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誰が判定する

 こんなものは我が子に見せたくないという心情はごもっとも。都議会本会議で可決成立した性描写規制の改正案に当然であるとする人は多かろう。
 だが、ヤマなしオチなし意味もなしのいわゆるエロマンガに括り込まれる作品の中には、どうしてこれがそのようなレッテルを貼られねばならんのかというのも、かなり出てきそうな懸念がある。強姦、近親相姦などはダメということらしいが、その「著しく不当に賛美・誇張」の判定は個々の感受によるもので、基準がないだろう。そうなるとどなたが裁きを申し渡すのだろうか。慎重な運用をするのだそうだが、「運用」というヤツはこれまた玉虫色の都合いい表現で、役所の伝統的お家芸でもある。

 例えば体制批判的な物語や時の権力愚行を風刺した作品があるとしよう。その中に強姦場面がひとつあればそれを摘み上げてエロ本コーナーの片隅に追いやり、当該作品の封殺に繋げることも不可能ではない。まことに都合悪いのでとりあえず婦女暴行で引っ張っておけとしたウィキリークス親玉への対処と同じである。丁度その辺りをウロウロしていたので人質にしてしまえとした中国共産党の日本人拘束騒ぎも似たようなものだ。権力の滑稽なまでの慌てぶりが無様でもある。

 権力争いや言論封殺に於いて色事沙汰に侮辱して貶めるやり口は昔からの常套手段だ。その点、人民は愚かでしかなく、色事スキャンダルとなれば飛び付き、能無しマスコミは見事なまでに食い付く。倫理から外れた下劣な色事は世のなにものよりも罪深いという性的羞恥心を操った人心扇動の大いなる武器である。

 エロ本を隔離しようとする試みは理解できる。不謹慎かもしれないが、思春期の少年達にとってそれは少なからずお宝なれば、安易に手中に出来ない方が神聖さも保てようというものだ。 ただ、いかに策を弄しようとも御禁制としての成果はさほど期待できそうにない。ネット上のクリック一発でとんでもない動画がいとも簡単に現れる世の中であることを再度認識しておかねばならない。

 強姦だの近親相姦だのと聞けば誰の眉間にも皺が寄る。制限条例としては効果的な忌むべき語句ではある。そのようなマンガやアニメがどれだけ氾濫しているのか事細かに調べた人もいないにせよ、放置も出来ぬとするからには相応目に余る状況なのだろう。
 その手の性描写の描画頻度や度合いはグラデーションのようなもので、その一線で白黒分割出来るものではない。判定する者も難しい作業に向き合わねばならない。なにせ 「これはしょうもないエロマンガである」 とレッテルを貼ってしまうのだから。

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