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八月のカクテル光線

 高校球史に一時代を築いた尾藤元箕島校監督が他界した。 星陵高校山下総監督の言葉にならぬインタビューに貰い泣きする。

 青年監督として母校で指導を始めた頃、県内の強豪校は市和商だった。 初めて甲子園に出場しても、所詮田舎チームだという見方が多かった。 誰が名付けたか 「尾藤スマイル」 はその頃には微塵もない。 鬼のしごきと強引さが前に出て、けっこう周囲との衝突も軋轢も多かったと聞く。 甲子園ベンチでのスマイルは二度目に監督登用されてからではなかったろうか。

 公立校での春夏連覇は尾藤箕島が最初ではないのか。 その夏の決勝相手だった攻めダルマ・蔦監督の池田校がその後の甲子園で強い公立校として一世を風靡する。
 他の球技と同様、高校野球にもバックアップ資金が要る。 遠征費も馬鹿にならない。 近年の甲子園大会優勝校を見てみれば、私立校や宗教校の名が居並び、公立校は指折り数える程度にすぎない。 さわやかイレブンのようなチームはもう出てこないだろうと思われる。 尾藤箕島が強かった時代、地元漁師や蜜柑百姓らが熱を入れていた。 地元援助無しには田舎の公立校はいささか辛い。

 バント戦法の箕島野球は面白くないとも言われた。 だが、そこしかないという1-3-4のピンポイント空隙に転がす絶妙なプッシュバント戦法は、後の高校球児達のバント練習に用いられる模範にもなった。 またその裏で長打力も備えていた。 連覇の年、春の選抜決勝で四番の北野は牛島-香川の浪商バッテリーからサイクル安打を記録している。

 箕島といえば星陵戦、星陵といえば箕島戦。 神懸かりのような延長18回に亘る死闘が忘れられない。 作詞家の阿久悠は 「最高試合」 とした詩を書き、スポーツ・ノンフィクション・ライターの山際淳司は 「八月のカクテル光線」 と題した短編で名勝負を分析した。 紙一重でこの勝負を制した箕島がそのまま勝ち進んで優勝旗を手にしたのがドラマ性をよけいに引き立てている。 星陵が勝っていてもおそらく後日に優勝したのではなかろうかと思わせる強烈な試合印象がそこにあった。

 最近は一回戦の試合からでもゲームセットで互いの選手による握手が認められているが、当時はそれが許されていない。 試合後のホームベースを挟んだ整列、一礼後に主審が握手を促したのは実に気の利いた采配だったと記憶している。 当時の両軍メンバー達による交流が時を変え場所を変え幾度も育まれ続けていると聞く。 星陵のエース・堅田と投げ合った箕島の石井は今は紀州レンジャーズの監督を務めている。 年月の流れは早い。 あの試合は随分と昔の話になったが、当事者達には去年のような想い出かもしれない。 森川のファウルフライを捕殺寸前で転倒した星陵の加藤をいつまでも気に掛けていたという敵将・尾藤監督にとっては尚更だったろう。

 不思議なことに、箕島の野球チームと聞いて脳裏に浮かぶ姿は東尾や島本、吉井ら選手達のそれではない。 ベンチから半身乗り出した尾藤監督のユニフォーム姿である。 南海ホークスのように肩ストライプの箕島ユニフォームが尾藤監督の仕事着であったのは勿論だが、それが最も似合う人だったように今は思うのだ。

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