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天才の側面

 粗雑でぞんざいな人間というのがいる。大雑把とか丼勘定とかいうのなら適材適所に使えもするが、何につけても粗雑な者は仕事上でも使うにちょいと憚られる。
 机上整理の出来てないヤツなどに出くわすと、小さな小物道具類とか重要書類、機密データなどを紛失しやしないのかと不安になる。その結果、この仕事を誰にやらせようかとなった場合に、そのだらしないヤツ以外の者に指示することになる。誰もがそういう経験を一度や二度お持ちだろう。

 渡したデータディスクをよく床に落としてしまうようなヤツもいる。手先が鈍臭いというだけでなく、扱いがぞんざいなのだ。そういうのを見ると、ああこいつだけは我が家へ招き入れるのはよそう、と思う。 そこらじゅう触られて部屋の中を引っ掻き回されたのではたまらない。

 だが、どこか一部分飛び抜けて天才的だという人間ならば、我々の見る目もいささか違ってくる。飛び出た箇所があればその分窪むところもそりゃぁあるだろうよと妙に納得してしまうのだ。
 天才・平沢唯を例に取れば、彼女に台所に立って貰おうとは誰も思わないだろうし、部室でお茶飲んだ後片付けをしておけと命じたところで、誰か指導員か見張り員を配置しなければ、ムギがいくら高価なティーセットを揃えたところで長持ちしないだろうと考える。天才的なギター弾き以外は何をやらせても鈍臭そうなのだ。

 ただ彼女は撃墜王のエーリカ・ハルトマンのようにだらしない部屋に住んでない。有能メイドさんでもある妹が甲斐甲斐しく掃除してくれるのだとしても、そこは乙女のプライベート空間なのだから、充分に整理整頓が行き届いていると見るべきだろう。

 一方、大空のエース・ハルトマンはゴミの山に寝ているかのような散らかし放題。実際はゴミとして破棄する物など殆ど無く、保持しておきたい持ち物ばかりなのだろう。第一には物を持ち込み過ぎている。モノがあり過ぎるのだ。
 飛んでくるネウロイを叩き落とすのが彼女にとって唯一の“掃除”らしく、「片付ける」、「整頓する」、などという単語はネウロイにのみ向けられるようではないか。
 寮生活などの経験を持つ人ならお分かりだろうが、こういう者と同室になった場合はバルクホルンが執っている措置に倣って侵入防止柵でも設置しておかねば、三日と経たぬ間に自分の周囲も不快極まりない空間となり果てる。 お前、こんなヤツとよく暮らせるなぁ、というのが専らの見解で、バルクホルンにとって腕前を競う同じカールスラント人でなければ、とうの昔に部屋から蹴り出されているかもしれない。

 アルバート・アインシュタインの髪もけっこうボサボサだったそうであるし、天才肌の人間というのは「その道」以外の部分では無頓着な面があり、そこはぞんざいでいい加減なのだろう。レベルアッパーを開発した木山春生などはその最たる者で、「脱ぎ女」というありがたくも嬉しい奇異行為まで平然とやってのけるではないか。能無し凡人である自分などは、せいぜい「その場に居合わせたいものだ」と涎を啜るばかりである。

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