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INDEXⅡ 第19話

 人の情は争えるものではない。既に彼の体内に宿っていた己以外に注がれる守るべきものへの愛情。身を賭して最後の力を絞り出させたのは、鬱陶しいほどまとわりついて離れぬその小さな天使を救わんがためだった。

 組み合わせからしてかなり興味深い。見た目が更生を求められる不良少年とその妹のような両名。この世をたった二人で生きてゆくかの如き寂寞感が、都会のそぼ降る雨の夜に表される。
 この第 19 話、繰り広げられる幾多のシーンに被せられる雨の映像が実にいい。動画テクニックもここまでになっているのだなと、少々驚く。

ファイル 93-1.jpg 臑の消毒をせがむミサカに一瞬見せるアクセラレータの表情は、妹に向ける兄の眼差しではなかったか。杖に頼りながらぎこちなく歩く兄の後ろを、トボトボついて行く小さな妹の姿。 真横からのこの映像は宵闇の街灯に照らされる濡れた路面越しに描かれ、両名のやるせない境遇が印象付けられているように映る。お互いに舐め合ったところでどうなるものでもない。悪夢の過去をただ背負い、歩く術を探っている。

 己がもどかしい。 舌打ちばかりが口に出る。 消毒剤と絆創膏を買いながらも、その行為に至っている不穏な自分自身に対して怯えがある。 なんと魅力的なキャラだろうか。 じゃんじゃん黄泉川がここにいれば、ポンと肩でも叩きそうではないか。 見る者の感情はアクセラレータに惹き込まれ、そのまま反動的に 「きぃ~はら君」 への憎悪と化す。 こんな下衆野郎を叩きのめせないのかという苛立ちが湧き上がる。
ファイル 93-3.jpg ラストオーダーの名を呼んで、その小さな身体を敵の拘束から解き放つべく最後の一撃に賭ける姿はもはや勇者である。 ピクリと応えるチビミサカは確実に彼の意志を受け取っただろう。 あの人を助けてくれと泣いて縋るずぶ濡れ天使に、当麻君の右手は応えることが出来るだろうか。

 小さくあどけない子供達に大人が変えられてゆくというのが 「とある」 シリーズ根底に一本の柱として存在する。木山春生はその典型であるし、インデックスを子供と捉えれば当麻君との兼ね合いも似た部分がある。 また要所でいい働きをしてくれる小萌先生も見た目は子供そのものである。 勿論、当麻君もアクセラレータもまだ若い発展途上少年なのだが、彼等からすればインデックスもラストオーダーも充分に子供たり得、自分達はいっぱしに大人ぶっている。
 「なのは」シリーズの底に流れ続けた母と娘の愛情は、プレシア・テスタロッサの特異な存在を除き、母と娘の双方から互いのベクトルが絡みを見せた。 それとは異なり、「とある」 シリーズでは子供達の自然体が大人に多大な影響を与えているのが特徴に思える。

 ならず者、嫌われ者な男が、屈託無い少女に心開かされるというそのテの話は好きである。 それなりの段取りを踏んで事に当たるという回りくどさを嫌がり、力ずくで勝手気ままにその場の快楽へと身を投じがちな姿は、文字通り聞く耳持たぬ乱暴狼藉者なのだが、相手を推し量ることもなくずかずか踏み込んでくる子供の純粋さだけは対処しようがなく、払い除けも出来ない。 アクセラレータにとってこのチビガキは本家本元のレールガンやシスターズの数倍も始末に悪い。 チビミサカはハイジ、アクセラレータは山小屋の偏屈おん爺のようなものにも見えてくる。

ファイル 93-2.jpg 面倒だからと、すらっ惚けていればますます図に乗って攻め込んでくる。 第一、ちょこまかうるさい。 この男風に言えば、じゃれつきネコのような理解不能の生き物なのだろう。
 薄れ霞んでゆく視界の中、僅かに残っている意識を満たしているのはそのチビガキの安否である。 もう誰でもいい、あのガキだけを守ってくれとの願いだけである。 このオレ様がなんてこった、なんであんなガキの事しかアタマにないのだと、苦笑いを浮かべる力さえ残っていない。 ああどうかこの不器用な兄貴を救ってやってくれと祈るばかりの第 19 話である。

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