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コクリコ坂から

 興味があったので遅ればせながら映画を観てきた。 この清潔感はどこから来るのか。 映像は美しい港町だが、当時の我が国は高度成長期の実に汚い世界ではなかったかと思う。

 それいけやれいけの工場は汚染物質煤煙をところかまわず噴き上げ、有害廃液を垂れ流し、環境保全の「か」 の字もない。 生産量のみを旗印とする、今の中国と変わりはなかった。 舞台の港町を見れば道路舗装は整備されているものの、なに、日本国中いたるところ未舗装生活道路が多く、雨が降れば水溜まりの泥を跳ね上げながらキック始動のオート三輪が喧しく通っていた。 クラウンが観音開きなのだから時代が解ろうというものだ。
 コクリコ荘ではガスで飯を炊いている。 だが、一般家庭ではまだ炭火鉢が重宝され、家電に於ける三種の神器がもてはやされ始めたばかり。 少しずつながら下水道整備が進められる中、マンモス公営住宅がモダンな造りであると人気があった。 文化包丁なんていうのが奥様方に喜ばれ、先駆けてTVを買った家に御近所中の人々が夜な夜な集まった。 ホームシアターならぬ、ちょいとした町内会シアターだ。 ああ三丁目の夕陽である。

 確かに、ピーピー鳴ったり喋ったりする家電に囲まれての現代から見れば、殆ど何もない質素な世界だった。 「ユカをよぶ海」、「島っ子」、「パパのお嫁さん」 など、この頃だろうと思われるちばてつやの少女マンガを見れば、当時の人々の生活が見て取れる。 きれいなお姉さんの髪、いい香りがする。 シャンプーの香りだと言われて見上げる少女は、おそらくそんなもの使ったこともない。
 モノが溢れていない時代、貧しかったかもしれないけれど周囲もみな同様だったに違いない。 取り残される陰鬱な空気や妙な暗さはあまりなかったろう。
 
 毒のない青春歌謡の時代、芸能界が御三家とした橋、舟木、西郷らの歌は連日ラジオを媒体とした。 みんな名もなく貧しいけれど・・・と歌ったのは三田明だったか。
 歌と言えば、岡本敦郎の 「白い花の咲く頃」 が劇中で歌われる。 先陣切って歌い始める少年、これがまた見事に音痴である。 意図的な音痴だと思われる。 わざと少し外して歌うというのもかなりな技量を要するだろうから、誰だか知らないがこの声優に拍手ものである。 哲学研究会の部長をはじめ、少年達がみな昭和バンカラの趣であることを考えれば、歌など上手すぎてはいかんということか。 学生寮歌にせよ応援歌にせよ、粗野で荒々しい方がそれらしくもある。

 60年安保闘争で国会突入騒ぎがあり、樺美智子が死亡した。 キューバ危機、ケネディ暗殺、皇太子御成婚など、当時の出来事もけっこう波乱である。 舞台は高校だが、エネルギッシュである生徒達に時代環境を映している。 演壇で弁舌をぶちあげる様は懐古趣味的なオジサマ達を僅かながらも擽るだろう。
 
 遠くを望む目の輝きが現代とは違っていたと思われる。 今と比較すれば情報量が極めて少ないからだ。 それだけに、自分で考え、夢も広げる。 善悪問わぬ情報に押し潰されそうになっている現代の子供達にはちょっと想像すら出来ない世界だ。
 取り巻く世界情勢、嘘八百で私利私欲な政治家や官僚、猥褻犯罪で少女に毒牙を向ける教員。 理由無き身勝手なヤケクソ連続殺人。 オタ芸と称されるキモオタ共の乱痴気踊り。 毎日の如く飛び交うロクでもない情報の世に、大人を信用してくれと言ったところで無理な話ではないか。 夢を持てと語ったところで、学ぶ機会はカネで買えという世の中にしてしまっている。 モノはある、情報も簡単に手に入る。 しかし、夢も希望も持ちにくい。 いきおい、頭でっかちながら知らず知らず後ろ向きに追い込まれているのではないのか。

 作品世界の子供達は物事の知識も経験も、今世の現実世界の子供達ほど豊かでないだろう。 蓄えの少ないが故に、防壁の殻を持たぬ奔放と、反面に純情さがある。 そう考えれば、今より不衛生であったかもしれぬ世界に生きる彼等が得も言われぬ清潔感を与えてくれるのは、猜疑心のない素朴さであるかもしれない。


 昔はどこのお姉さん達もよく働いていた。 乳飲み子の弟や妹を背負ったまま遊びに出ていたし、家事手伝いなど当たり前だった。 コクリコ荘のメルも忙しい。 朝起きて布団を収納すると、昨夜に寝押ししておいた制服のスカートがそこにある。 どこのお姉さんでもやっていたことだ。 朝飯を支度し、起きてこないヤツを起こし、洗濯も旗揚げもせねばならん。 もちろん、自分の弁当も作る。 朝飯が7~8人だったようだから、後日に枡で2杯の米磨ぎを見るに、一人頭8勺勘定で6合程度として、どうやら底の浅さからもあれは5合枡に違いない。 即ち、1升炊きだ。 昔の人は今よりメシを喰ったといっても一人1合3勺もあれば女性陣には余って返るだろう。

 朝通学のメルは大変な大股である。 一歩1mもあるんじゃないかというストライドで機関車のように歩く。 これだけ見ても彼女がいかに無駄な時間を過ごしてないか、成すべき事を多く抱いているかが窺える。 アニオタ得意の 「オレの嫁」 なら割烹着も凛々しいこういう娘さんを選ぶのがいい。 この先、心変わりがなければ風間君は幸せ者である。
 以前より憎からずの感情を抱いていたにしても、風間君をズキリとさせたのはガリを切るメルの姿ではないのか。 ガリ版にかなり顔を近付けてそれを続ける彼女を、斜め後ろから描いた映像はたいそう魅力的である。 思わずボケ~と見とれてしまいそうだ。 元より時代考証の効いた、いかにも 「女学生」 というキャラクターデザイン。 肉屋に買い物に出掛けた私服も当時の可愛く清楚なお姉さんそのもので、肉屋のオヤジでなくとも大サービスしてしまおうというものだ。

 輪転機が出回る前はこうだった。 インクローラーを手に一枚ずつ版画のようにペタコンペタコン刷った。 ガリは滑らかな曲線が難しい。 それ故、角ばった文字が切り易く、当時の女の子に妙な丸文字が流行らなかったのは幸いである。 学生運動の立て看板や垂れ幕がみな角張った字であったのは、ガリ版印刷の角文字を見慣れていたからでもあったろう。

 微に入り細に亘り描き込まれたごちゃごちゃのカルチェラタン背景美術にも目を見張るが、コクリコ荘でもカルチェラタンでも、木造建築に響く靴音がたまらなくいい。 これは味わい深い。 もう随分と昔、信州の田舎でこのような温泉ホテルに泊まったことがある。 山田太一の 「高原へいらっしゃい」 みたいなホテルだ。 踏み処によってすこしギィっと鳴るような廊下だった。 ちょっとあのホテルの木の温もりを想い出してしまった。

 ジブリのこだわりであるのか、手作業によるきめ細かなリアリズムが随所にある。 手汗をかくと厄介なガリ切り原紙の質感も然り、料理を盛りつける大所帯ならではの仕草やガスに点火する一連動作、そして旗の掲揚。 理事長の会社に乗り込んで行った際のエレベーター内、更にはお茶を出してくれるお局秘書、どうにもその湯飲みの中は出がらしの黄色い茶ではないかと思わせるに充分である。
 BGMもオールドファンが喜びそうなものを並べてあり、地中海サウンドみたいなのもあればジャズもありタンゴもあり、終いにはインストエレキサウンドまで出してきた。 カルチェラタンを掃除している辺りだったか、自分はあの御機嫌なジャズクラリネットが耳について離れない。 安ければOST買ってみようかとも促され、有澤孝紀による同様のクラリネットメロディが懐かしく脳裏に浮かんでは消える。

 

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