記事一覧

プリンタ複合機

 機器というものは何かひとつイカれると連鎖のように壊れてお釈迦になってしまうのか。 この前の春先にHDDがポシャってしまったら、今度はこの夏の猛暑にやられたのか、10年ほど使っていたプリンタ複合機がどうにもこうにもお手上げ状態になった。

 店へ行ってみたらば、ズラズラならべてあるのがいずれもみな安い。 なんだこりゃあ、10年前に買ったカネで三台は優に買えるじゃないか。 そこで店員のニイチャンを掴まえて訊いてみた。 なんでこんなに安いんだ馬鹿野郎、これらぁまともに動くのかい? と。

 メーカーさんはどこも海外工場ですしね、そのかわり、最近のはすぐ故障しがちですよ、ときた。 なんだそりゃあ、とんでもねぇじゃねぇか。 アンタ、売る側がそんなこと言っていいのかい? アンタここの店員だろ? 

 買って使う側もそのような事情は承知しているから、嘘を並べても店の評判が落ちるだけだとの話だ。 まぁ確かに世の動勢に疎くなるのは田舎暮らしの常ではあるし、こういう機器はコンビニの野菜ジュースみたいに頻繁なお買い求め商品ではない。 お釈迦になったのを引き取ってくれるというから、浦島太郎のような感覚で新しいのを買って帰った。


 コピーもスキャンもプリントも、まともに動いてくれる。 ただ、昔人間な自分には重量感のないチャチな作りが触る手を怯えさせる。 軽量の薄っぺらな給紙トレイなんぞ、女性の肌を愛撫するかの如きソフトさで取り扱うのである。 ^^;)

 

猛暑雑感

 あまりの暑さに、畑の物置小屋の屋根トタンに塗ってあるペンキが剥がれ始めた。 イノシシやアライグマは沢ガニ求めてそこいらじゅうボコボコに掘って回り、自然石の空積み根元部分など湿り気あるところをほじくり回され、石積みが崩されかねない。

 これだけ暑くて降らなくても元気なのがアオカラムシとその仲間の雑草で、放っておけばすぐに腰高を超えるまでになる。 初夏から秋までうっかり刈り忘れたりすると樹木並みの硬さになって始末に悪い。 昔の人はこの強固な繊維を利用して織物にしたり紐にしたりだったらしい。 ある人の話だと、そのために栽培していたものが野生化したから同じ田舎町でも群生する所とそうでない所があるのだそうだ。 そういえば、藁草履作りに長けた親戚の婆さんがアオカラムシの繊維を藁に混ぜて草履を作ってくれたこともあった。

 お前の親父さんの初盆だからと、小学時代からの友人がお盆に線香あげに来てくれた。 彼の話では何十ヘクタールもあった蜜柑畑をかなり縮小してしまったと言う。 それでも今年は灌水の水が足りないと嘆く。 ため池もかなり底に近く、植物プランクトンだかなんだかで、濃い青汁のような水しかないのを汲み上げて使っているそうだ。 甲子園で試合の合間にグラウンド散水している情景をTVで見ると羨ましい、と言う。

 お盆が済んで、どこかの測量屋が街中を測量している。 この猛暑では楽な業務ではなかろう。 歩道に打ったポイントに光波トランシットを据えて覗いているが、おそらくあのトランシットはじっとしてはいまい。 整準に据え付けてもこの暑さでは1分と保ちはしない。 三脚の先が熱で柔らかくなった歩道アスファルトにめり込んで行くからだ。

 花火大会屋台の爆発事故では気化ガソリンに原因がありそうだと報道されている。 目撃者の言うとおり携行缶から噴出する気化ガソリンが目視で識別出来たのならば、かなりの気化量、相当熱い処に置いていたことになる。 普通、携行缶のエア抜きを少し緩めて気化圧を抜いても、その気化燃料は目に見えるものではない。

 なにはともかく、そろそろひと降り欲しい。 水は天から貰い水、とはよく言ったものだ。 天は人を殺しゃせんよ、とは明治生まれだった祖母さんがよく言っていた言葉だが、どうしてどうして、水不足な一方で片や甚大な水害では、祖母さんの言葉も地球の変動と共に変えてゆかねばなるまいて。

 

ろくな気象でない

 中国山地で記録的大雨だそうだ。 遙か昔、我が地元でも大水害に見舞われたらしいから、野良で出くわす年寄り連中は 「可哀想にのぅ・・・気の毒じゃ」 と口を揃える。 「それに引き替え、ここらはなんで降らんのかのぅ」 と嘆きもする。 豪雨や洪水被災の大変さは知っているものの、この地元では降雨量不足に頭を痛めている現状がある。

 記録的豪雨もそうだが、今年はろくな気象でない。 春先の受粉シーズンに遅霜にやられたのがかなりの打撃だ。 更にGW過ぎてもホーム炬燵に電源を入れる日が多く、初夏の到来が甚だ遅れた。 一転、梅雨は空梅雨で真夏日もあり、熟す前に日焼けする始末。 樹が実そのものを育めない、育む機会、月日を与えてもらえなかった。


 例年の4割しか出荷量がない農家もある。 平均で6~7割どまりだろうという見込みだ。 我が農園は8割はいくだろうと思えるからマシな方だろう。 いずれにしても、落ち込んだ生産量の分は価格増に代わってくるのかといえば、その期待は薄い。 収穫期に家内工業で回してゆけぬ農園は雇い労賃で押し潰されよう。 どのような産業でも銭喰い虫は直接的な労務費と機械費なのだ。

 

この夏

 身が締まっていてズシリと重い豆腐が地元で結構有名なのだが、最近、いつ買いに行っても売り切れだ。 猛暑日が続くと豆腐もよく売れるらしい。 冷や奴と枝豆でもつまみにして冷たいビールをやり、その後で素麺かざるうどんでも啜るか、という気になるのは自分だけでもないようだ。

 枇杷が実りに実ったこの夏。 どこの枇杷も 「いい加減、その辺でやめておけ」 と言いたくなるほど実った。 その代わり、梅の実が落ちない。 ボトボト落ちなければならんのに、枝に付いたまま真っ黄っ黄に染まっているのが目に付く。
 例年に比べ、果樹の根元にあるべき蝉の抜け殻が極めて少ない。 遅れているのか?  藪に入っても藪蚊が少ない。 これはありがたい。 降雨量が少ないため、谷川の水音が無い。 ちょろちょろした寂しい音ではせせらぎとはほど遠い。 せせらぎでも耳にすれば少しは涼感の助けになるものを。

 全国で一日当たり千人単位の熱中症患者が報じられる。 どこだったか、持久走をやっていた学校で生徒がバタバタ倒れたという。 なにもこのクソ暑い異常猛暑の中、持久走なんぞやらせなくてもいいだろうにと思う。 あんなものは冬にやれ、冬に、学校の教員ってなぁ天気予報も見ちゃあいねぇのかい? と毒突く。



 かくいう我が家も助っ人連中含めて全員バテてきた。 ここらで休日にしべぇやなと、野良仕事を休みにした。 平均年齢が低くはないのだからして、時折ドクターヘリが上空をすっ飛んでいくのを見れば、炎天下で倒れるのも辛ぇしなぁ、と自分らを納得させる。

 

梅雨も終いだろ?

 なんちゅう忙しさだと、ぐっしょり汗まみれの首手拭いでオデコ拭きつつ空見上げれば、断続的に降る雨やまず、某 「学園都市」 やら 「ネオ・ベネツィア」 に見る如く気象を自在に操れれば世話はない、なんてことを呟きつつアニメの世界を羨む。

 今宵、やたら雷が鳴ってるからには梅雨も明けるのか。 そういえば関東甲信越では明けたそうな。 風呂上がりにこれでもかという程の絆創膏薬を貼り、ビールを呷りながらTV時代劇を見る。 絵に描いたようなオッサンである我が姿に、別段嘆かわしさも湧いてこない。




 沓掛時次郎はやっぱええわなぁ、長谷川伸だぜ、なんつってもよぉ。 こいつぉ見なきゃあ日本人じゃねぇわな。 見ろぃ、鶴田浩二の若ぇ頃なんてなぁ、いい男じゃねぇかぃ! なんて喜んでいるうちにビールが無くなる。 ああ、減らねぇビールぁねぇのかい? コンチキショーめ! ^^;)

 

お山

 遙か遠くの方から前線を刺激しては集中豪雨を見舞い、足早に通り過ぎればまだ可愛いものの、居座ってはいつまでも帰らぬ嫌われ客のように迷惑千万な台風が近年多いような気がする。
 梅雨前線で湿り気とカビを蔓延させつつ、紫陽花の花を小雨に煙らせ、その葉っぱに集るカタツムリを喜ばせるという、我が国の “風情” なるものが無い。

 昔の人はこの時期、雨に一句なんぞと洒落込んで歌のひとつも風流に詠んだかもしれないが、集中豪雨だ、避難だサイレンだ、消防団だ、なんて騒がねばならないのだから、紫のぉ~紫陽花煙るぅ~豪雨かなぁ~ とかなんとかしたためてでもいれば、気付けば家ごとドンブラドンブラ流されていたという間抜けな話になりかねない。

 毎年のように大降雨量を記録する地方は雨雲が引っ掛かり易いのだから、概ね急峻な地形であると言える。 長年に亘ってそこへバケツひっくり返した如き降雨では、より谷は深く削られ、山肌は崩壊を繰り返し、いつまで経っても緩やかな地形にほど遠く、むしろ鋭利に尖りがち。
 その山腹にあるのは富国強兵下の国策で植えられた杉だの檜だの、雨と霧さえくれてやれば馬鹿みたいに育つ畑の作物のような樹木ばかりだ。 おまけに手入れはせず、日陰のモヤシでは山肌養生にも保水帯にもなりはしない。 あそこも崩れた、ここも崩れたと嘆いたところで、地主は再び同じようなものを植えてほったらかしておくのだから、学習能力欠如も極まっている。 山を畑のように考えているのなら、馬鹿野郎、管理ぐらいちゃんとやれ、とまたもや愚痴が出る。

 紀南地方や四国の岬周辺など、カシ、ウバメガシの群生が目にとまる。見てくれからしても、いかにも強靱そうな森を形成している。 これらは痩せた山でも厭わず、風にも強い。 豪雨による杉山の崩壊を見るに付け、あれを見るとホッとする。

 

渇水に豪雨

 おおかた、こんなことだろうとは思っていたが、やっぱりそうだった。 雨の話である。

 稲作農家の中には雨不足で苦渋に満ちた顔を毎日見せている人もいた。 農業用水が整備されてなく沢水が頼りな田圃もある。 空っ梅雨どころか真夏並み猛暑では、植えた苗も低水位で雑草の方が強く蔓延る始末。
 近所の米百姓が、一時でいいからお前さんトコの畑用水を分けちゃくれないかと頼みに来た。 さもありなん、水田どころか日照りクラックの目立つ田面では無理もない。

 一転、どうだ。予想通りとはいえ、近年決まり切った如くの集中豪雨ではないか。 彼等は今度は逆に棚田の豪雨崩壊を心配せねばならん。 「天は人を殺しゃあせん」 というのが死んだ婆様の言葉だったが、婆様の現役時代ならともかく、今の我々にそれは単純に当てはめること出来ない。 夏の穏やかな雨が少なくなった昨今、荒れ狂う天は平気で人を苦しませ、人を殺しかねないではないか。

 

 久しぶりにPCの前へ戻ってきた。 懐かしいと言っていいくらいだ。

 四ヶ月ほど患っていた親父が他界した。 人間はいつかはいなくなるのだし、このろくでなしな息子も親より先に逝く親不孝だけはせずに済んだ事になるが、喪が明けた今でも心の隙間はそう易々と元通りに埋まってくれない。
 親父の残した膨大な数の職人道具は錆ひとつなく手入れされており、彼の手に馴染むまで使い込まれた年季がオーラとなって道具ひとつひとつから立ち上る。 畑で草刈機を振り回していても、去年の今頃は嬉しそうに手伝ってくれたっけな、などと未だその姿が自分の傍らに見えてしようがない。

 弘法は筆を選ばず、なんていうセリフをよく聞くが、親父のような職人には全く当てはまらない。 馬鹿言っちゃいけねぇ、仕事ってなぁな、腕に見合った道具と材料が無けりゃあ話にならねぇ。 職人の道具を扱う専門の刃物屋も建材屋、製材屋も、みな親父を煙たがった。 徹底して吟味されるからだ。
 あるとき、さる大地主が仏間と寝所周りを改装したいのでと仕事を持ち掛けてくれた。 自分が目を付けた木を製材屋に唾付けしてあるから一緒に見に行って欲しいと、わざわざ我が家まで親父を迎えに来た。 だが、その材料を見るなり親父は一蹴に伏してしまった。 どうしてもこの材を使うのなら誰か他のモンにやらせてくれ、こんな酔ったよな木じゃまともなモンは造れねぇ。

 万事そのような調子で徹底していた。 曲がった事は嫌いで、人の道だけぁ外しちゃいけねぇ、が口癖だった。 酒の好きな人だったが、いい酒飲みだった。 彼の飲み連れに酒癖の悪い者はおらず、他所様で馳走に預かる場合は早々に退きあげるのが常だった。

 若い頃の親父は息子と酌み交わすのを心待ちにしていたような節がある。 自分が中学生の頃にはもう晩酌の相手をしろとばかりに湯飲みにドボドボ注がれた。 育ち盛りで腹が減っている自分は飯を先に喰いたくて仕方なかった。 飯を喰ってから酒飲むような奴と一緒に飲めるか、と怒られた。 その点は無茶苦茶だったものの、早く酌み交わせるようになって欲しかったのだろう。 彼の晩年、ほぼ10年近くは毎晩のように親父と酒を飲んだ。 少しは孝行になったろうと自負している。

 頑固極まる昭和の職人。 しかし彼は若い頃に鳴り物が好きだったらしい。 覚えにないが自分が生まれた頃にはバンドネオンやらヴァイオリンやらが親父の傍らにあったそうだ。 若い頃の写真を見ても大層なおしゃれで、まさにモダンボーイだ。 服装など一向に頓着無い自分は、おそらくお袋さん筋DNAの影響によるものだろう。
 親父に買って貰ったグローブやギターはまだ置いてある。 贅沢を言わなければまだ充分に使えるシロモノだ。 お父さんやお母さんに買って貰った物は大切に手入れして使いなさい、と子供達に説くのは鈴木一郎だが、まったくもってその通りだとしみじみ思う。

 四十九日の法要段取りに慌ただしく動いている最中、物置小屋横のエゴノキの花が満開となった。 今までこれほど見事に咲き誇った姿は見た事がない。 親父が咲かせたのだろうと人々は口にした。
 法要も済んだある夜、早々に酒を喰らって寝たら夜中の3時頃に目が覚めてしまった。 しょうがねぇなと缶ビールをグラスに注ぎ庭に出ると、なんということだろうか、真冬でも滅多にこれだけ見えまいというほど満天に澄みきった星空。 天の川の 「夜の背骨」 が手に届くように美しい。 梅雨のシーズンなのになんてこった。 しばし感動して呆けたように見上げ、我に返って椅子を持ち出しては改めて星空の鑑賞をしつつビールを呷る。
 すると、一匹の蛍が点滅しながら飛んできて、自分の周りを浮遊し始めた。 これまたなんてこった、ウチの庭で蛍を見たのは何十年ぶりなのか。 そうか、お前は親父か、親父なんだな。 オイラと一緒にこの美しい天の川を見上げてくれるのか。 ありがとうな、お袋のこたぁ心配せんでええ。 親父と一緒に行くにゃあまだまだお袋は達者すぎらぁな。 それまでちょいとそっちで待っててくんな。 そっちにゃあ昔ながらの飲み連れが大勢いるだろうしなぁ。

 

ヒガシ君

ファイル 318-1.jpg ヒガシ君の 「大岡越前」 がいい。 東君なんていつまでも言っちゃあ申し訳ないな、俳優・東山紀之の越前だ。

 最近、時代劇づいている東山。 お白州のお裁きが絵になっている。 これはオバサン達はたまらないだろうと思う。 かつては少年隊のバク転アイドルで 「仮面舞踏会」 なんぞを軽快に歌っていた。 醤油顔だのソース顔だのと言われた時代の申し子的存在だった。 なにせ武内直子のタキシード仮面は彼のイメージなのだそうだとかどうだとかで、とにかく大人気を博した。

 時代劇好きな自分から見れば、彼は必殺シリーズよりこの越前のほうが数段いい。 サマになっている。 加藤剛の頃と同じ時代劇制作プロの 「C.A.L」 だから、NHKでリメイクしても耳慣れたテーマは同じ。 それがまた嬉しい。
 選りすぐりエピソードの全9話らしいから、あと6週間は楽しみに出来そうだ。

 

桜並木

 小雨に少し花片を散らし始めた満開サクラの並木道をクルマで通る。 最近のクルマは安物でも昔と違って静かに走る。 アス路面の状態がザラついていなければ、音も無く滑走しているかのような感覚である。
 数キロに亘るこのサクラ通りは一応国道だが、田舎故に交通量は極めて少ない。 サクラのシーズンには穴場だという人もいる。 道路管理者が多少なりとも樹木の世話をしているのだろう。 そうなのか、街の人々にはそう映るのかと思う。 なに、自分の地元なのだから、私には穴場でも何でもない、生活道路なのだ。

 所々に駐車スペースが設けられている。 桜並木展望のような場所もある。 なるほど、定年後の御夫妻に見えるカップルがクルマを停めて写真を撮っている。 残念ながらシート広げて花見宴会出来るような場所は殆ど無い。 だが、この季節にそこを通ると改めて花の恩恵を感じる。

 サクラがトンネル状になっている箇所は世界が淡い桜色に染まる。 アス舗装面でさえほのかなピンク。 幻想的でさえある。 日本にはサクラがやはりよく似合う。 道路上に停車する馬鹿がいないのは幸いだ。 好きなワルツを流しながら、静かに静かに通行する。 得も言われぬ陶酔感である。 あと数日後には舗装路面が花片絨毯になるのだろう。