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祭典

 猛暑の中、いつの間にやら始まって終わっていたロンドンオリンピック。 同パラリンピックはこれからだ。 最近のオリンピックには昔ほど観戦の興味が湧かなくなった。 確かに世界のトップアスリートは年々凄くなっているのだろうけれど、特にオリンピックというイベントは競技祭典たるウェイトが一層小さくなっているのではないかと思う。

 第一に毎回大袈裟になっている開会式の催しがかったるく感じる。 しかも延々と長い。 歌や踊りやなら、こちとら町内会の盆踊りだけで充分なわけで、この次の大会では延々朝までぶかぶかどんどんサンバカーニバルでもやられてしまうんじゃないのかと、早くも興醒めしている。 そんなこんなで、今大会は中継などろくすっぽ観なかった。 日本の選手団はみな日の丸背負って参加しているとはいえ、同胞が頑張って勝ってくれればそれは嬉しいものの、国家間のアピール合戦に終始する祭典では選手個々の栄誉も霞んでしまいそうではないか。

 スポーツニュースによれば、カネで買われた審判がいたり、ド素人並の判定しか出来ぬジャッジでは世界の祭典も威厳無く地に落ちたと言わざるを得ず、挙げ句の果てには 「竹島は韓国のモノだ」 とプラカードを上げる始末。 韓国政府のさしがねでもあるのだろうが、その愚かさ、恥さらしも極まれり。
 スポーツ祭典たる爽やかさが無い。 マスコミは毎日のように 「現在メダルは何個で・・・」 を繰り返す。 総計何個のメダルを獲ったと騒ぐものの、それが何なのだろうか。 メダル獲得数で安保理常任理事国入りでも出来るのか。

 我等の同胞が鍛え上げた身体能力を発揮して多くのメダルを得るのは喜ばしく誇れるところでもある。 だが少しばかり騒ぎすぎる気もするではないか。 人種による肉体特化の違いは否定できまい。 また国内選手層の厚さという点から見れば、中国、インドのような多人口国とは比較にならない。 この先、日本人の中からウサイン・ボルトのようなスプリンターが現れるとは到底思えない。 中国の女子水泳選手のように男子の記録を上回る驚異的な選手が出現するのは、多人口国の人材豊富な選手層あってこそではないのか。

 メダル数になんぞぐだぐだ言わず、健闘してきた同胞選手団にねぎらいと賞賛の拍手を送ればどうなのだ。