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渚のマッチ箱

 ささやかな家族の団欒も、物心ついた頃から染みついた柱や壁の傷も、一瞬にして無くなった。 惨憺たる被災地状況映像から受け取るのは、我々の温かな生活基盤、我が家というのもは、渚の砂に置かれたマッチ箱のようなものでしかないのだという現実で、自然が猛威を振るった際に我等はいかに無力であるかと思い知らされる。

 古舘伊知郎が言うように、被災地の地元報道が 「ここに町があったのです」 と表現したのが強く耳に残る。 一夜明け、見渡せば何もかもなくなっている。 コンクリート製の建物だけが僅かに点在するだけだ。 それとて自重で踏ん張ってその場から流されなかっただけの話で、建物の中身は持って行かれ、躯体のみが砂漠の遺跡同様に佇んでいる。
 前夜の気仙沼大火災から朝の廃墟状況に至るまで、戦時中を知るお年寄りの方々の目には絨毯爆撃に遭った忌まわしい街の記憶が甦ったかもしれない。 先の大戦を知らぬ身にも、それはまるで戦争被災地のような酷さに思う。

 原発に於ける最悪の想定だけは現実にならぬよう祈るしかない。 近年のゲリラ的集中豪雨も然りだが、何年に一度あるか無いかの自然災害確立を見直さねばならない。 道路や橋や公共施設の箱物も、みなこれ建造時の経済性と強度の天秤で設計されるわけだが、こういう観測史上最大な災害は僅かな確立ながらも起こり得るのであって、単純に過剰設計だとして片付けているだけでは済まされまい。

 目の前で我が家も持ち船も、勤めていた会社も、音を立てて潰され陸地の奥へ、そしてまた海へといたぶられるように流されて行く。 それを高台から見ているしかない人々の心中、如何ばかりか。
 廃墟の家屋前に佇む人に間抜けなレポーターが 「お宅は大丈夫だったですか?」 などと訊いている。 見れば分かるだろう。 大丈夫な部分がどこにあるというのか。 こいつらはアタマの上に核爆弾落とされてもそんなことを訊いて回るに違いないと、妙な部分で腹立たしい。 私利私欲でしか動かぬ国会議員共がこの災害を機に少しは国家を考えるようになるのだろうかと、虚しさ混じりに思ってもみる。

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