報道のそのままであったなら、体罰でもなんでもない、パワハラの暴力事件だろう。 その生徒に集中して何十発も毎日のようにぶん殴るというのは、出来の悪い不良グループによる校内いじめ、恐喝リンチとどこが違うのか。 指導教育するのとはかけ離れた暴力行為で、加害顧問教師の保身からなる陰湿な憂さ晴らしであったかもしれないではないか。 市長も教育委員会も話をすり替えてはいけない。 これは体罰ではない暴力事件として処置に当たるべき。

 亡くなった少年をそこまで追い込んだ大人達の罪は重い。 教員達はみな、いじめを見て見ぬふりをするクラスメイトのように我れ関せずだったのか。 親御さんや親戚縁者の中から 「そんなガッコやめてしまえ」 と言う者もいなかったのか。 どうであれ、少年は誰にも救って貰えず追い詰められたのだろう。 なんともやりきれない。